◆嫌いなもの ―はちみつレモン―

 あたしには、大嫌いなものがある。


 まずは、レモン。


 お母さんの田舎でつくっているせいで、秋のおわりごろになると毎年どっさり送られてくる。おかげで、ジャムにジュースに鍋にと、冬の食卓はレモンづくしになる。もう、ほんとうにうんざりだ。


 果物なら、ほかにもイチゴとかミカンとかブドウとか、いろいろあるだろうに。なんでよりによってレモンなのか。あんなすっぱくて苦いだけの果物。この世から消えてなくなればいいのに。



 それから、秋奈あきな


 十六歳の、あたしとおない年のいとこだ。


 ふたりの母親が仲のいい姉妹で、家が近所で、しかもおない年とくれば、必然的に一緒に過ごす時間は多くなる。それに、秋奈の家は共働きだから、ちいさかったころはお兄さんと一緒にうちで過ごすことも多かった。


 むかしも今も、秋奈は絵に描いたような『いい子』だ。明るくて素直で、勉強もできて。運動と料理は少し苦手だったけれど、それも『かわいげ』になるような、いい子。


 対するあたしは、泣いたり笑ったり感情を表現するのが苦手で。うれしいとき、素直によろこんでみせたり、無邪気にはしゃいだりすることができない。暗くて、勉強も苦手で、とりえがない。



 ――少しは秋奈ちゃんを見習いなさい。


 小学校に入学したころから、なにかにつけてそういわれることが増えて。



 ――どうしてあんたはそうなの。秋奈ちゃんはあんなに素直で明るいのに。


 感情を見せないからって、感情がないわけじゃない。くらべられるたび傷ついて。だけど、痛くても痛いといえないあたしが悪いのかな。やっぱり。




 秋奈は、いい子だ。


 ――かえでちゃんは落ちついてておとなっぽくて、うらやましい。


 無邪気に、本心からそんなことをいう。




 明るくて、無邪気で、無神経な秋奈が、あたしは大嫌いだ。




 ◆◆◆◆◆




 高校生になって、秋奈は恋をした。


 相手は、大学生。お兄さんの友だちらしい。もちろん、秋奈の片想いだ。


 秋奈はあたしを親友だと思いこんでいたから、なんでも打ちあけてきた。こっちは、近所でいとこで、お互いの親とかなんとか、もめるといろいろ面倒だと思ったから。てきとうに、仲のいい『ふり』をしていただけだったのに。


 まぁ、高校が別々なのは、頭のできがちがうのだから、当然といえば当然だったけれど。用がなければあたしから秋奈んちに行くことなんて、ずいぶんまえからなくなっていたし。電話もメールも、あたしからはしないし。

 甘いもの好き男子である、片想いの彼にアプローチしようとはじめたお菓子づくりも、協力をたのまれたときばっさり断ったのに。それでも秋奈はあたしを『親友』だと信じて疑わなかった。




 あの日も、母親に届けものをたのまれて、すごくひさしぶりに秋奈の家に行ったのだ。そして、そんな日にたまたま遊びにきていたのが、秋奈の『片想い相手』だった。




 ――ね、ね、素敵でしょ? かっこいいよね。


 頬を赤く染めて、キラキラと瞳を輝かせて、全身で『恋してます』といっているみたいで、ほんとうに、おめでたいよね。


 信じやすくて、人の悪意に無頓着で、上っ面の言葉も素直に受けとって、見た目にすぐだまされる。


 マンガやドラマでよくあるでしょ。親友だと思っていた人間に好きな相手を横どりされて修羅場――みたいな展開。それを地でやってやろうかと思った。最初はね。


 ねえ、秋奈。あんたの王子さまはなかなかのクズだったよ。

 ちょっと誘ったらほいほいついてきてさ。


 かわいい女の子はみんなおれの恋人――なんて、さっぶいセリフ平気でいえちゃうようなやつで。あれはいつか、女に刺されて死ぬと思うよ。


 でも、それはそれでおもしろいよね。


 横どり修羅場展開と、クズ男にいいように遊ばれてのポイ捨て展開と、どっちがおもしろいだろう。あんたがよりダメージを受けるのはどっちだろう。いずれにしても、楽しくなりそうだと思ってたんだけど。まさか見られてたとはね。


 こうなってもまだ『おなじ人を好きになってしまっただけ』と思っていたのにはさすがに笑った。もういい加減『親友』あつかいはやめろっての。この際だから、なにもかも。洗いざらい教えてやった。ずっと、大嫌いだったんだって。


 これでもう、仲よしごっこする必要もなくなった。めでたしめでたし。せいせいしたよ。ほんとうに。すっきりした。




 ◆◆◆◆◆




 バスをおりると、視界いっぱいにオレンジ色が飛びこんできた。


 通学路がかぶらないように、秋奈の志望校とは逆方向の高校を受験して、おかげで通学時にすれちがうこともない。


 沈んでいく太陽は、未練がましく空を染めあげる。青、オレンジ、赤、ピンク、紫、藍、紺――いくつもの色がいりまじって、沈みゆく赤い太陽は、ここにいると主張しているようだ。



「わあぁー、ね、ね、さっちゃん! お空まっかだね」

「ほんとだー! すごいね、みっちゃん」


 小学校二、三年生だろうか。たたっと走ってきたちいさな女の子がふたり。手をつないで、思いっきり首をそらして空を見あげている。





 ――みて! かえでちゃん! そら! すっごいよ!


 ――ほんとうだ。きれいだね、あきちゃん。




   ……友だちだった。




 ――かえでちゃん、はちみつレモンのむ?


 ――レモンきらい。


 ――ママのはちみつレモン、おいしいよ?


 ――すっぱくない?


 ――あまーいの!


 ――じゃあ、のむ。




 あのころ、あたしたちは確かに友だちだった。

 優等生も落ちこぼれもなかった。あのころ。



 お互いの家を行ったりきたりして。秋奈の家で飲むはちみつレモンだけは好きだった。



 毎日、毎日。青い空の下。走って追いかけて。遊んで笑って。

 毎日、毎日。赤い空の下。歌をうたって。手をつないで帰って。

 毎日、毎日。まがりかどで『またね』って手を振って。






 あたしには、大嫌いなものがある。


 まずは、レモン。


 すっぱくて苦くて。なにがおいしいのか。

 レモンをかけた唐揚げとか、意味がわからない。



 それから、優秀ないとこ。


 明るくて、無邪気で、無神経で。頭いいくせに、バカみたいに信じやすくて。疑うことを知らない秋奈が、あたしは大嫌いだ。




 だけど。

 それよりも。


 あたしは、あたしが嫌い。


 レモンより。

 秋奈より。

 なによりも。


 この世でいちばん、あたしが嫌いだ。



     (了)



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