12-2 女に手を出すな。ほかに自分の居場所を作れ。

 金曜日、山口がまた締め出しを食うとかわいそうだ。青木さんと飲む、来るなら鍵を開けて部屋にはいっていてくれとメールを書いて送信した。そうだ、ぼくにとって一番重要な、山口に気持ちを伝えるということが、まだできていなかった。山口のことを考えるだけで、緊張してくる。

 また青木さんの家の最寄り駅ちかくで飲むことになった。小さな建物の二階で、気軽な感じのイタリアンのお店だった。青木さんはスパークリングワインをグラスで頼み、ぼくも同じにした。お通しを食べながらスパークリングワインを飲む。サッパリした甘さでおいしい。

 食べ物の相談をして、注文をした。

「こういうお店って、ひとりじゃ来ないですよね」

「おれ?いや、ひとりだね。家の近所だし、来るときはいつもひとりだよ?」

「そうなんですか?デートでくるものじゃないですか」

「そうだね、デートでくるにも穴場的なお店だよね」

 まわりをみても、客がほかに一組しかいない。

「デートはどういうところでするんですか」

「そうだな、大学のちかくがやっぱり多かったかな。あとは渋谷とか」

「最近は?」

「最近?もう何年もデートしてないよ、おれは」

「萌さんと会いましたよね」

「もしかして、萌ちゃんから聞いた?」

「はい、すみません」

 言葉とは裏腹に、ぼくはすこし強気だった。

「奥田さん、深入りしないことだ。ほら、山口さんだっけ?その子のことだけ考えた方がいい」

「どういうことですか。なにがいいたいのかわかりません」

「自分にとって、大事なものはなにかということだよ」

「青木さんにとって、萌さんはどうでもいいと?」

「そんなにつっかからないでくれ。冷静に。いいかい。山口さんとは付き合うことになったの?」

「いいえ、これからです」

「これからということは、心は決まったんだね」

「はい、好きだっていうつもりです」

「だったら、まずは、山口さんのことを一番に考えることだよ。スイスから帰ってきたの日曜だっけ?そのあと山口さんに気持ちを伝えるまえに、萌ちゃんに話を聞いたんだろう?非常にマズいよ、それは」

「萌さんは、ぼくがスイスにいるときにメールをくれたんです。つらくて悲しい思いをしている萌さんを優先しちゃいけないんですか?」

「いや、奥田さんが決めることではあるけど、おれがアドバイスするなら、それであっても山口さんに会って、気持ちを伝えるのが最優先だと思うよ。萌ちゃんが悲しんでいたとしてもね」

「青木さんがいいますか」

「まあね、おれがいうべきではないかもしれない」

 話しているあいだに、お店の人が料理をテーブルに置いて行った。ぼくは取り皿に乱暴にとって、頬張った。腹が立っていても、おいしかった。青木さんが赤ワインをグラスで注文した。ぼくの分も注文してくれた。嫌になるほどスマートだ。

「萌ちゃんが、奥田さんに話したってことは、事前に相談にのっていたんだね。まったくキミはお人よしだよ。それとも、相手が萌ちゃんだったからかな?」

「ぼくを頼るしかないなんて人は、ほかにいませんよ」

「そうかもしれないね」

「泣いてましたよ」

「そう。かわいそうなことをした」

「青木さんのせいです」

「そうだ、おれのせいだ」

「萌さんがセクシータレントだから付き合わないと言ったそうですね」

「そうだね」

「ぼくは青木さんがそんなことをいう人だとは思いませんでしたよ。がっかりしました。萌さんは、まじめで一生懸命で、青木さんのことが好きで、青木さんのことを知りたいと思って、藁にもすがる思いで、ぼくなんかを頼りにして。セクシータレントなんてこと関係ない。素晴らしい女性なのに」

 届いたばかりの赤ワインのグラスをあおった。料理も頬張る。

「奥田さんは勘違いしているみたいだな。おれが言ったのは、仕事の取引相手ということだよ。萌ちゃんがどうというのは関係ない。言っただろ、社内で交際相手を見つけるつもりはないって。同じことだ。取引のある会社の人と付き合うつもりはない。そんな風に勘違いするっていうのは、奥田さんが心の中では、萌ちゃんに偏見をもっているってことじゃないのか」

「そんなことありません。ぼくは萌さんのことをよく知ってるんです。萌さんは引退してもいいと言ってましたよ」

 萌さんにキスしてしまったときのことが頭をよぎった。青木さんに見通されているような気分になる。。

「よく考えてくれよ。萌ちゃんが引退しておれの彼女になったら、萌ちゃんの会社の人はどう思うんだ。あいつが萌ちゃんをたぶらかしたから引退されてしまったと思うだろう。自分たちだけじゃなく、双方の会社にも迷惑がかかる。おれはこの業界の女と付き合うつもりはない。それがどんなに素晴らしい女性であっても。そういうつもりで萌ちゃんに答えたんだよ。萌ちゃんにはそういう風に伝わったはずだ」

「青木さんは、仕事のほうが大事なんですか」

「そうだよ。この業界にはいるときに決めたんだ。職業倫理ってやつだな。この業界でやっていくつもりなら、守らなくちゃいけない。おれだけじゃない。奥田さんも気をつけた方がいい。トラブルの元だ」

「ぼくは、そんな風に割り切れません」

「そうだな、そういうところも、はやくこの業界を去った方がいいと思う理由だ」

「そんな」

「じゃあ、どうするんだ。もしいま、奥田さんが萌ちゃんに手を出したら、萌ちゃんの会社の社長が奥田さんとこの社長にクレームをつける。クビになって、どこで写真を撮って食っていくんだ。ほかにないから、この業界にきたんだろ。だから、女に手を出すな。ほかに自分の居場所を作れ。これが、おれから奥田さんにできるアドバイスだ。仕事以外で言えば、山口さんを大切に」

 ぼくは青木さんのアドバイスを素直に聞くことができなかった。まだ頭に血がのぼっていたのだろう。青木さんをへこませられなくて、くやしかった。くやしくて、いっぱい食べた。

 店をでたときは、ベルトをゆるめていたけど、まだ満腹で苦しかった。つい、ぞんざいな態度で青木さんとわかれてしまった。

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