天使のとまり木

いずも

その1

 ヴェルティリアは北を険しい山々に囲まれ、西は自然災害の影響を強く受け、南には海が広がり、結果的に東側で文化が栄えた世界です。


 これ以上申し上げることなどございません。

 ええ、私は私が生きているこの世界に興味がありませんので。

 だから帝都で流行っている新興宗教の類だとか、この世界の成り立ちとか、蔓延している『天使病』などの一切に向ける関心はなく、ただこの孤児院でその日を生きることが私の全てなのです。


 私は元々どこかの施設に居たらしい。

 らしい、というのは後に聞かされた話なので。

 もしかしたら記憶の片隅に残っている思い出があるかもしれません。

 でも、私にとってはこの孤児院が生活の全てであり、世界の全てです。


 私がどこに居たか、私が何者であったかという自己に関する全てにおいて、生きる上では大して重要でもない情報です。


 例えば私に与えられた『ラスト』という名前。

 愛着もなければ己の証明にもなりません。

 孤児院に連れてこられたとき最後に名前を呼ばれたから。

 それだけの理由で私はその事象を己の識別名としたまでのことです。


 この孤児院は教会の一部であり、身寄りのない子供を受け入れる施設としての役割を果たしているようです。

 ここでもう五年、いや十年以上でしょうか。

 時間という概念すら私には意義を見出だせないものですが、他者の言葉によると私はそれくらいの時間をここで過ごしているようです。

 私にとっては「今」しか無いのに。

 過去など捨て置くだけの存在でしかないのに。


 ここでの生活に不満はありません。

 衣食住に困らず、自給自足の生活で完結しているこの空間は、たとえ世界が滅んだとしても変わらずにそこに在り続けるのではないかすら思えます。

 ゆるやかな衰退。

 私の死とともに終了してしまう世界こそ、私にとって理想と言えるのかもしれません。


 孤児院と言うくらいだからそこに居るのは子供です。

 成長した子供は修道院で暮らすか、外に出ていきます。

 だから多少の流動性があるのは仕方のないこと。


 ――しかし、本当に仕方のないことでしょうか。

 ちょっとだけ、私には不可解なことがあるのです。

 いえ。

 あった、のでしょうか?


 そのことは今はおいておきましょう。

 それ自体は重要なことではありません。

 最も、これからお話することも私にとっては些末なことではあります。


 孤児院での暮らしに不満はないと言いました。

 皆さんとても良くしてくれます。

 それはまだ、私が子供だからかもしれませんが。



「――幼き天使のとまり木よ、祝福あれ。やあ。おはよう、ラスト」


 私に話しかける声がする。

 私を見つめる顔がある。

 その姿は見えるのに。


 ああ、何故でしょう。

 あなたのその顔だけが、見えないのです。

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