第37話 生命の流れ3


「お前は何か勘違いしているな」


「……何?」

「俺たちが石化したルカを壊そうとしていると思い込んでるみたいだが……よく見てみろ」


 アイザックの指さした先にあるルカの石像は、まだ地表に浮いていた。

 確かにおかしい。破壊するならとっとと沈めて圧砕すればいい、こんなに手間のかかる仕事ではない。


 聖水と交じり合って液状化した地面は、仄かな光を帯びて渦を巻いている。その渦の中心を、石像が何故か沈みもせず浮かんでいる。


「お前の魔法体系とルカの魔法体系は真逆だ。生命の流れという同一の現象を対象にしながら、一方はそれに抗い、もう一方はそれに身を任せている」

「だから何だというのだ」

「どちらが間違っているというわけではない。けれどそこにある力を打ち消すことなく利用するという点では、ルカの理論のほうが優れている」


 その会話の中で、ガルラ・ヴァーナは気付いた。ただの物理現象でしかない聖水の渦が、生命の流れそのものとつながっていることを。


「上流から下流へと、力を加えなくても川が流れていくように、生命の流れ自体もエネルギーを持つ。ルカはそれをある種の推進力として応用できないかと考えていた。この魔法をより幅広く使えるものにしていくために」


 アイザックはそういうルカの考えについて説明を受けただけで、結局その着想がどのように帰結したのかは分からない。

 彼自身が会得した術にその理論は適用されていなかったので、おそらくどこかで行き詰ったのだろう。

 だが彼は聖水を使って戦うというカタリナの戦闘スタイルを完成させたとき、もしかしてこの理論が使えるのではないかと考えた。


 聖水は水の流れと生命の流れを同時に持つ。術者はこれに逆らわず魔法を放ち、流れの終着点にいる標的を射抜く。

 "流れ"とは物理法則にも等しい世の摂理の一つ。そこから力を得た魔法は、どれほどの強度・障害をも無力化する絶対貫通の性質を持つ。


「――『レイライン・ディスペル』!」


 カタリナから放たれた解呪の魔法は、聖水の渦を通ってルカの胸を貫く。

 すぐガルラ・ヴァーナは異変に気付いた。自分に満ち満ちていた魔力が急速に漏洩していく。


「我が魔法を打ち破ったのか!?」


 憑依が解除された瞬間、彼は著しい衰えを実感した。

 貯水槽がいきなり水道管を外されたようなものだ。自分の身体が収縮し、触腕がどろどろに融け始める。

 彼は亡霊の融合個体という歪な自己構造を、殆どルカの生命だけで保っていた。そのツケがここにきて回ってきたのだ。


 自壊を防ぐためには、速やかに新たな生命体へと憑依しなければいけない。

 時間はない。だがガルラ・ヴァーナはすでに標的を選んでいた。

 ルカの弟子、アイザックだ。


 ルカが石化した状態のまま、数年間も潤沢な魔力供給を維持していた事実はもはや無視できない。

 アイザックがルカに近しい魔術的センスを持ち、彼と同じく相性の良い宿主であることは確認済みだ。

 ルカが最良ならアイザックは次善。そしてそれ以外はゴミに等しい。


「貴様の肉体、何としてでも我がものにしてくれる!」


 ガルラ・ヴァーナは驚くべき俊敏さでアイザックに襲いかかった。

 憑依が解除されたことで移動の制限はなくなり、触腕を捉えていた拘束魔法も、触腕そのものが融解した今では意味がない。

 アイザックも迎え撃つために杖を構えるが、ガルラ・ヴァーナの行動があまりに迅速だったため、ほんの一瞬動作が遅れる。


 間に合うか否か。

 だが二人がぶつかり合う寸前、凛とした声が響いた。


「『チェーンド・ヒーリング・サークル』」


 その呪文が聞こえてすぐ、光の鎖がガルラ・ヴァーナの全身に絡みつく。

 猛然とした勢いの突撃が、アイザックの目の前で強引に静止させられる。


「こ、この魔法は……!」


 反属性の鎖で痛みに悶えながらも、ガルラ・ヴァーナは驚愕の声を発する。

 アイザックもまた、相手の後方にそれを見た。

 カタリナに上体を支えられ、ヘレナが必死で回復魔法を唱え続けている。

 そこには彼がいた。憑依と同時に石化からも解放され、疲労した肉体でそれでも魔法を唱える師匠の姿が。


「ルカ……」


 アイザックは呆然と呟いた。

 そういうこともある。むしろこれを狙っての作戦だった。だが、いざルカが石化から解き放たれた姿を見ると、胸にこみあげてくる思いがある。


 一言でも何かを伝えたい。だが何を言えばいいのか分からない。

 そんな気持ちを向けるアイザックに、ルカは困ったような笑みを浮かべた。

 しかし声をかけるような真似はせず、代わりにまた一つ呪文を唱える。


開放せよディスチャージ


 その言葉をトリガーに、アイザックの持つ杖が強い光を放つ。

 アイザックははっとした。そうだ、これはこの場に捨て置かれたルカの杖なのだ。

 ムスペルを倒す際に使った魔道具の魔力解放。しかしルカの杖は、無差別に力を解き放つアイザックのそれとは少し違った。


 膨大な力が今の所持者――つまりアイザックの体内へと流れ込んでくる。

 魔力量が尋常じゃない。疲弊した身体に活力がみなぎり、それでもなお溢れかえるほどのエネルギーが自分の中で渦巻いている。

 人知れず魔王への対策を講じ、組織の改革に躍進し、そして小さな才能の芽吹きを見つけてアイザックを育てた。

 そんな彼の精神の在りようが、このような魔力解放の形となったのだ。


「……! この力なら……」


 アイザックはガルラ・ヴァーナに向き直る。

 彼は必死で鎖から逃れようとしているが、ルカの魔法は微塵も揺るがない。

 とはいえこれも魔力が途切れたら、簡単に魔王を自由の身にしてしまうだろう。

 アイザックは意識を集中する。ここは戦場、無駄にしていい時間なんてないはずだ。


「おねがいアイザック! 魔王を討って、全てを終わらせて!」

「そうです! 今も眠れぬ死者たちのためにも!」


 カタリナとヘレナの声に背を押されるように、アイザックは魔力を収束させる。

 アイザックの魔力が杖に流れ、杖の魔力がアイザックに流れていく。魔力はかよう血のように二つを行き来し、より深く同期させる。

 白光は溢れんばかりに輝いて、今必滅の一撃が完成しつつあった。

 断罪を待つガルラ・ヴァーナはおののいて叫びをあげる。


「止めろ! 我は魔物たちの調和を……尊厳を守らねばならないのだ!」

「魔王ガルラ・ヴァーナ、お前の野望は叶わない。お前は尊厳を守るために、より多くの尊厳を冒涜した」


 風船のような身体を形作るいくつもの顔が、絶望に歪む。

 そしてアイザックは、白く輝く杖を無慈悲に振り下ろした。


「今度こそあの世で自らの罪を償ってこい! ――『ヒーリングブロウ・オーバードーズ』!!」


 閃光が弾ける。

 視界を埋め尽くすほどの光の中に、ガルラ・ヴァーナの断末魔だけが轟く。

 しかし、その中心にいたアイザックだけはそれを見ていた。


 ガルラ・ヴァーナが本来の霊魂へと分解され、消滅していく中で、最後に小さな子どもの霊が現れる。

 その顔は覚えている。最初に会ったガルラ・ヴァーナの姿。そして過去を幻視した際に、エルフ族の依り代にされたガルラ少年の姿だ。


 "ありがとう――"


 ガルラ少年は、自らを葬ったアイザックに感謝の言葉を述べた。

 そして他の霊たちと同じように無へと還っていく。違うのは、ただ一人だけ安らかな表情をしているということだけだ。

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