第5話「迷子の私」

「うー……いやありがとなぁ姫さん……」


 なんで私こんなことしてるんだろう……

 ぐったりしている優に肩を貸し、えっちらおっちらとマンションの階段を昇りながら少女は溜め息を吐いた。

 意識はあるようだが、かなりの千鳥足で一人ではまともに歩けそうになかったので仕方なく手を貸し、優が休める場所……優の部屋を目指している最中だった。


 真面目な話をしてたはずなのに……少女は、顔を伏せながらも足はきちんと動かす隣の優を見てまた溜め息を吐いた。なんだかままならない。あと姫さんってなんですか。名乗ってないのが悪いんですけど。


 廊下を進み、『新藤』という表札を掲げたドアの前に辿り着く。鍵が開いていなかったので、隣でぐったりしている優の肩をポンポンと叩く。鍵は彼が持っているはずだが、さすがに男の人の体をまさぐるのは躊躇われた。

 しかし、やはり極力動きたくないのか顔を上げないまま、彼は指だけを下に向かって動かした。


「すまん、取ってくれ……」

「……?」


 一瞬ズボンの中でも探れと言われたのかと思いドキリとしたが、彼の指差す先には植木鉢が鎮座している。まさかとは思いつつも、彼をドアに寄りかからせてから植木鉢を退けてみる。そこには案の定、ドアの鍵が隠されていた。


 安直で不用心……と思いながらも手に取り、ドアを解錠。暖房の効いた室内の空気が温かく出迎えてくれた。


「うおー……引っ張ってくれぇ~」


 靴を脱ぐ際、遂に顔面から倒れ伏した優の手を持って、リビングに続く廊下で彼を引きずる。

 いよいよ目線が冷たくなってきた少女の右手に、ふと硬質な感触があった。よく見てみると、彼の左手には銀色に輝く指輪が嵌められていた……薬指に。


「!?」


 思わず二度見して、慌ててリビングに続くドアを見るが人の気配はない。奥さんと一緒に住んでいるわけではない……単身赴任?

 呆けたように優を見る。この情けなく引きずられながら「新藤クイックルワイパー!」と必殺技を唱えるように口に出しボロ雑巾と化している男性が既婚者……?それとなんで余裕そうなの。ホントは大丈夫なんじゃないですかこの人。

 なんというか……この人を旦那さんにもつ奥さんは大変なんだろうなぁと会ったことのない奥さんに同情した。


「……っ」


 リビングに辿り着き、ベッドには持ち上がりそうになかったので炬燵に面した座椅子に座らせる。パタパタとキッチンへ移動し、悪いとは思いつつも冷蔵庫を開けた。


「(お酒が多い……)」


 冷蔵庫の中はほとんどが酒だった。そんなにお酒に強そうでもない様子だったけど……

 ビール缶に埋もれるように置いてあったミネラルウォーターのペットボトルを取りだし、適当に棚にあったグラスへ注ぎ優に手渡した。


「サンキュー姫さん……」


 喉の音を豪快に鳴らして水を飲む優の様子にホッと一息ついた少女は、今度は落ち着き無さそうに立ったまま身じろぎする。

 初めて入る男性の独り暮らしの部屋。既婚者であるとわかったことも大きく、彼の態度からも危ないことは最早ないだろうとわかってはいるが、落ち着くなんて無理な話だ。


「あー染みる……だいぶ楽になった」


 そわそわしている少女を前に、ようやく一心地ついた優は改めて少女に目を向ける。

 キョロキョロするたびにセミロングの黒髪と後頭部に軽く括った細いリボンが揺れる。身長も平均より小さめだし、小動物のようだ。明るい場所で見てみると可愛らしい顔をしていることがわかる。

 しかし、その顔は先程まで暗い影を落としていたのだ。度重なる状況の変化に今は少しマシになっているが……


「まぁ座れ、寒かっただろ」


 とりあえず話す場を整える。身体が冷えていたら考えも冷たくなってしまう。

 少し遠慮がちに対面の炬燵に入ってくる少女。はじめはおそるおそるだったものの、炬燵の暖かさにふぅと吐息を漏らした。


「さて、どこまで話したかな」


 いや自己紹介しただけで何も喋ってないじゃないですか。その旨を呆れたような表情を浮かべながらスマホの画面で伝える。


「そういやそうか。あー優しくする理由だったな……あれだ、俺の趣味だ」

『……ロリコンなので?』


 俺の醜態を見たことでだいぶ遠慮がなくなってきたな、いいことだ。

 そんなジト目でこちらを見る少女を鼻で笑う。確かに状況的には彼女の言うようにそう見られても仕方ないが、大人を舐めてもらっちゃ困る。


「ガキをどうこうする趣味はねぇよ。4年早いわ」


 案外近かった。


「善行が趣味ってことにしといてくれ。はいはいこの話はおしまいおしまい」


 手をパンパンと叩いて終了宣言する優。出会ってから剽軽な態度ばかりの彼が見せる珍しい態度に、少女はそれ以上追求しなかった。あまり聞かれたくないことなのだろう。趣味が善行だなんて普通に聞いたら胡散臭い人でしかないけれど。


「さ、俺は答えたから今度こそ教えてくれるんだろうな?」

「……」


 この男性が悪い人でないことは何となくわかる。これでも喋れないなりに数年間生きてきたのだ。人を見る目は他の同年代の子よりは養われているという自負がある。そしてこの人が親切にする理由も……まぁ誤魔化されはしたが、何か理由があってのことだというのも理解した。

 あとは自分の気持ち次第だ。私はどうしたい?どうしたらいい?


「……っ」


 自分の心の中を覗くたび、目の前が暗くなり、身体は重くなっていった。

 いつも通りに独りで食事の用意をし、学校に通い時間が過ぎるのを待つ。友人と呼べる者もなく、終われば足早に帰宅して何をするでもなくルーチンとして勉強をする日々。声を掛ける者はいなくなった。

 この無味乾燥な日々が続くのかとふと思ってしまった時、自分の中で大切な何かが削られているのを自覚した。


 それに気付いてしまうと、もう駄目だった。


 とにかく足を動かした。今止まってしまうと、もう二度と立ち上がれない気がした。

この場所より遠くへ、と思い電車に乗ったが、そもそもお金なんてそれほど多く持っていないためたった数駅しか移動できなかった。あまりの無力さに思わず笑ってしまったものだ。

 どことも知れぬ道をふらふらと歩き、そうして行き着いた先があの公園だった。昔好きだったブランコに乗り、今更ながら上着すら着ていないことに気づいた。

 白い吐息が寒空に溶けていくのを眺めた。それを見て、その様を羨ましいと思ったのだ。

 自分もこのまま溶けていきたい。そうすれば、風に乗って大切な人が待つところへ行けるのではないかと。

 そんな風に考えていた時だった、この人が私の前に現れたのは。

 疲れきった私の前に現れて、お茶らけた態度を取り続けて思わず疲れを忘れさせた酔っ払い。善行が趣味という、あまりにも自分にとって都合がよすぎる存在。

 だったら……だったら、してもらおうじゃないか、その趣味の善行とやらを。


 少女は俯き、表情を見せないままスマホをタップし始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る