3-5 山口はぼくの写真が好きだと言った。素直に受け止めるべきだろうか。

「いったー」

「なんじゃこりゃ。キスって、いまの?小学生のキスかよ」

 ぼくは痛みで何も答えられない。おでこを押えて布団に倒れ込んだ。山口がぼくの股間をまさぐる。なんだ?なにがぼくの身に起こっているんだ?なんで山口はキレたんだ?

「立つところ立ててるじゃない。なんでこうなるの?」

 頭がガンガンして、まだ何もいえない。

「もう、わたしが犯すしかないの?」

「ひぇっ、やめて」

 山口が、頭を抱えるぼくに馬乗りになってきた。さらに体を丸める。山口はぼくの体からおりて、もとのあたりにすわった。ぼくもまだ頭が痛かったけれど、浴衣の乱れを直しながらとなりにすわる。

「あの、ぼくのキス、ダメだった?下手だったかな?はじめてだから、うまいとか下手とかわからないんだけど」

「はあ?はじめて?」

「うん」

「だって、彼女いたんでしょ?」

「うん。でも高校生だったし、キスするまえに別れられちゃった」

「いや、カズキがキスしないから別れちゃったんじゃないの?」

「でも、別れるくらいならキスしよって言ってくれるんじゃない?」

「いや、別れるわ。それは、別れるわ」

「二回も言わないでよ」

「初めてがわたしでよかったの?」

「うん、山口がいいって言ったらキスしたいって思った」

「うーん。それは。ダメだよね。男としてダメだよね」

「あれ?男女差別ですか?」

 ぼくは、はじめてやりかえす機会を得た。いつもぼくが、男女差別だと攻められるのだ。

「いや、差別ではない。男と女はちがうのだから、まったく同じ扱いをすることが平等ではない」

 なんかむづかしいことを言いだす気だ。山口は写真を撮るだけが能ではない。勉強もできるらしい。

「雰囲気を読むってことを知らないの?」

「うーん、そういうの苦手」

「キスしていい雰囲気とか、キスしてほしそうな雰囲気とか」

「ぼくにはわからないみたい」

 今度は山口が頭を抱えた。

「はー。ホント、一生童貞だ、これは」

「そうなの?雰囲気読めないと童貞のまま?」

「当たり前でしょ。まさか、舌いれてキスしていいとか、おっぱい触っていいとか、服脱がしていいとか、乳首なめていいとか聞くつもり?いれていいって聞くつもり?」

「いや、そこまでは思ってないけど。おっぱい触っていい?と服脱がしていい?は聞いた方がよくない?」

「死ね」

「ひどい」

「むしろ殺す」

「ひどいよ」

「わたしは、殺すね。そんなこと聞かれたら。だからカズキは聞いちゃダメ」

 ぼくは、どうしたらいいかわからなくなった。

「カズキ。いまの仕事やめない?」

「え?嫌だよ。やっと見つけた仕事なんだから」

「向かないってわかってるでしょ。写真撮ればなんだっていいわけじゃないの」

「わかってるよ。でも、お客さん満足してくれてるよ」

「本当にそう思うの?」

「たぶん」

「カズキの撮った写真見て、商品を買ってくれると思うの?」

「買ってくれるよ。ちゃんと撮ってるんだよ」

「そう。わたしは、カズキにポートレートは向いてないというか、一番向いてないって思う。人間の表情や動きについていけないでしょ。山とか風景以外カズキに向かない。風景もシャッターチャンスは一瞬かもしれない。でも、それまでに準備ができる。カズキは待つの得意だから、一瞬をずっと待っていられる。そういう被写体を撮りなよ」

「自分が風景撮りたいって言っても、そういう仕事がなければ生きてゆけないよ。人間としても、写真家としても」

「でも、目指すことはできる。カズキはなにも手をつけてないでしょ。わたしが撮影に連れ出して、なのに撮っても賞に応募したことがない。それは風景を撮りたいと言ってもいないってことだよ」

「撮れない」

「なに?」

「撮れないんだ、ぼくは。山口より、いい写真が撮れない。そんな写真を賞にだしたくなんかない」

「わたしが悪いの?」

「ちがう。ありがたいと思ってる。山口に感謝してる。写真を撮らせてくれて」

「じゃあ、弱音はかないで、いい写真撮りなさい。わたしは、カズキの写真が気に入ってるんだから。なに気弱なこといってんの」

「ぼくの写真なんかどこがいいのかわからないよ。絵はがきみたいな、当たりさわりない普通の写真しか撮れないじゃないか」

 山口の目から、涙がこぼれた。どうしたんだろう、ぼくはヒドイことを言ったかな。

「あの、なにかヒドイこと言った?」

「言ったよ。最低だよ。クズだ」

 ぼくが泣きたい。

「なにがいけなかったの?」

「なんで自分で撮った写真をそんな風にいうの?いいと思ってシャッター切るんじゃないの?わたしの好きな写真を。そんな写真を撮れるカズキを」

 もうしゃくりあげて泣いている。

「カズキ、抱きしめて。わたしのこと抱きしめて」

「え?ああ、うん」

 太ももの外側どうしをくっつけるようにして、向かい合っていた山口のとなりに正座する。山口のほうに体を乗り出して、背中に腕をまわして抱きしめる。山口の体がぼくのほうに傾く。なんだか体勢がキツイ。山口が体をはなして、ティッシュの箱に手を伸ばした。鼻をかむ。ぼくを見る。肩を突いて、ぼくを布団に突き倒した。今度は立ち上がって、奥の布団の掛け布団をはいで横になった。

「こっちきて寝て」

 なにをされるのか不安だったけど、浴衣の裾を整えて山口のほうを向いて寝そべる。山口は、ぼくの腕を枕にして胸に顔をうづめる。自分の腕は、ぼくの腰にまわしている。枕にされていない方の腕は手持無沙汰で、軽く山口の腕の当たりにおく。山口のことがいとおしい。

「カズキ、自分の写真のよさに気づいてないんだ。わたしはカズキの写真好きだよ」

「ぼくのことが弟みたいでかわいいから、そう思うんじゃなくて?」

「弟?カズキのほうが年上なのに?」

「だって、いつも世話してくれるだろ?」

「そういわれてみれば、手のかかる弟みたいだ。弟ならお姉ちゃんの言うこと聞きなさい」

「弟はお姉ちゃんに反発するものだよ」

「かわいくない」

 山口が大きく鼻で息を吸った。

「カズキの匂いがしない」

「風呂入ったばっかりだし、旅館の浴衣に布団だからね」

「つまらない」

「いつも臭い?」

「ううん、落ち着く匂い」

「ふーん。こうして上から見ると、山口がかわいく見える」

「いつもはブスってこと?」

「ちがうよ。かわいいのタイプがちがうんだよ。いまは小動物のかわいい。いつもは女の子のかわいい」

「本当に?」

「本当」

「じゃあなんで、言ってくれないの?」

「恥ずかしいじゃないか」

「そうなの?かわいいねっていうのは恥ずかしいことなの?」

「うん。ぼくにはね」

「ヘンなの」

 山口は、ヘンなのという言葉を最後に眠ってしまった。となりに山口が寝ているというだけで、ぼくは興奮して眠れそうにない。体がかたまって痛くなってきた。ゆっくり腕を山口の首の下から抜きだして、掛け布団をかけてやる。キス。一回したんだから、またしてもいいような気がするけど。さっきかわいいと言ったときにすればよかった。いまはやめておく。

 ぼくは、羽織を着て前を隠してトイレにいった。トイレが共用なのだ。

 個室で山口のことを考える。浴衣姿。唇の感触。肩を抱いたときのやわらかさ。体温。こんな風に山口をおかずにするのは悪いことだろうか。山口が知ったらなんというだろう。手伝ってやろうかといいそうかな。口でしてくれるともいいそうだ。口でしてもらったらどんな感じだろうか。おっぱい触らせてもらったらどんなに気持ちいいだろう。山口も気持ちよくなるかな。山口の喘ぎ声を想像する。

 いくらかの罪悪感とともに、ぼくはトイレを出た。山口が寝ている布団のとなりの布団にはいる。山口はぼくの写真が好きだと言った。素直に受け止めるべきだろうか。

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