プロローグ ◆ 禁域地帯アリオト/湖・星の涙

「ハ〜イ!皆さ〜ん、お元気ですか〜?なんと私は今、またアリオトの地にいま〜す!……ってふざけんなよ、マジで!」


 午前、穏やかな雲ひとつない晴天の下。茫漠たる地に吹き荒ぶ砂風の中で、いくあても無い叫声が虚しく走り抜ける。

「三日かけて行って戻って来ただけだとか——人遣い荒いで済まされねえぞ、チクショ〜ッッ!」

 ヤケクソ染みた空元気から一変。頭を抱えて愚痴を溢すアルテミスに、スピカは心配の相を浮かべた。

「あ、あの……。アルテミス様、いったいどなたに向かってお話を……?」

「はいスピカちゃん、別におかしくなった訳じゃあないので大丈夫。いや、今回は敵の能力が能力だからおかしくなるかもだけど。ほら、あれを見てごらん」

 何事もなかったかのようにパッと笑顔に戻ったアルテミス。主人の指差す向こうに視線を遣ると、何かに反射した陽光にスピカは眩しさで目を細めた。……上空には、飛行する球状の金属物質。それは、カストル皇子のステラ・実機連星アルテア——皇帝がザウラク捕獲の際にその勅令を伝えたものと同じ小型端末機だった。

「こっからユッピーに調査状況の実況しつつ、ちびアルテアで計測してもらうってわけ」

「ユ、ユッピーですか……」

 皇帝に対して怖めず臆せず叩く軽口。毎度のことではあったものの、そろそろ怒られやしないだろうか。そう渋い顔をするスピカを気にせずに、アルテミスはスタスタと歩みを止めない。そして後ろに続くアルテア端末機と、のそのそと猫背気味に歩くベテルギウスへ手を振って誘導する。その様は児童の遠足に誘導する保護者のようでいて、緊張していたスピカは張り詰めていた心が綻んだ。

「——ということでやって来ましたのはここ、アリオトの東。唯一残った絶景、巨大湖・『星の涙』〜!……の、はずなんだが——」

 その場にいる一同が言葉を失うのも無理はない。眼前に広がるは、海の如き広大な湖に非ず。

 ——そこに構えるは、鬱蒼と生い茂る樹木の壁だった。

「んだよコレぇ……」

「森、ですね」

「……森っすね」

「森だねえ……。植物の発育が確認されたって言ってたけど、ただの発育で済む話じゃねえな」


 ——アリオトの緑化活動。

 大戦の折に皇帝ユピテルが使用した、粛清兵器『ケラヴノス』——その凄まじい蹂躙の力は敵方のみにとどまらず、かの大地にまで変質をもたらすほどに及んだ。

 惑星ガイアは水・大気が維持できうるハビダブル惑星ではあるが、有機生命が存在し活発に活動できる別の最大特異性こそ、豊かな土壌形成だと言っても過言ではない。

 ——土壌。生物育成に適した、その一の環。

 それは単なる土ではなく、土中に築き上げられた微生物たちの生命の営みが紡ぐ肥沃の絨毯。すなわち土壌もまた一つの生態系群であり、惑星ガイアにおいて多種多様な生態系を構築している重要条件そのものだ。生命の大多数が必要不可欠な酸素を生成する植物の生育。その一助を担う、無数の分解者たち。無機物から有機物を、有機物から無機物を……。朽ちた動植物が星に還り、生まれめぐる恒久的サイクル——地上の生命たちが生きるために必要な元素を生み出す物質循環に、土壌は非常に欠かせない。三相を持ったその広大で極小極微の命でできた地上の銀河は、農業を始めとする生産活動といった人類の文化形成にも大きく影響を及ぼしている。

 その生命と文化の基盤を根こそぎ剥奪したのが、皇帝ユピテルの粛清兵器だった。

 汚染され死した土地には当然、植樹は叶わず。生態系破壊を良しとしない天士ユピテルは意図的に損害範囲をアリオトの地に限定させたものの、さすがに彼自身もこの惨状は案に相違していたようだ。珍しく焦ったユピテルは、荒廃したこの地に緑を取り戻さんと行動を急いだのであった。

 以上をもって、長期の計画を覚悟した帝国はアリオト土壌再生の取り組みに着手していくことになる。

 その活動の一部として、ミミズを宿主としている天士・ムーサに協力を依頼したのがユピテル本人だった。比較的温厚で、無害といえどもムーサたちは人を滅ぼす天士。高度な知能を持ち合わせていないとはいえ、ムーサたちが何をもって緑化活動に応じたのかは定かではない。しかし、土を肥沃化させる土壌生物とした彼らの宿主体こそ、生態系の循環維持と存続に大きな恩恵をもたらしている生命一群だ。

 天士は宿主無くては、この惑星では儚く消えるが定め。——かるが故に、天士が宿主先の生態様式に準ずるのは道理に適っているとも考えられる。

 ユピテルの目論みの結果、帝国の緑化活動は成功の兆しをすぐさま垣間見せた。

 大戦時に撤去がままならず放置されていた戦死・病死・餓死などで、命を失った者。また、ユピテルが定めた法を犯し刑を処された罪人たちの遺骸を、天士・ムーサたちの飼料にすることによって、その排泄物から土壌肥料化することに成功したのだ。

 死体の腐肉に集まる小動物を介した伝染病。その流行対策と、死体の安置・投棄場所の確保といった労力や感染リスク解消も実現せしめたのである。

 着々と成果を挙げていく中で、緑化という最大目標には五十年以上経った現在でも辿り着くのは容易ではなかった。

 それが、今回こうしてあっさりと——その上、突然成長速度が増した状態で観測された。

 となると、この不自然な状況下は詰まるところ、第三者による恣意的な干渉があったという証拠そのものである。


 振り返ったアルテミスは、後方に浮遊するステラ・実機連星アルテアに呼び掛けた。

「もしもし、ユピテル。俺だ、聞こえているか?ここホントに星の涙で合ってる?クソでけえ木がいっぱいの森しか見えねえんだが」

『聞こえているとも、我が友。ステラ・実機連星アルテアを通して視ているが、場所に問題はない。……ここは、アリオトの湖・星の涙だよ』

 間も無くしてすぐに、アルテアの端末機より皇帝ユピテルの声が発信される。

 執務、また天士に命を狙われているという都合上、帝都から離れることのできない皇帝ユピテル。彼は調査に赴いたアルテミスたちから情報を得るために、玉座よりステラ・実機連星アルテア本機と現地の端末機を用いた遠隔通信を行なっていた。

「どこがだよ。問題ありすぎるだろ……」

 アルテミスは驚愕に頬を引き攣らせたまま、改めて黒々とした森に向き合った。

 林立してどこまでも先が見えぬ広葉樹、針葉樹といった種類雑多に並ぶ樹木の海。自分の背丈、大柄なベテルギウスの身長ですらもゆうに超える木々の全長は、植物が観測されたここ数日にしては随分と大きさ——成長速度がおかしいのだ。

 また目線を下方に移すと、季節外れの野草が茂り、熟した果実が丸々と実って揺れていた。

 異質ともいえるこの状況。腕を組んで思案するアルテミスの側——スピカは手にしていた瑠璃色に光る匣を、腰元の革製鞄の中に手際良く納める。

「ステラ・パンドラでも座標確認しましたが、間違いなさそうですね……」

「ンア〜、マジか……了解。おいカストル。アルテアで上空から森を撮影して来てくれないか?ここの全体を把握したい」

『……請け負おう。』

 朗らかなユピテルとは対称的な、感情の乏しい調子の声が届く。アルテミスの要求通り、カストル皇子は遠隔操作でアルテアの端末機を上空へ飛び立たせた。しばらくしてアルテミスたちの元へ戻ると、付近に転がる遺跡の一部——金属材質でできていると思われる壁に映像を投写する。

 当の映像を確認したアルテミスは深い嘆息を漏らす。そしてこめかみに一条の汗を浮かべたまま、不敵に口元を歪めてみせた。

「——こりゃあ、またとんでもないことになってるじゃあねえか」




 ——時は遡り、一日前。

 敵性天士が潜む拠点の詳細を皇帝ユピテルより告げられたアルテミスは、城を出て朝まだきにスピカとベテルギウスの副官二人とフェクダで合流した。

 各大公領地を繋ぐ、国内で最長最大の一本の街道——通称・琥珀街道。東へ駆ける馬車に揺られる中、その手綱を握る主人へスピカは話しかけた。

「あの、アルテミス様。アリオトに適性天士が潜んでいるとのことでしたが……どうして、アリオトだとおわかりになったのですか?」

「ああ、うん。まだスピカちゃんたちには詳しく話してなかったな。……お、ありがとさん」

 スピカから携帯食用の干し芋を受け取ったアルテミスは爽やかに微笑むと、遠慮なく齧り付く。唾液に含まれる消化酵素によって澱粉質が変換された糖質。その甘味が、軽く塗された岩塩によって引き立ち、芋の香りとともに口の中に広がった。満足そうに頷いて咀嚼するアルテミスに、スピカは年頃相応の笑みを溢す。朝食も摂らず出立しただけに、わずかな量でも腹の足しになったようでスピカは安堵した。

 隘路・長距離移動に特化したメラク産の大型種の馬が引く、四輪の幌馬車。その荷台には先日まで国に納めるための自領生産品を積んであったのだが、納め終わり引き返す今では着替えを含めた旅荷がいくつか残るばかり。そして、少々手狭な部屋も同然の広さになったのをいい事に、堂々と横たわるベテルギウスの巨躯が荷台を占領していた。

 アリオトに着くまでの道中、戦闘を控えていることもあり休息を取るよう促されていた副官両名。寝つきの良いベテルギウスはすぐに寝入ったものの、スピカはキュルキュルと止まぬ騎手の大きな腹鳴に耐えかねて差し入れを手渡したのだった。

 朝の冴え冴えしい風が、少女の額と鼻頭をくすぐる。

 運転席は、およそ三名ほどの成人が横に腰掛けられる余裕の幅があった。立ちっぱなしもなんだ、と席を詰めたアルテミスはポンポンと座面を叩いて、世話焼きの少女に、隣へ腰を下ろすよう子供っぽくはにかんで見せる。一方のスピカもまた、慕う主人の厚意へ素直に甘える事にした。

 戦いの前の、穏やかな時間。薄雲走る朝焼けの空には、羽ばたき飛ぶ鷺の白が美しく映える。耳をすませば、ベテルギウスの静かな寝息のほかに、若草がそよ風に揺れてさらさらと一日の到来を歌っていた。

「帝都に近づくにつれて気温が高くなってるのは——スピカちゃん、君も感じたよね?先の星剣会議で皇帝や各七星剣に確認したんだが、この異常気象に見舞われてる地域は人口集中率が高いほど……人間の居住地域への被害が、特に目立ってることが判ったんだ」

「天士は人間を滅ぼすことを理念の第一としているから、ですね。……なるほど。ですが、同じく住民もいるベネトナシュには、そう言った影響は見受けられませんでしたよね?」

「うん。鋭いね」

 勾配緩やかに続く一本道。元々は、貿易に利用されていた大きな街道。かつての人の賑やかな往来は跡形もなく、この琥珀街道を利用すると者といえば、今は配給物資を運ぶ歩荷や馬車・荷車の車両配送といった運搬を担う人々がほとんどだ。

 彼らから見て向かって左に、赤く点滅する四辺形の光灯が浮かび上がる。ここから先は廉貞・ポラリスの大公領地アリオトであることを示す標識だ。次第に人家も減り、琥珀街道の道幅もこの地点を境に広くなっていく。

「当初は俺も、ベネトナシュの領民割合のうち約九割が半天士だから、敵の天士もこちらを同類に数えて見逃してるのかとでも思ったんだ。……だが、ちょいと事情が違ったようだ」

 アルテミスはスピカに腰鞄を開けるよう指示をした。そこに入っていたのは、この帝国——その広大な島国全体が描かれていた地図だった。

 麻布の地図を広げたスピカに、運転に集中しつつアルテミスは説明と自身の見解を続ける。

「大戦以前は、このアリオトとその先は元大国エリュシオン領だったことは知ってるよね。アリオト・ミザール・ベネトナシュ——。この三つの区域のうちアリオトを南東へ進めば、武曲・カストルの治める大公領地ミザールが。そのさらに先に俺らのベネトナシュがある。……何が問題だったかというと、実はミザールにも異常気象の被害が確認されなかったらしいんだ」

「それってつまり……」

「そういうこと」

 そもそもアリオト自体が人が住める環境では無い。とはいえ、こうも気持ちよくアリオトから北方面にばかり報告が集中していれば答えは自ずと限られる。

 消去法ではあるが、天士・ムーサの変異や成長異常植物の観測などが事実としてあるあたり、正確性はあると見て間違いはない。ベネトナシュがもしアリオトより北の方へ位置していた場合、容赦なく同じ被害に遭っていたというわけだ。農作を主な生産活動としているベネトナシュにしてみれば、作物の収穫推移変動にこうも極端に手を出されては、流石に堪ったものではない。

 “——君の自領が、帝都から最も遠くて良かったね。“

 会議時に散々不満を言い散らかした自分へ、そう皮肉を込めて笑ったユピテル。いや、あの様子からは皮肉のつもりは微塵も無かったのだろう。親友の悪気のない煌く笑顔がちらついたアルテミスは、わざとらしく大きく舌打ちをしてみせた。




 禁域地帯アリオトの、湖『星の涙』に到着したアルテミス・スピカ・ベテルギウスの一行。しかし湖とは形容し難いこの状況に、彼らの後ろを同行していたステラ・実機連星アルテア端末機に森全体の範囲の撮影を依頼したアルテミス。アルテア端末機より撮影された航空画像には、確かに湖の姿は在った。だがしかし、その実態は湖を囲うように巨大な森が円環状に広がっていたことが判明する。

 以上の結果から、三名は思案投げ首のうちにただ立ち呆けていたのであった。

 

 ——調査の方針を、今一度見直さねばならない。

 アルテア端末機越しに皇帝たちの詳しい計測結果を待っている間、アルテミスたちは手持ち無沙汰となっていた。

 所在なく待ち飽きて座り込んで眠ってしまったベテルギウス。そんな彼を横に、スピカはふとした疑問をアルテミスに投げかける。

「敵性天士の拠点がこの星の涙ということは分かったのですが、ただでさえこの広いアリオトの中……皇帝陛下は、一体どうやって敵性天士の居場所を突き止めたのでしょう?」

「あ、そういや聞き忘れてたわ。……ユピテル。今少し話せる余裕はあるか?」

『構わないとも。計測結果の詳細な演算については正直、カストルがいれば間に合うからね』

 そう優しく答えたユピテルは、端末機に映された湖の全体画像と、自分の総身映像を通して二人に仔細を説明する。

『まず星の涙が敵の拠点と仮定した第一は、アルテア端末機の不具合と破壊の発生だ。アリオトに設置してあった三機のうち、星の涙付近の一機からの通信が途絶えたことから、調査のため、星の涙へ新たに追加機を導入したのだけれど——』

 ムーサ含めた天士が未だ潜む魔境・アリオトの地。人と天士の共存共栄を思策するユピテルは、それに反する天士の監視のために帝国全域の一部にアルテア端末機を設置していた。……また、この端末機の設置は帝国民の不和の兆しを見張る意図も込められている。加えて、アリオトにおいては緑化活動の観測も目的の一つだ。

『森……と言っても、はじめは植物の発芽だけだったのだがね。それを最後に、観測できたのは残った記録からして約五日前というところだ』

「ちょうど、ザウラク公の事件と時期が被ってるっちゃ被ってんな。……残った、ということは残らなかった記録もあるのか」

『ああ。詳細な分析を得るために湖へ近づいた途端、突然連絡が切れたのだ。……それだけではない。回収した端末機の記録もまた、閲覧不可能にまで破損していた。記録した情報の回復と復旧には、時間がかかると思われる』

 天士・ムーサとエピメテウス。彼らと相対した時、ステラ・パンドラの戦闘補助機能がうまく働かなかったことをアルテミスは思い出す。敵性天士の異能による妨害か。または内部破壊と情報記録への干渉を危惧したステラ・パンドラが、自らに機能制限を課したのか——。

 何れにせよ、湖を守るように発生するこの森の形状から、敵は星の涙を拠点としていることに違いない。

「第二の理由は?会議の時に、相手に心当たりがたくさんありすぎるっつってたよな。それもこの湖に関連あるのかよ」

『それも含めてこれから話をしようとしていたところだ。……君たちは、この湖・星の涙の成り立ちを知っているか?』


 ——星の涙。

 人類の脅威たる天士の中でも、最古の天士にして第一降臨者・ヘルメス——異称、『有翼の使者』が惑星ガイアのこの地に衝突して出来たのが、この巨大湖だと言われている。

 湖の水は一見して真水に見えるが、その成分のは多くは鉄や亜鉛の他に未知なる有機物や金属物質が占めていた。

 ユピテルたちの調査によれば、第一降臨者ヘルメスは金属が主成分の岩石と、氷に混じる微生物が本体とした小惑星由来の隕石型の天士だったと予測されている。……今現在、大多数の天士を把握しているユピテルですら、この天士についてはこれ以上調べることができなかった——謎に包まれた天士である。

 当時は海中にあったとされるアリオトの地。そこへの衝突の際に生じた衝撃で海水は蒸発。また高熱量で海水と地表に化学変化が起き、独特の地形と地質・水質を有した湖を形成したという。古来よりエリュシオン民たちの間で、この湖水は人体にも有害であると同時に、天士にとっても毒性を持つことが伝わっていた。その後、皇帝ユピテル、文曲・ポルックスと武曲・カストルの双子皇子。そして廉貞・ポラリス四名による最新の研究で、この湖は最古にして最大の湖型ステラであることが解明されたのであった。


「星の涙の由来はわかった。だが、肝心の敵性天士に関しての心当たりとなんの関係がある?」

『ちょうど今朝、結果が出てね。ザウラク殿やその部下に寄生していた肉腫——その表面に付着していた成分が、星の涙の水質に含有しているものと一致したのだ』

「ほ〜ん……。大当たりってやつか」

 事を分けて話したユピテルに、アルテミスは心得顔で呟いた。

『然り。加えて、天士エピメテウスの肉体もこの湖に沈めた記録が残っていたことから、星の涙に潜んでいる肉腫の本体——。その天士こそ、エピメテウス復活へ関与した者でもある可能性が非常に高い』

「何……?」

 アルテミスは、柳眉を逆立てて憤った。

 破軍にとって知る敗国最後の王子が迎えた悲劇は、自己犠牲からなる獄中衰弱のみ。……かの満身創痍の少年が湖底へ身を沈められたことを初めて耳にしたアルテミスは、厳しさを湛えた剣幕のままユピテルへ詰め寄った。

 しかし。突如として、アルテア端末機より金の熱線が照射された。その熱線はアルテミスのすぐ脇を掠めたのち、足元の小石を粉々に砕く。一瞬の出来事にスピカは一歩遅れて身構えるも、アルテミスは臆する事なく端末機の前に立ち塞がった。

『……無礼極まる事…この上ない……。……皇帝陛下の御前だ。……身の程を…弁えよ、破軍・アルテミス……。』

 アルテミスの詰問を遮ったのは、意外や今まで沈黙を貫いていたカストル皇子だった。

「カストル、貴様——」

『……総大将エピメテウス……。その処刑を…実行したのは…ミザールの剣たる……この私だ……。』

「それでも、指示したのはユピテルに他ならない。そうだろ、カストル……ッ!」

 義憤を滲み出すアルテミスに、悠揚として迫らざる態度のままユピテルは釘を刺した。

『エピメテウスは非常に強力な天士だった。彼一騎だけでもこちらに多大な犠牲を払ったのは、君も知っているはずだ』

 やっと捕縛に成功したとは言えども、ああでもして極限まで弱体化させなければ、下手すれば全滅していたのは旧オリュンピア連合の方だ。——ただの、か弱い幼子の皮を被った天士ではない。その手強さは、エピメテウスの精神性が幸い人間寄りだったこともあり、エリュシオンの民の保護と和を講じる旨を持ちかけてようやく拘束できたほどだった。

 皇帝ユピテルの重ねる反駁に、アルテミスも理解は示していた。だが、それは本当に正しい選択だったのだろうか。綺麗事で全てが解決できるとは、アルテミスもまたユピテル同様思ってはいない。

 しかし——。あの幼く小さな体一身に……万斛の恨みを抱かせるほどに。彼は、エピメテウスは塗炭の苦しみを味わわなければならない必要があったのか。

 そう逡巡するアルテミスの鼻腔に、覚えのある香りが走る。

 ハッとしたアルテミスは、香源の方角へ振り向いた。……凝視する先は、かの星の涙を囲い覆う黒き森。

 さっそくのうちに、危うく敵の傀儡になりかけていたことに気づいたアルテミスは乱暴に頭を掻き毟る。そして両頬を強く叩くと、改めて端末機——ユピテルのもとへ向き直った。

「……今、過ぎたことにイチャモンつけてる場合じゃねえのはわかってる。確認だが、エピメテウスの他に沈めた天士ってのが俺たちが追ってる奴なんだろう?その正体はどんな奴だ」

 問い質すアルテミスに、珍しくユピテルは押し黙る。ついにこちらも壊れたか、と心配したアルテミスだったが、嫌な予感が胸中を襲う。

「まさかとは思うが皇帝陛下。どいつがどいつだか特定できないほど、たくさん沈めていらっしゃる……?」

 辞を低くして訊ねたのも束の間。

 相好を崩し沈黙をもって肯定するユピテルに、アルテミスは呆れて悔し涙を流しながら項垂れた。

『まあまあ、そう落胆するな。……天士にとって猛毒の湖からエピメテウスを引き揚げた者こそが、この一連の元凶であり黒幕だ』

 つまり、この湖水をものともしない——もしこの湖に順応できるとすれば、好熱菌・好酸菌・嫌気性細菌の要素を併せ持つ生物由来の天士だ。そう考えれば、自ずと範囲を絞ることはできる。

 立体映像の皇帝が、高らかに驀進を叫ぶ。

『破軍・アルテミス。そして副官スピカ、ベテルギウスに命じよう。これから諸君らは森へ向かい、敵性天士の特定に繋がる鍵を調べてきて欲しい。調査が終わり次第、すぐに引き返して準備を整える。……天士を叩くのは、それからだ』

 戦衣に身を包んだ三戦士は、口を開けて蠢く闇の森に向かって歩みを進める。湖にはまだ極力近づかないように、という皇帝の忠告を反芻しながら。

 ……天士の正体が未だ掴めぬ以上、今回の任務はあくまで森林の調査のみ。


 天士の脅威度は恐らく、黄金か。あるいは、それすらも遙かに凌駕する何者か——。


『重ねて勅令を下そう。此度の出撃はあくまで偵察目的ではあるが、万が一の場合は戦闘も避けられない。破軍・アルテミス並びに副官両名は、それも視野に入れて調査に向かうが良い。……友よ。汝の健闘を、心より祈る』


 皇帝の激励を背に、漆黒の戦士は裂帛の気合いを込める。

 

「——調査開始だ」

 

 決然としたその足取りは牢固を讃える城塞の名の如し。

 まっすぐ見据えた射干玉の双眸には、鬱勃たる闘志を燃え上がらせていた。

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