第14話 女神を作っていた工場


 空気が重い。


 辺りを見渡せば青々と生い茂る木々…気持ちのいい朝の散歩コースとまでは言わないが、この森が原因でない事は明らかだった。俺が邪魔っけな枝とか藪とか茂みとかを、バキバキと音高く俺が進んでいるからでもない。

 「ほぉ」

 …注意して進もうぜ、俺よ。


 ケイがリョウマを気にして…顔を真っ赤にして、気まずそうに、それでもリョウマだけを見て、何か言おうとして、それを心の奥へとしまう…を繰り返していた。


 まぁ、リョウマに何か言いたい気持ちは分かる。


 潜入任務でそのクソ目立つ〝白〟はないだろ、とか、

 潜入任務なのに、不審者ニンジャのナリしてんじゃねぇ、とか、

 潜入任務とか以前に、その日本刀は銃刀法違反だからな、とか、

 「…全部、口に出してるからな?」

 こらあかん!


 純白の忍者に睨まれた。額に埋め込まれた自分を殺す星石を隠す、長すぎるハチマキの一部を顔下半分にも巻いてるので、以前より『ニンジャっぽい』…勿論、目立つ為じゃなく、戦闘の為にこの服装なのだけども。


 「戦場に、野球のユニフォームで来る男の方が異常だろうが」

 「そう思うなら、なんか防具とかくださいよ‼」

 

 「だから『鉄の鎧』と『鉄の盾』と『鉄の兜』を用意しただろ?」

 「あれ魔王を倒しに行く装備だよね⁉」


 「そうなのか?用意したのはアンだからな」

 「アンさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん⁉」


 ケイの迷彩服はむしろこの森ではベストファッションかもしれない。同じく迷彩色のリュックを背負って、腰に警棒をさす。…まぁ、気になるのはあのホルスターに入っている銃が本物かどうかなのだけど。


 「あ、あの!リョウマ様‼な、何で私を選んだんですか⁉」

 意を決し、ついにそれを…自分を選んだ理由を聞いてみる。

 呼び止められ、振り返るリョウマの顔は、いつもと変わらない。無機質で無味乾燥で無感情な、眉目秀麗…その金色に輝く瞳に鋭く射抜かれて、ケイは挙動不審の体で最後には俯き、何とか上目づかいで見上げて言葉を絞り出す。


 「最初から、二人で来るつもりだった」

 理由を知りたいか、と問われてケイは超高速で首を横に振りまくる。リョウマはそれ以上の時間の無駄を許さず、見終わる前に歩き出していたが。急いで後を追うケイは…幸せそうでなによりだな。


 …あの、俺もいるからね?


 もう、森の中を何時間歩いただろう…いや、それは大げさなんだが。言うまでもなく、テロ実行犯のいる『岬の廃工場』まで車で乗り付けられる筈もない。作戦は、隠密接近からの強襲なのだから。それにしても、遠い!もう疲れた‼

 まぁ、不快の70%くらいは、虫が嫌いだからなんだけど。さっきも蜘蛛の巣の不意打ちを食らって悶えたそこはダンゴムシのたまり場だったからな…


 「あ…前方に…あれが目的地でしょうか?」

 覗きこもうとして、俺の手がケイの左背中に触れた。


 「いやぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああ‼」

 瞬間、ケイが悲鳴を上げる。触られた背をかばう様にして180度回転しながら背を俺から隠し、力が抜けるままに内股で腰を落とした。ポニーテールはしなだれ、歯をカタカタと鳴らして震える、その瞳には明らかな恐怖が影が…


 「背中をポンと触っただけだからね⁉」

 「虫が落ちたのと同じ反応か」

 そらあんまりだ‼


 「すみません!」

 謝ったのはケイだった。まだ震えは止まっていないものの、抱きしめる様に組んだ両腕にその爪を立て、健気にも立ち上がろうとして…力入らずしゃがみ込む。

 「あの…そこ…背中に、火傷の痕があって…もう、昔の事だから、痛くはないんだけど…触られると、ひどくうずいて…凄い、怖くなって…」


 話を聞くと、ケイは小学生低学年の時に火事で両親を失っているそうだ。背中の火傷はその時に負ったもので、彼女も危うく焼け死ぬ寸前だったと。他にも、林間学校で山火事にあい、科学の実験中に爆発事故が起き、火山の噴火に…

 「火難の相ありすぎだな、おい‼」


 「でも、リョウマ様と会えたのも〝火〟だから」

 制服の袖の上から愛おしげに左手をなぜる…彼女が高校生の時、引き取られた親戚の家が放火魔に襲われて…その時、放火魔を逮捕して(おそらくついでに)彼女を火災現場から救ってくれたのがリョウマらしい。


 そのリョウマ様は、俺に…銃口を突きつけていた。


 「…大声で思い出話とは、随分と余裕だな」

 「いや、あの、その、ははははははははははは…」

 撃鉄が小さな音とともに上がる。

 「…すんません」


 リョウマは拳銃をケイへと放り投げる。投げられた側が恐怖で体をコチコチにしたものの、暴発したりはしなかった。別にケイの安全を思ってなどではない。

 

 ケイが言おうとした通り、リョウマの視線の先は、すでに生い茂っていた木々が消えて視界が開けていた。その先に、明らかに人工物の錆びた色を覗かせて。

 映画のスパイものだと、ここからはジェスチャーで慎重に行こう、みたいになるのだけど、…このニンジャマスターは何も変わらずにスタスタと建物へと向かう。まぁ、特に見張りとかもいないんだけどさ。


 それは本当、廃工場だな。見るからに…もう10年単位で廃墟だろうな。錆びの黄土色と、くすんだコンクリートの灰黒、それにツタの茶緑…所々に適当に張り巡らされいてる有刺鉄線だが、隙間だらけで防御の役は果たしていなかった。

 ただ一つ、侵入者を阻む様に立ちふさがる立札が一枚。


 『ニンジャマスター・管理中』

 「………」

 よくバレてねぇな‼


 敷地へと侵入し、工場を見上げてみる…何を作っていた工場なんだろう?伺い見えるベルトコンベアーや重機は普通の工場を想像させる。あと、明らかに職人が使っていたような細工道具が転がり、マネキンみたいなものが散乱しているが…

 あ、チラシだ。


 『独り身のあなたにラブドール♡みかんちゃん』

 「………」

 ナニ作ってたのぉ⁉


 「…何か、ひじょーに入りたくなくなってきた…」

 「怖気づいたのか?」

 そういわれるとカチンと来る単純な俺は、二人を先導して先に進み、ガラスの無い窓枠から侵入する。着地した瞬間、俺の体を悪寒が襲った。その床には大量の赤黒い液体が広がった跡があり、人型に白いチョークの線が引かれていた

 その、元は赤黒い液体で…何やら字が書かれていた。


 『犯人はキチコ』

 「………」

 何の事件だ⁉


 「見た感じは…普通の中小企業って感じっすね…」

 海が近いせいか、経年以上に赤茶けたサビが酷いけどな。いくつかの部屋を通り過ぎ、その度に中を覗き込んでみるも、一昔前のパソコンだの、段ボールに詰めの金属だのだけだ。まさかタイムカードを見て心安らぐ日が来るとはな…

 つまり、銃とか爆弾とかそんな物騒なモノがない。


 そもそも見張りの兵もいないから、こんなにもあっさり侵入しているのだけど。おそらく、大凶星とトキを除いて、ほぼ壊滅状態なんだろう。ぶっちゃけ、この数日間で逮捕もしくは戦闘不能にしたテロリストは相当な数だしな。


 だったら、何で逃げないんだ?とゆー疑問は堂々巡り…


 さらに進み、七つ目の部屋まで来たところで、リョウマが振り返る。その目を見ただけで、何を言いたいかは分かった。「騒いだら殺すぞ」だな。それで俺もケイも十分に察していたけども、さらに、あえて人差し指を立て、それを言葉に出す。


 「声を」

 「ひぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいい⁉」

 そのリョウマの言葉を遮って、ケイが叫びを上げて飛び上がった。…当然、向けられるのは殺意…さえも通り越した絶対零度の冷たい視線。ケイは慌てて160度くらいのお辞儀をした、次に面白い顔で変なポーズで、両指で床を指した。


 「で、でも、あの、なまなまなま、生首が落ち………あれ?口がドーナツだ」

 「それ生首ちがーーーーーう‼」


 「あっちには…おまんじゅう?上のピンクは」

 「それ、まんじゅうちがーーーーーう‼」


 「あの…風船?浮き輪みたいなのはなんだろう…」

 「それ浮き輪ちがーーーーーう‼」


 ここが何の工場か思い出したよ‼


 ほんと~~~に無駄に息を切らせ、俺は後ろの壁にある扉に慎重に寄り添った。どうやら相当に広そうな一室だ…おそらく、ここにテロリスト達がいるのだろう。十分に警戒して、そ~っと部屋の中を覗き込むと…


 トキと目があった。

 大凶星が手を振ってた。

 包帯でぐるんぐるんの四角いオッサンが目と口と鼻をまん丸く開いてた。


 「…そら、これだけ騒いでれば気づかれるわな」


 もはや隠れても意味はない。俺は堂々と部屋の中へと飛び込…もうとして、足を引っかけられてすっころんだ。モロに顔面から床へと落ちて、鼻血を押さえながらも怒りに振りかえ…ろうとした、そこに日本刀が突き立てられた。

 横を見ていた俺の瞳と刀との距離は、1㎜と無い…刀の先には、和式便所に座るような体制で俺に跨る、リョウマの顔があった。


 「さっきからやっている、こういうのがジョークなんだよな?ははははははは」

 棒読みの笑いが怖すぎる‼


 リョウマの迸った殺気は、味方だけではなく、敵をも威圧していた。…本来は逆なんだが。真っ赤な顔をしていたミイラ男…四角いオッサンが今は顔を真っ青にしているし、トキは自らの視線をレインコートの陰へと、…虚しい逃避を計る。

 …大凶星はいつもの着流し姿でニコニコしながら刀を振っているけど。


 鼻血を拭きながら改めて部屋を眺めてみる。…がら~んとしてるな。広いけど、工場で作業場の全重機をどければ、このくらいは普通にあるのかもしれない。本来はこの広さが必要な程のテロリストがいる筈だったんだろうな…今は3人だけど。

 その3人を頭からつま先まで眺めてから、リョウマが口を開いた。


 「とりあえず、死ね」

 「ちょっと待ったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼」

 問答無用なリョウマとは対照的に、オッサンは問答をしたいらしかった。


 「な、何で、ここが分かった⁉」

 「そいつが罠と知った上で、ここに来たからだろ」


 …へ?


 その場の視線が一点に、リョウマの指さした人物へと集中する。その他の全ての人間が同様の、驚いた様なトボけた様な顔をしている中、指さされた人物だけは…同じく驚いてはいていても、そこには憎悪や恐怖や焦燥が張り付いていた。

 そして、その表情はリョウマの指摘が事実だと証明していた。


 「トキぃ‼」

 呼ばれて、目を逸らす。…確定だった。


 「貴様ぁ‼敵と内通していたのか⁉」

 「違う。そいつはドサクサに紛れてドクロを我が物とするつもりだ」


 …へ?


 さっきと全く同じ光景だった。リョウマがトキを指さし、皆がトボけた様な驚いた様な視線を集中させ、指差されたトキは負の感情で顔を満たす。そして、それがリョウマの指摘の正しさを証明する。という…

 トキは、もはや四角いオッサンとの距離をあからさまに離していた。今もなお。


 「な」

 「少しは自分で考えろ、カスが」

 …他に言い方はないんだろうか。


 面前で堂々と罵倒され、四角いオッサンはその全てを…トキへと向けて、歪み切った憎悪の表情をサルの様に歯と一緒にむき出しにしていた。…八つ当たりだなぁ。そして、このだだっ広い空間は、聞き苦しい罵声がキンキン響く…

 

 そういえば、ケイの存在感が全くないのをで見回すと、…合点がいった。自ら存在感を死ぬ気で消そうとしていたから。…さっきのリョウマがよほど怖かったんだろうなぁ…顎を3重にもする不格好すぎる姿勢で直立不動の迷彩マネキン人形。

 「あちちちちっ⁉」

 …だからって無駄に電気系統かなんかの火種を浴びて火難アピールせんでも。


 「大凶星ぇぇぇえええええええい‼トキを捕えろぉ‼」

 「ほえ?」

 大あくびをしていた所に急に声をかけられ、大凶星は変な声を上げた。天パ気味の頭をまぶた半開きでかく様は、飲んだ翌日のお昼頃って感じだった。


 「…何で?」

 「な、何でって…ヤツは裏ぎ」

 「あいつと戦っても面白くねーじゃん、俺」


 曇りなき眼でそう言い切られて、四角いオッサンは返す言葉もない。パクパク閉じ開きする口や、微妙にボディランゲージしようとする仕草は、同じ言語で会話している筈なのに、会話が成立しないもどかしさを表わしていた。

 一方、大凶星は、単純明快。明朗快活。


 「俺が戦いたいのは、そっち」

 指さされたのは、ケイだった。

 「後ろに隠れんなぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああ‼」


 「ご指名だ、行け」

 「あっ、ニンジャマスターでもいいぜ?」

 「ご・指・名・だ・な‼」

 整った端正な容姿の口の端だけを歪めたリョウマに対し、俺は顔全体を醜く歪めて睨み下ろした。そして、同時にそっぽを向く。


 『トキ(ゴミ)とテロ(カス)と大凶星(クズ)を一緒くたにするからだ』

 …以前リョウマはそう言っていたよな。しかし、考えれば考えるほどわからなくなる。難しいからじゃない、逆に、簡単すぎるからだ。


 「カス(テロリスト)の動機は単純だよな。国家転覆?とか」

 「違う‼我々が為そうとしているのは大義だ‼この国が間違った方向に進」

 「クズ(大凶星)の動機も単純だよな?楽しく戦いたい」

 「だよ~ん」

 「ゴミ(トキ)の動機だって単純だろ。愛する人を救いたい」

 「それは、この男の動機であって、真紅のドクロを持つ者の動機ではない」

 真紅のドクロを持つ者?


 …そういえば、そもそもトキはこのドクロを『譲り受けた』と言っていたよな。ドクロの持ち主がトキに渡した理由が『タマモを治す事』なら、そもそもその使用を前提としていた、このテロリストの作戦に加わる筈がなかった。


 …真紅のドクロ、大星石にしかできない事、か…


 「⁉」

 悪寒が全身を駆け巡った。


 振り返ったそこには、背丈ほどもある長刀を…手を滑らせ、オッサンに危うく斬りかける着流し姿の男がいる。全身が一面傷だらけで、その傷の中心にある抉れた片目に白星石を埋め込む。…その男は今日も天パをかきながらニコニコしていた。


 「…大凶星を、殺す為。か」

 「そうだ」

 不機嫌極まるリョウマの顔は、俺と同じ悪寒を感じた証拠だった。


 …誰かは知らねぇけど、この真紅のドクロの持ち主の目的は『日本が亡びるという大不幸と引き換えにした、世界平和』だ。

 「大多数の幸福の為に、少数の犠牲を。正しいな」

 そーいやぁ、こいつも同じような提案してたよな‼


 逆に言えば『世界規模の最大凶』と引き換えにしなければ、この〝大凶星〟は殺せないって事だ。奴の〝凶〟が上回るからな…

 リョウマの言った『最悪の状況』ってそういう事か…〝真紅のドクロを大凶星に使わせる〟と、どうなるか?不幸を産みだす大凶の持ち主が、最大に力を発揮して起こる、この世界で一番の不幸は何か、と言えば…そら『戦争』だべな…


 「大凶星が真紅のドクロを持って、日米合同軍に攻め込んだとしても、別に勝てる訳じゃない。…ただ、たった一人死ぬ人間がいたなら、それは大統領だ」

 …もしくは、より効果的に戦争を起こす一人、か。


 「うちの総理でよければ、喜んで尊い犠牲にするのだがな」

 …ゴメン、俺もそんな気になった。


 ようやく、合点がいった。そら、期日変更なんてありえないわな。今日この日に『大凶星』と『真紅のドクロ』だけが健在ならそれでいいんだ。

 

 「ふ、ふざけるなぁぁぁぁぁああああああああああああああああ‼」

 いきなり、四角いオッサンの悲鳴にも似た叫びが引き裂いた。いや、実際、悲鳴だった。情けない程に自信のない困惑した、泣きそうな顔だったから。


 「なら、我々の存在は何なのだ⁉」

 「食料や物資の確保、あとは道案内だろ」

 RPGの宿屋と酒場か。


 自分達は単なるモブだった。その羞恥と屈辱と憎悪の入り混じった目で睨まれた〝主役〟大凶星は、…せっかく盛り上がった気分に、完全に冷や水をかけられてシラけていた。露骨に舌打ちをして、斜めに四角いオッサンを見下ろす。


 「だ、誰がお前にメシやカネを与えてやってると思ってるんだ⁉野良犬の様に誰彼構わずに噛みついていたお前を、我々が大義を与えて保護してやったから‼」

 「あー…」

 「そもそも!お前が我々の計画通りに動けば、こんな事にはなっていないだろ⁉お前が勝手に動くから⁉お前が何度もニンジャマスターを逃がすから‼お前が‼」

 「…るせぇな」

 大凶星が無造作に首の数珠を引きちぎり、地面に落ちたそれが光を放った。


 「八門遁甲、四凶の陣〝饕餮とうてつ〟」

 …それは、あの最初に出会った時にキョウが解説してくれた、明らかに無防備にしか見えない陣だった。大凶星の足元から、生門→開門→景門→休門→驚門→傷門→杜門→死門、と徐々に凶が増していく四凶の陣〝饕餮とうてつ〟だ。

 「え?え?え?ええええええええええ⁉」

 そして陣の中にいるのは、大凶星と…ミイラのオッサン〝だけ〟だった。


 「ちょ、待て!何で私と戦う⁉お前、やってる事がムチャクチャだぞ‼」

 「…お前さ、俺の事…なぁ~んか、勘違いしてねぇか?」

 片目をドス白く光らせて、大凶星は刀を抜き放った。


 「俺はただ、全てを不幸にするだけだ」

 愉悦に歪み切った凶悪なツラで、自信満々に宣言した。

 「〝大凶星〟だからなぁ‼」

 …これほど理屈が皆無な発言も珍しかった。そして、これほど真実を的確に表した発言も珍しかった。言葉を失い、その蒼白になったオッサンの表情は、周囲が全て〝幸運〟で守られているとは思えない…絶望のどん底にいた。 


 「…考えなしに見えて、そうではないか」

 俺達と、そしてトキの足元には、その〝死門〟がある。大凶星はちゃんと俺達とトキを死門の向こう…円陣の両外側に置いていた。さらには、トキを追いかけようにも、この陣があって部屋には入れないのでとんでもない遠回りが必要だ。

 言うまでもなく、四角いオッサンは大凶星を倒さない限り追えない。


 「ほ~ら、さっさとドクロ持って逃げなぁ!おにーちゃん」

 「あ、ああ!分かった‼まか」

 「やはり、こうなった」


 リョウマの呟きが、話の腰を完全に折った。大凶星に礼を言いかけたまま、トキの体が固まる。誰も、リョウマの呟きの意味が分からなかった。何かが達成されたようだ。それは重要な事のようだ。それは予測された当たり前の結果のようだ。


 「これで〝大凶星〟と〝真紅のドクロ〟は揃わない」

 「………」

 「まぁ…そらそーだべな」

 真紅のドクロを逃がす為に、大凶星が残ると言ってるんだから。ねぇ。


 「貴様が一緒にいる限り、貴様が一緒にいたから〝大凶星〟が〝真紅のドクロ〟を使う事は無かった。貴様があの女に縛られる限り、この結末は確定事項だ」

 トキは何か言おうとして、見つけられなかった。

 

 「罠と知ってあえてここに来たのも、今日一日だけ、目に見える形で足止めをして貰えれば、このドクロを大凶星に使わせない言い訳が立つからだ」

 ヒューと大凶星が口笛を吹く。


 「礼を言う。貴様が世界平和の最大の功労者だ」

 それは心からの謝辞であり、皮肉ではなかった。


 …だからリョウマは『それ(真紅のドクロと大凶星が揃う事)は起こらない可能性』と言ってたのか…ん?ちょっと待てよ…そのあと言ってた台詞は…


 トキにはもう語る言葉が無かった。振り返りもせず、そのまま走り去る。階段を駆けあがって2階へと昇ると、その先の扉へ消えた。…しかし、俺達はトキを追えない。一歩でも踏み出せば大凶星の死門。その八門の中心には大凶星が仁王立ち。

 俺とリョウマの目が、どちらからともなく合った。


 「俺がドクロの男を追う。貴様は大凶星を足止めしろ」

 「…どー考えても大凶星の方がヤバい相手じゃねーか‼」

 「バカか?貴様は」

 リョウマは今まで一番呆れ果てた顔をする。


 「だから貴様にやらせるんだろうが」

 ほんと正直なクズだな‼こいつは‼


 一片の躊躇もなく、リョウマはすでに駆けだしている。無論、目の前に大凶の陣があるので一直線には追いかけられない。一度、入ってきたドアから出て遠回りするみたいだ。ケイは3秒ほど躊躇してから、その後を追いかける。


 そして、残念な男達が残された。


 「こ…こうなったら、お前をまず始末してやる‼」

 動くだけでもう痛がってる四角いオッサンが、ヤケクソに鬼気迫る表情で、攻めるべき吉格を探し…自分のマヌケさに気づく。周り全部吉格ですがな。

 …っつか、この陣って戦いに意味あるの?四凶の陣、なんだよねぇ?


 「〝地軸星〟‼」

 「いて」

 背中の命理を打たれ、大凶星は駅のホームでぶつかられた程度にふらついた。


 「や、やはり、大凶星〟には命理も効かないのか…⁉」

 「違う違う、ここが吉格だからさ。致命的な攻撃も、ダメージにならな~い」

 通常の凶格を束にしても、大凶星の〝日常〟にすら及ばずに無力。…の筈なのだけど、ここはその大凶星自身が作ったフィールドなので、この地での八門は通常通り…もしかすると、通常以上に作用するかもしれない。

 ともかく、吉格だらけのそこでの攻撃は〝運良く〟軽減されるらしかった。


 「そ、そうか…」

 「こんなふーにな」

 大凶星の刀が、四角いオッサンの腹を貫いた。


 「………え?」

 「な?腹を刺しても死なない」


 言葉にならない絶叫が、部屋の中を乱反射した。…言う通り、致命傷ではないらしい。…が、だからと言って、痛みはあるだろうし、…いや、痛みよりも〝死の恐怖〟か。恐慌冷めやらぬ四角いオッサンは、脂汗まみれで上目遣いをする。

 …その上に白い光を一点だけ放つ真っ黒い影が降りた。


 「俺は全てを切り裂く〝サムライマスター〟だ。…でもなぁ」

 無造作に振り下ろされた刀は、四角いオッサンを両断…しなかった。無論、普通に斬られて出血し、その痛みに斬られた右腕を抱え顔を歪ませ声を漏らす。が、その傷は、ただ素人が刀をぶん回して皮を削った、程度。


 「ここじゃあ、ふつーに切り傷をつけるだけだ。…ラッキーだなぁ」

 …もう、大凶星のツラの凶悪さがとんでもねー事になってんぞ…


 「だ~か~ら~‼こ~んなに斬っても斬っても斬っても斬っても斬ってもぉ‼」

 歓喜の高笑いで大凶星が刀を振り続ける。無造作に、無秩序に、無頓着に…一振りするごとに鮮血が飛び、悲鳴が生産される。…四角いオッサンは、ただ、亀の様に体を丸めていた。何の根拠もなく、いつかはそれが終わると信じて。

 何十回それが繰り返されたろう。ある時、その動きがぴたりと止まった。


 「死なない。…幸運に感謝しろよ?」

 「…幸運、か?」

 なんとなく、この〝陣〟が分かってきた…


 不意に、それまでまるで亀の様だった四角いオッサンが俊敏に身を沈ませ、大凶星の脛を蹴り飛ばした。そして、大凶星が膝を落とした刹那、刀を殴り飛ばす。


 「ど、どうだぁ⁉刀はもう」

 「あんま血を流したら出血多量で死んじまうからな。刀は終わりだ」

 …が、すぐに絶望の底へと逆送された。


 あっさりとそう答えるなり、拳を振りかぶる。筋骨隆々なガタイから繰り出された拳は、簡単にミイラ男の顔をひしゃげさせ、血反吐と一緒に歯をまき散らした。さらにみぞおちを突き上げる拳により、中の全てを嘔吐させられる。

 無防備のまま6発殴られた所で、オッサンも絶叫と共に反撃に転じた。…実は、ナイフを繰り出すオッサンの方がダメージを与えているかもしれない。…しかし、


 タフさが違いすぎた。


 常に凶事に見舞われ、拳が、刀が、銃弾が、その身を穿ってきた大凶星と、机の角に小指をぶつけて蹲っている一般人とでは、自らを襲う恐怖と苦痛と絶望に対する〝耐性〟が違いすぎた。…一般人には、一撃がもう耐えられない非現実…


 「に、逃げ…」

 振り返って、愕然とする…陣の中央が吉格という事は、外に行くほど凶格という事…その意味を、今まさにオッサンは理解していた。〝絶望的にしか思えない、ここ〟が一番安全なのだと。…ここより外は、絶望のさらに先の世界なのだと。

 これが『四凶の陣』である理由だった。


 「無駄だ。…手前ぇはもう〝饕餮〟の腹の中ぁ‼」

 「ヒ…ヒィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイ‼」

 …ようやく〝本当に幸運にも〟気を失ったそれは、無残なボロゾーキンだった…

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