第九節 ◆毀れた刃2/狂乱 ザウラク

 ――腐りかけた血臭を孕んだ砂嵐が、色褪せる荒野の丘を蹂躙する。


「ああ……ああ、なんて憎たらしい…!勇ましきメラクの戦士を、星へ還すことすら叶わず灰塵にした手の天士!!

 ――そして、我が娘の何もかもを奪い尽くしたあの男……ユピテルが、我輩は、憎くて仕方がない……ッッ!!」


 猛る嵐の中心――醜い黒く濁った肉塊を背負う男の嘆きは、悲しみは、未だにとめどなく溢れるばかりか底を尽きることを知らない。

 そんな視界が定まらぬ中、我を失ったザウラクの前に突如として銀に瞬く光輪が展開された。


『――敵性対象の解析、中断。使用者による召喚命令暗唱、省略。……ステラ・アイガイオン、起動します。』


 凍てついた女の声のもと、砂埃舞う暴風より人影が浮かび上がる。人影を囲んだ白銀の光輪は縦三本に分裂……光塵となって拡散すると、やがて横に三層の銀冠を形成し、球体の障壁と化していく。

 白銀の氷晶は周囲に冷気をもたらし、ザウラク、そして肉塊の巻き起こした砂嵐を閃光と共に上空へ消し飛ばした。

 上昇した砂は気流に乗って流れていったものの、腐臭は依然として止まることは無い。

 嵐を掻き消した球は分解され、再び小さな光を煌めかせながら銀冠の形状に戻っていく。……その輪の中にいた黒髪の戦士――破軍・アルテミスは、息を切らせた様子で姿を現した。

 ザウラクの慟哭を糧として無尽蔵に周囲を貪らんと収縮する肉塊を、アルテミスは汗をぬぐい睥睨する。

”クソ、クソクソクソ……ッ!しくじった――!”

 顔を歪ませたアルテミスは口内に入った砂と荒げた呼吸を吐き出し、焦りに胸を掻き乱される。


 ――アルテミスは、暴走したザウラクの戦意喪失と懐柔に失敗した。

 香肉の天士と思しき肉塊に操られたエピメテウス、そしてザウラク公。

 彼らの理性を取り戻す鍵として、アルテミスは家族についての話題を出したものの、それは失策に終わった。

 なぜならば、両者はその家族自身をユピテルによって奪われている遺恨があったためだ。エピメテウスは比較的精神が幼かった故に、邪魔が入らなければあと一歩で救いの道は開かれたはずだった。……だが、ザウラクは違う。

 成熟した人の心の闇は、幼心の無垢よりも混沌に満ちており遥かに御し難い。

 ――普段のアルテミスであれば、この程度の注意を欠くことなど滅多になかったことだ。

 しかし、そう為らざるを得なかった条件を作り出した元凶を、アルテミスは苛立ちに地を蹴って正視する。

 ……ザウラクの背中を突き破って出現した肉塊。

 それはどす黒く染まった血液、または体液が飛沫を上げつつ、緩やかに芽吹いていく。一見して植物——花の蕾に近い肉塊は、プロメテウス遺跡がある「大王の腹」で討ち取った天士ムーサの奇形種と非常に酷似していた。

 生まれたばかりの仔牛ほどの大きさの肉塊は、ザウラクの怨嗟と連動して徐々にはち切れんばかりに未だ肥大化を止めない。

 やがて肉塊は先端が裂け始めると、内膜を赤銅色に発光しながら覗かせていく。

 不気味に光る赤い襞より、あの忌々しき腐臭がより強く放出される。それは鼻腔を通り越して、脳を侵さんとアルテミスの周囲へ闇色の靄となって漂い始めた。

 アルテミスは腐臭の侵入を防ごうと再度、自分の袖に鼻を埋める。


 人の心身状態の在り方には、視覚・触覚・味覚・聴覚――そして、嗅覚の五感もまた密接に関係している。

 エピメテウスとザウラクは、この異様な芳香を放つ天士によって精神を操作されているとアルテミスは考えた。……五体満足のザウラクと異なりエピメテウスは鼻を失ってはいたものの、嗅覚は健在だった。加えて天士ムーサもまた、もともと巨大な全身の皮膚すべてに嗅覚器官を持った生物である。

 つまり、芳香によって脳を支配し、意思を捻じ曲げ傀儡にすることこそが肉の天士の能力であるのだ。……辺りを漂う謎の靄の正体も、行動を制限させようと脳に見せる幻覚の一つ。


 ――アルテミスは、嗅覚麻痺による認識異常から逃れるために自身の体臭を嗅ぐ。

 そして、嗅覚の機能を初期化すると冷静さを取り戻したのだった。


『警告、前方の人間――個体識別、ザウラクの肉体より天士から発せられる微量の変異電磁波を感知。』

 ステラ・パンドラが、赤い点滅を伴いながらアルテミスへ再び警戒を促した。


 ――天士には寄生段階において二つの異なる種類が存在する。

 まずは、寄生先の宿主の肉体を手に入れると、真っ先に故郷の星にいた本来の姿のものへ中身と外見を作り替える、いわゆる――早期に変異し「転身」するもの。

 そして、外見――外装は宿主の姿を保ったまま、骨から内臓の全てを天士に作り替え、後に自身の意志で姿を転身させるものがいる。……エピメテウスを後者とするならば、この肉塊の天士は前者の早期転身をする天士である可能性が高い。

 天士はこの転身変異の際に、特殊な電磁波を放出する。独立した一個の生命の肉体を、異星のものへ侵食し新たに作り替えるのだ。

 その時、天士たちは強力なエネルギーを消費し電磁波を発生させるのだと考えられている。


 アルテミスの元へ、またもザウラクの砂嵐が牙を向く。

 塞がらぬ背の傷から溢れ出るザウラクの体液――その固めた砂で円錐に形作った連弾。黒く濁った幾つもの鋭利な泥槍を、ザウラクはアルテミスめがけて発射する。

 アルテミスはすぐさま展開したステラ・アイガイオンを円形の盾に変形させ、その猛攻を弾いて駆けると腰元のパンドラへ助言を求めた。

「だろうと思ったよ、こん畜生ッ!……パンドラちゃん、天士の詳しい情報を!!」

『――承認。敵性対象天士は、およそザウラクの脊髄上部から後頭部にかけて寄生……背筋を巻き込み球状の肉腫を形成。脊髄から特殊なたんぱく質を注入し、髄液を通して脳を支配する際に、髄液を含め体液全体を変質させた結果が異臭を発生させていると思われます。

 あの体液や異臭は、ステラにまで汚染の可能性があるためこれ以上の探知――加えて、破軍・アルテミスの命令応答時における個別愛称は効率的にも非推奨です。』

「……相変わらず、つれねえなあ!!」

 軽口をたたくアルテミスを、瞋恚に面相を崩したザウラクの大きな両腕が砂塵の中を割って襲い掛かる。……無手で襲い掛かるその様は一見して粗雑で荒々しいものの、狙いは非常に正確でいて、アルテミスの首を圧し折らんと迫り来る。

 しかし、その猛撃を見切ったアルテミスはザウラクの突進を屈んで左転することで回避する。そのまま回転の勢いを利用し素早く背後へ回り込み、すぐさま助走をつけて左脚を地に踏み込むと、跳躍して肉腫の前に躍り出た。

「少年と公を蝕んでいたのは、貴様か……ッ!」

 ――アルテミスの手に金色の粒子がステラを出現させようとした、その瞬間。

 肉腫を守るべく、ザウラクの泥の槍……その四本がアルテミスを捉えて発射された。

 だが、それより早く展開されたステラ・アイガイオンの障壁がアルテミスの身を守る。泥の槍と、氷花の盾――ぶつかり合ったその衝撃によって、アルテミスは大きく後方に間合いを取る。

「……くっっっさ!!」

 蹈鞴を踏んで体勢を立て直したアルテミスは腐臭からの吐き気に咳き込むと、胃液に混じった口の砂利を嘔吐する。

『……使用者・破軍に警告、重ねて警告。

 敵性対象天士と思しき肉腫および宿主に変異途中段階である人間の体液や瓦斯は、肉体の神経系統と精神に有害。解析の段階では、ステラもまた汚染の可能性が――…』

「待て待て待て、変異途中…?

 ……パンドラ、それってもしやザウラク公はまだ天士にはなってないってことでいいのか⁉」

『……肯定。ただし、現段階での上だという前提をお忘れなく。』

 しばらくの沈黙の後、そう答えたパンドラにアルテミスの黒の瞳に焔が宿る。

「……よし!!」

 太ももを己が拳で叩いて気合いを入れたアルテミスは、再びザウラクに向かって突き進む。

 ――疾風迅雷。その韋駄天の進行を阻まんと、砂の砲撃はさらに勢いを増していく。

 しかし、負けじとアルテミスもまたステラ・アイガイオンの出力を惜しまない。

「ザウラク公!お気を確かに……っ!まだ寄生段階が深くない今なら、貴公は助かる確率が残されている!その背の天士に身を、心を委ねるな……!」

 弾き飛び散る黒濁した血の泥濘。

 そして、ステラ・アイガイオンがぶつかり合う衝撃音。

 それに掻き消されぬよう、アルテミスは砂塵が口腔に入るのも構わずに雄々しく叫ぶ。……その必死の声はやがてザウラクに届くと、肉塊に蝕まれた男は愛剣を天高く振りかざす。

「助かる?助かるだと…?元より皇帝の勅令で我輩を追って来た分際で何をほざくか……ッ!」

 咆哮と同時に地に振り下ろした剣。ザウラクは、それを腐り果てた己の血に濡れる地へと深く突き刺した。


 ――大地が震え、大気が轟く。


 火柱ならぬ泥の柱が天まで迫り上がると、その凄まじい衝撃は何者であっても寄り付くことを許さぬ拒絶の壁となった。

 ――天に昇った泥濘が、針の雨と化して降り注ぐ。

 ムーサの星の弾丸と比べて威力は低いものの、この雨は範囲が狭く目標に照準を合わせやすい。追撃能力を得た上、天士に汚染された体液が混じった泥を浴びればたちまち肉体は腐敗に侵される恐れがあった。

「我輩を凡夫と嘲笑うか、破軍……ッ!天士ムーサの対策としてでも、奴らは人間のみしか数えられぬ!このアリオトをベネトナシュから馬や馬車も無しに徒歩で越えようなどとは、さすがに蛮勇を通り越して無謀にも過ぎるというもの…!!ましてや、先を急いでいたというのなら尚のこと——愚者ですらわかるわ!」

 嚇怒したザウラクは雄叫びを上げる。……その怒号はやがてザウラクの肌を、血管を蜘蛛糸に似た網目が張り巡らし、肉体は赤黒く染め上げられ、腐臭が周囲を満たす。

 彼が怒りと苦痛に囚われれば囚われるほどに、肉腫によるその侵食は増幅されていった。

 アルテミスはザウラクの解放と救出のため足掻くものの、洗脳されているとはいえ肝心の本人が拒み続けることからなかなかそれが叶わないでいた。

 加えて、この汚染された泥はザウラクの体液を素としている。つまり、長期戦は彼の寿命をより減らすだけだ。

 ――それだけではない。

 ステラ・アイガイオンは、周囲の空気中に含有する水分を吸収して冷却し、細かい氷の粒子を生成させる極小サイズの金属球型ステラだ。氷粒を幾層にも繋げ、その場に応じて自由に変形させることが可能であり、泥の砲撃への防御形態もそれを応用したもの。

 肉腫を通してザウラクが放つ血泥の水分だけを瞬間冷却し、無効化した後にただの砂へ戻すのだ。

 ……ステラ・アイガイオンそのものも、間接的にザウラクの命を削っているということになる。

 人間は、体内含有水分量のおよそ三分の一を奪われると命の危機を迎えるという。……ザウラクはその倍以上、これだけ膨大な量の体液を失えば通常の人間なら即死に至る。

 ――ザウラクの生存が未だ保ち続けていられるのは、皮肉にも宿主の損失を恐れている馨しき肉腫との生命力の交譲作用によるもの。

 アルテミスは文字通り、手も足も出ない状態だった。

「ぐ……っ!!」

 ザウラクの攻撃の激しさに、最小限に留めていた氷壁をやむを得ず自分の周囲へ囲み展開したアルテミス。煌めく銀の光砂は三層から成る球状結界と化し、腐った泥、侵食の香気——使い手を穢さんと襲い掛かるもの全てを遮断する。

 しかし、やがて泥はステラ・アイガイオンの凍結速度を上回ると、蠢く蛭のように氷の水晶玉を覆いつくす。

 アルテミスはザウラクを気にかけた末に出力を見誤り、ついにステラ・アイガイオンの第一層は破られた。

 儚く砕け飛散する銀水晶の、軽やかな音色がアルテミスの鼓膜に響く。開けた視界、ひび割れた盾の向こうにいたのは、爛れた無貌で穏やかに微笑む醜き巨躯の異形――。

「だが――だが我輩は敢えて今一度、再び貴殿に問おう。

 破軍・アルテミスよ。このメラクのザウラクにその手を貸していただきたい。我輩と共に皇帝――いや、天士ユピテルを打倒するのだ」

 目の前の巨獣は、手の名残すら見つからぬ奇怪な触手をアルテミスへ差し出す。……だが、その尊敬と親愛を込めた優しき眼差しと声だけが、ザウラク唯一の面影を残していた。

 ザウラクの誘いに顔を顰めたアルテミス。腰元のステラ・パンドラより湧き出でた金色の粒子が周囲に浮遊し、アルテミスの側へ集まると次第に剣の形を成していく。

 球体の鍔に、握りを筒籠手で覆われた柄の異剣。薄く垂直に伸びた藍色の刀身に、小さな薄紫の花紋様が施されている。装飾性に富んだ武具でありつつも、その殺傷能力の高さがうかがえる意匠が特徴的だ。金に輝くそれはやがて右手に収まり、アルテミスはザウラクの言葉の真意を検めた。

「――それは、このアルテミスがユピテルの親友だと知った上でのお言葉か?」

「そうだ。そして、その親友に対して貴殿が疑心を抱いているということも」

 ザウラクの断答に対し、アルテミスは言葉を詰まらせる。

「破軍・アルテミス、ご自身が仰ったのではないか。”ここはユピテルすら寄り付かぬ”と――」

 乾いた風が丘を凪いだ。

 荒廃し、瑠璃に輝く姫君の名を冠した宮殿の威光すら失われたパンドーラ遺跡。星光によって地に落とされた大小二つの影……そのうちの一つ、大きな影が揺らめいた。

「貴殿ほどの手練れ。その気になれば、ひとり闇より我輩を討つことなど造作も無かったはず。

 しかし、我が話に真摯に耳を傾けてくれたばかりか、おのが領地まで我々の保護を請け負わんと手配した。

 ……ユピテルをそこまでして出し抜こうなどとなると、ほかに理由はあるまいて」

「なんだ、私と手を組もうなどと貴公の方から提案してくるとはな。……私を人でなしと仰り、天士を憎悪する公がまた一体どんな風の吹き回しだ?」

 アルテミスが目を細めて質す。

 ザウラクは未だ気丈を保っているアルテミスへ以前と変わらず快活に笑ってみせた。

 しかし、爛れた口蓋によって奇しくもそれはぐぶぐぶと泡を噴き出し狂気を孕む。

「……然り。だが、貴殿が示して見せたのだぞ?天士にも話が分かるやつはいると。――それに何より、あのお方が託したのだ。”破軍・アルテミスは、この見せかけの平和な世界において私が一番信じられるひと”、だとな」

 アルテミスは握りしめる柄に力を込めた。


 ――ザウラクの語る「あのお方」。

 その正体と立場を知るアルテミスは、ザウラクに追い打ちをかけられていた。件の協力者をザウラクは意識的に、または無意識にも交渉の盾……実質的な人質として、アルテミスに対し身の振り方を自覚させんと念を押す。


――選択の余地は無い。

――拒否の意志さえ、与えない。


 そう訴えるザウラクの赤銅色の双眸は、口を噤むアルテミスの姿を捉え微笑んでいた。

「……観念したよ。あーあ、バレてしまったのならば否定はしないさ。図星ってヤツだ。

 私——いえ。俺は、ユピテルが治めるこの世にしこたま不満を持っている」

 肩を竦めそう白状してから、嘆息を漏らしたアルテミスは両腕を挙げる。そして、右手の籠手剣型ステラ――ステラ・アドラステアへ戻るよう名と共に告げると、剣はその形を紐解かれる。

 恭順を示し、丸腰になった破軍の姿に頷いて満足するザウラク。それを見遣ったアルテミスは、ささやかな反抗を込めて先程の問いの答えを口にした。

「――だが、エピメテウスの核は渡せない。彼は、ザウラク公が仲間たちの仇と憎む天士であることに変わりはない。しかし、彼もまた公と同じくユピテルを敵とし、最後まで孤独に戦い抜いた者。俺は、彼の信念と生き様に強者として敬意を捧げたのだ。

 エピメテウス無くして、あの白亜の雷帝へ剣を届かせるには我らだけでは力が及ばないだろう」

「……いいだろう。業腹ではあるが、城塞にそこまで言わせたのだ。手の天士については、そちらにお譲り致そう」

 固く断じたアルテミスに、ザウラクは意外にもあっさりとその希望を受け入れた。

 それもそのはず。ザウラクにとって一番重要かつ当初の目的である破軍・アルテミスが仲間になることが叶ったのだ。今や、エピメテウスへの執着は二の次であった。

 エピメテウスを諦めさせる事に関しては解決したものの、やはり肉腫からの洗脳は困難を極めた。加えて彼の肉体は転身のための変異と腐敗が進行し、既に人のものからかけ離れてしまっている。

 ――これでは、もう元の姿に戻ることすら叶わない。

 それでも、一縷の望みを懸けて。せめて、心だけは人として――ザウラクを、完全に天士へなんて渡してやるものか。

 冷酷な決意に拳を握りしめる。心の隅に残る逡巡を打ち消さんと、指の骨が軋む。

 アルテミスは、ザウラクの目を真っ向から見据えて微笑んで見せた。

「こちらからも貴公に問いたい、ザウラク公。

 俺と組んだとして、いったいどうやってあの男を倒すつもりなのだろうか。あいつはそんじゃそこらの天士より遥かに格上だ。……いや、比べること自体が馬鹿馬鹿しい。

 人の形を取り繕ってはいるものの、ユピテルという存在自体が、頭のてっぺんから爪先一本まで生きた大災害にほかならん。――そんな相手に、ただ感情的に猛って闇雲に突進したところでステラがあったとしても塵芥同然に薙ぎ払われるだけだ」

「もちろん、この身ひとつでわざわざ死にに参ろうなどとは最初から思っておらぬ。

 ……智謀には策略を。人には天士を。天士にはステラを――厚き信頼には、それを覆す裏切りを。」

 眉を顰めたアルテミスへ、ザウラクは不遜な笑みを投げかけた。

「我輩は、このオリュンピア帝国の全国民へユピテル帝の正体を知らしめる」

「……!」

 ザウラクは本気だった。その覚悟に満ちた眼差しは陰ることすらなく、おのが大義に燃え盛る。

 黙したアルテミスにも構わず、彼はさらに詰め寄った。

「かの白亜の雷帝は、我が叛逆を徹底的に秘匿しようとしてみせた。……貴殿を秘密裏に遣わせてまでな。——なぜか?全国民に知れ渡ると困る瑕疵があったからだ。

 しかし、それはおのが正体、天士の存在のみにはとどまらぬ。……故に知らしめるのだ。奴の真なる悪業を、人類へもたらした災厄を打ち砕く……そのためにも――!!」

「ザウラク公——貴公は、あの男の目的をどこまで知っている……?」

「……貴殿が我輩の隣に並び立ってくれるのならば。

 我が手を取った暁に、諸悪の根源にあらがう同志として我輩が知る全てをお話しすることを約束しよう」

 腐臭が、眼前に立つ泥肉の男を心身ともにさらに蝕んでいく。

 アルテミスの目の前に、腐った肉の丸太が突き出される。真皮すら溶け堕ち、露出した青肉は泡立つとパチパチと弾け散る。噴き出した体液は足元に滴り続け、汚濁溜まりを作り上げる。

 答えを待つザウラクを前に、アルテミスはその射干玉の双眸を静かに閉ざす。


「……そうか。では――」


 予備動作すら見せなかった、わずか一瞬の時間。

 差し出したザウラクの手を斬り落としたのは、金色に輝く一振りの光の束であった。


「この破軍・アルテミス。貴公に協力するその願い――丁重にお断りいたします」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る