第7話「転落するあなた」

 まずい。


 会社の就業時間を過ぎ、ようやく自由の身となった優はとある人物を探しながら社内の廊下を歩いていた。


 まずい。


 優はよくわからない冷や汗を垂らしながら歩き続ける。


 気まずい……!!


 もちろん今朝の愛のことだ。あの後、愛が作ってくれた朝食を食べながら優はとても気まずい思いをしていた。

 昨日の出来事もそうであるし、先程の魅力たっぷりな愛の姿を見て優はこう思ってしまっていた。

 満更でもない、と。

 そもそも自分が彼女を労るつもりであり、彼女は庇護すべき対象だと認識していた。

 そうであるのに昨日胸に抱かれ、今朝は朝食という献身を振る舞われた。それに対し、三十路手前の男が満更でもないと思うなど気持ち悪すぎる。何様のつもりなのか。

 朝食中、優は果てしない気まずさを感じていた。


 へいへーい!新藤くんびびってるへいへーい!!


 心の中でそんな声まで聞こえてきた。優は大人の意地とともに「ナメんな」と心の声に対抗しじっと愛の顔を見つめたのだが、彼女は何を勘違いしたのかニッコリと笑い、こちらの頭を両手で撫でてきた。愛さーん?そういうところですよー?


 このままではなにかがまずい……


 相手は未成年の女子高生、そんな相手に気恥ずかしさを覚えるなど自分としてはあり得ないことだと思っていた。しかし実際は彼女の笑顔を見ると……気恥ずかしさとともに安らぎを感じるのだ。

 これで本当にいいのか? わからない……自分としてはアウトである。

 優は現状を整理すべく、とある相談相手を探していた。

 所属の違う部署のドアの前に立つ。確かこの部署にいたはずだ。優はドアを開けながら叫んだ。


「ロリコン先輩ー!ロリコン先輩いらっしゃいますかー!」


 ひどいあだ名を叫びながら入室する。就業時間は過ぎており中は閑散としていた。だが、そこには一人眉間にシワを寄せた40代前後の男性がデスクに座っていた。


「私はロリコンではない。妻はきちんと成人女性だ」


 眼鏡をくいっと上げながら先輩はため息をついて優を見やった。

 ロリコン先輩。20歳以上年下の女性を最近嫁にした猛者である。優も少し前に写真で先輩の妻を見たが、どう見ても中学生くらいにしか見えない容姿をしていた。それが広まり、彼は社内の陰でロリコン先輩と揶揄されている。

 あまりに不名誉。しかし、今の優には天の助けのように思えた。自分が相談にするにこれほど相応しい相手はいない。


「先輩!先輩をロリコンと見込んで相談があります!」

「だから、私はロリコンではないと――」


 構わず優は「この件はご内密に」と付け足し自分の悩みを打ち明けた。


「――俺、ロリコンになっちまったかもしれないんです!」

「もしもし? ポリスメン?」

「そぉい!」


 優は先輩のスマホを奪い窓からボッシュートした。「おいぃー!?」と悲鳴をあげる先輩に「冗談ですよ」とスマホを返す。投げたのはダミーだ。


「いや先輩真面目に聞いてくださいって」

「お前が真面目じゃないからだろ……」


 眉間を揉みながら辟易したように言う先輩。しかし「それで?」と一応相談に乗ってくれるスタイルを見せた。


「ロリコンになったかもしれない、というのは?」

「お隣さんの女子高生が可愛すぎるんです」

「お前今何歳だっけ?」

「29です」

「アウトだな」

「先輩の方が年離れてるじゃないですかー!」


 私の妻は成人女性だ、そう言って眼鏡をくいっと上げる。口癖なのだろうか。


「未成年に手を出すなど言語道断だろう」

「いや手なんて出してないですよ」

「……ほう?」


 先輩は眼鏡をきらめかせた。


「なにやら事情がありそうだな、話してみろ」

「……誰にも言わないでくださいよ?」

「それはお前次第だ」


 手厳しい。優は個人的な部分は伏せながら、事情を説明した。


「――とまぁ、そういった具合で。俺としてはまずいのではないかと」


 話終えた優は先輩の反応を伺う。先輩は呆れたように息を吐き、パソコンで仕事をし始めた。


「ちょっ、先輩?」


 いきなりの放棄に目を剥く優だが、先輩は優の方を見向きもせず話を始めた。


「私は妻の全てを愛している」


 そう言って彼は指を組んだ。


「気立てがよく、面倒見もいい。しかしそれは自分がないというわけではなく、きちんと芯のある強さも持っている。他の女性より小柄であることを気にしているのもかわいらしい」


 いきなりノロケが始まり優はいぶかしむ。しかし――


「だからこそ私は彼女を妻に選んだ。若いからだとか、小柄だから選んだとかではない。彼女自身の心根の清らかさに惚れ、私は彼女にプロポーズしたのだ」


 先輩はこちらを見る。眼鏡が輝きその瞳に何を写しているのかは見えない。


「お前はどうなのだ? その子が女子高生だから気になるのか? 年が離れているから安らぎを得ているのか?」

「――」


 違う。俺は彼女の、心根の愛情深さに安らぎを感じている。決して彼女の身分や年のせいではない。


「確かに世間体は悪いだろう。だが、一瞬でもその子はお前のことを『気持ち悪い』と言ったのか? 思い出せ、その子はなんと言っていた?」


『秘密、です♪』


 彼女の気持ちはまだ隠されたままだ。しかし、その表情から溢れる愛情は確かに優に届いていた。だからこそ優はこんなにも気になっているのだ。


「でも、助けられたことによる好意に甘えるというのも……」

「お前には経験はないのか? 助けてくれた人間に親切にしたいと思ったことは」


 ある。思い浮かぶのは病室の少女。そもそも自分が助けられたから好きになるという経験をしていたことを思い出した。

 なにもおかしいことはない。ごくごくありふれた感情の流れであった。

 優は静かに目を閉じ、自分の感情を整理する。


「大事なのは表面じゃなく、内側の部分なんですね」

「そうだな」

「……俺は彼女に気まずい思いをしなくていいんですね」

「そうだな」


「――俺は、ロリコンじゃないんですね」

「いやそれは違うな」


 えー!?今そういう流れだったでしょう!


「いや普通に未成年相手にそんなこと考えるのはロリコンだろ。私の妻は成人女性だが」


 がくりと膝を折る。あんた今大事なのは中身言うてましたやん……


「近所付き合い程度なら構わんだろうが、手を出すのはアウトだ馬鹿者」


 いやだから手なんて出さないって……

 そう言おうと立ち上がった瞬間――


 ブブッ


 優のスーツの内ポケットからバイブレーションが鳴った。

 先輩に一言断り、仕事のメールかもしれないとメッセージアプリを起動する。


「おっ?」


 そこに書かれた送信者の名前は話題の当人である愛だった。

 なにかあったのだろうか。優は心配になり急いでメールを開ける。そこには――


『今日の晩ごはんはシチューですよ』


 というメッセージと共に美味しそうなホワイトシチューの写真が貼ってあった。

 なんとも微笑ましいメールだった。

 ほっと一息吐き、メッセージを閉じようとする。しかしその瞬間、またスマホが震え追加の画像が送られてきた。

 優は特になにも考えず、流れのままに開封した。そこには――


「っ!」


 一生懸命に右手を伸ばし、自分とシチュー鍋を枠に収めた自撮り写真。エプロンを着け、髪は調理のために一括りにしている。そして左手にはスケッチブック。スケッチブックには『早く帰ってきてくださいね』の文字が浮かんでいた。


 優は手で顔を覆って再び崩れ落ちた。もぅマヂ無理……待ち受けにしょ……

 光の早さで画像を保存する優。そしてすっくと立ち上がり、先輩に頭を下げる。


「ありがとうございました先輩。とても参考になりました。それとすいません、今すぐに帰らなくちゃいけない用事ができたんで帰りますさようなら!」


 そう言って軍隊のように回れ右した優は、全力ダッシュで家路を急いだ。


 「お前やっぱロリコンだわ」と呆れながら結論を下す先輩の声を残して。

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