第25話「それはたった一つの微かな希望」

 これは、ある旅人の話だ、

 彼は、そう、その旅人は男だった。彼は世界中を旅した。

 文字通り世界の端から端まで。

 いくつもの世界を、旅した。

 望みはたった一つ。彼の最愛の人を救済すること。


 彼に不可能などなかった。

 世界を救うことも。

 悪を挫くことも。

 人々に幸せにすることも。

 彼には何でもできた。


 ただそれは、時の流れに逆らわない範囲での話に過ぎない。

 そして彼の望みは、その範疇に位置していた。

 常人なら気が狂ってしまうくらいに長い間、彼は探し求め続けた。

 肉体を新たにすることも可能だった彼には、時間は無限にあったからだ。


 歩いた。

 歩き続けた。


 微かでも可能性があれば、彼はどこへでもその足を運んだ。

 肉体を焼き尽くすような火口の中でも、血液が凍るような極寒の地でも。


 旅の年月は八千年を超えていた。


――――


 あの世界消滅から、もう何年が経ったか。一体何回転生を繰り返して、探し求めたか。

 いつからか、数えることも忘れてしまった。

 方法の糸口さえも見つからなかった。

 世界を復活させるよりも、時間を巻き戻す方が可能性はありそうだということはわかったが、それだって夢物語の枠から出ない。


「はぁ……」


 俺は草原の中央で横になった。心地よいはずのそよ風が、今の自分にとっては不快で仕方ない。


『まだ、続けるのですか……?』


 頭の中に声が響いた。その声を聞いたのは、随分久しぶりのような気がする。


「おお、久しいな」

『お久しぶりです。勇者さま。随分とまたおじいさんになりましたね』


 自分の手を見てみると皺だらけでヨボヨボだ。それに最近は少し動くだけで疲れてしまう。次の転生の頃合いかもしれないな、と思った。


『どうして、諦めないのですか……? もう、八千年も経っているのに……』


 八千年。魔王討伐でも数百年だったような気がする。そうか、そんなに長い時が過ぎ去っていたのか。


「それでも、諦めるわけにはいかない」


 彼女が、待っているような気がするからだ。

 どこかで、俺が帰ってくるのを待っている背中が、頭の中に浮かんでくる。

 きっとそれは幻想に過ぎないのだろう。

 それでもそれを胸にしていれば、まだ歩ける気がした。


『……そこが、最後の世界です』

「108……だな」

『ええ。ですから……』


 そこで女神様は口を止めた。言いたいことは自分でも重々理解していた。

 この世界でもついに、俺は美奈を救う術を見つけることはできなかった。

 それはすなわち、俺の旅の終わりを意味していた。

 108ある俺が救った世界の全てを、本当に全部を探し尽くした。

 もう、他に探す場所がない。


「……まいったな。はは」


 乾いた笑いがふっと出てくる。涙も出てこない。

 ないのだ、どこにも。

 美奈は、死んだ。

 その事実を覆そうと、世界中を旅したのに。

 八千年という途方もない年月をかけて、ずっと探していたのに。

 美奈を、助けられなかった。


「はは……。あははは……っ」


 笑うことしかできなかった。そうだ、今までだってずっとそうだったじゃないか。

 死んだ人間は生き返らない。そんな当たり前のことを思い知らされるのに、一体どれだけの時間をかければ気が済むのだろう。


『勇者さま……』


 女神様の声は耳には入っていたが、俺の心には届いていなかった。

 ずっと怖かった。

 彼女の死を認めるのが。

 本当は怖くて怖くて仕方がなかった。もしも、どこにもなかったら、自分はどうすればいいのだろう?

 だから、その考えを振り払うように、どこにあるはずだと自分に言い聞かせてきた。


「……女神様」

『はい?』

「少し、一人にさせてくれ……」

『はい……』


 女神様の気配が消え、俺は一人になった。

 美奈は救えなかった。

 なら、俺はどうすればいい?

 改めて自分の手を見る。この身体ではもう数年も保たないだろう。それならもう終わりにしてもいいのかもしれない。

 存在しない答えを探すのに、もう疲れてしまった。


 このまま目をつぶれば、俺はもう目覚めないような気がした。そうしたらこの旅は終わる。

 永遠にも思えた旅が、道半ばという言い方もおかしいが、そんな形で終焉を迎えるのだ。

 目を閉じてしまおう。

 そう思った。


 その次の瞬間のことだった。


「あのー、おじいさーん」


 耳元で声が聞こえた。女性の声だ。

 薄れかけていた意識が一気に覚醒する。見ると自分を呼んだのは紅色の肌の、人型の魔物だった。肌の色と腰から尻尾が生えていること以外は、人間とさして変わらない。


「あなた……ですわね? 時間を巻き戻す方法を探してたのって」


 顔に見覚えはなかったが、着ている制服からついさっき訪れた研究機関の人物だということがわかる。


「君は?」

「申し遅れました。ワタクシは第六魔法学研究所に所属している、リーナという者ですわ。……とは言え、内容的に異端者扱いですけれど」

「は、はぁ……」


 話が見えなかった。俺は探し尽くしたはずだ。この世界も、他の世界も。

 誰も本気にしなかった。冗談半分で受け取られるのがほとんどだった。

 もしかして、俺は何かを見落としていたのだろうか?

 そんなはずはない。ないはずだが――


「時間を巻き戻す研究を?」


 そう問わずにはいられなかった。


「いえ、具体的にその研究をしているわけではありませんわ。ただ、ワタクシの専門は時空の研究ですので、近いものはあると思います」

「時空……?」


 未だにリーナの話の筋は見えない。

 だが何かが動き始めたような、そんな気がした。


――――


「……っ!」


 それは突然やってくる。痛いという感覚が思考を埋め尽くす。

 頭が締め付けられるようだった。ここ数百年、時折襲いかかってくる。

 最近はどんどん頻度が高くなってきている。時間経過によるものなのだろうか。

 人ならざる存在である私に、このような現象が起こる理由が想像もつかない。人間という不完全な肉体を持たない自分がこのような頭痛に見舞われるなんて、一体どうしたことだろう。


「……それ以前に」


 それ以前に、私とは何なのだろう?

 そんな疑問がふとした時に湧いてくるようになった。

 以前は一度も、考えたことすらなかったのに。


「どうして……」


 どうして気にならなかったのだろうか。

 私は『ある瞬間』からのことしか覚えておらず、それ以前の記憶がない。

 思い出そうにも、最初から存在していなかったかのように空っぽなのだ。

 だから、何もなかったのだと思っていた。そう思っていることが異常だということにすら、私は気づかなかった。

 しかし、この頭痛に悩まされるようになってから、そこにぼんやりとした情景が存在していることが、なんとなくだがわかってきた。

 いや、存在している、と言うのは違うのかもしれない。

 次々と線が足されていって、絵画が出来上がっていくように記憶が、いや、『過去そのもの』が生み出されていく。


 過去は私にこう言った。

 私は、人形なんだと。

 人形、人形、人形、人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形。

 私は、人形。


「ちが、う……。私は、人形なんかじゃ……っ」


 私は彼女によって作られた人形。

 魂を持たない、哀れな操り人形。


「違う……! そんなの……」


 誰か私を―― 


『女神様』


 部屋の中に響き渡る人の声。それに呼び起こされるように、私を蝕む声は消えた。

 勇者さまが私を呼んだのだとすぐにわかった。他に私を呼ぶ人物もいないから、当たり前の話ではあるが、それでもその声をありがたいと心から思った。


「勇者さまですか?」


 わかりきっている質問は無意味だったが、そう問わずにはいられない。

 八千年の旅路が徒労に終わった。そう思い知らされたはずなのに、その声音にどうしてか絶望が含まれていなかった。


『ああ、心配をかけたな』


 むしろ逆に希望が見つかったようにも感じられた。何か新しい手がかりがあったのかもしれない。


「何か、見つかったのですか?」


 だが、今までこんなことは何度もあった。そしてその度に勇者さまは絶望の底へと突き落とされるのも、同じ回数見てきた。

 彼が生きるための望みを捨てないでいてくれるのは嬉しい。でも、これ以上悲しむ姿を見たくはない。

 相反する感情が自分の中を回っていると、勇者さまは予想もしなかった答えを口にした。


『いや、見つかっていない。だから、俺が作ることにした』

「……はい?」

『きっと俺の探し求めた答えは、世界のどこを探しても見つからない。そもそも存在しないんだ』


 それはこれ以上ない絶望的な終着点のはず。なのにどうして?


『なら、俺がその答えを作り出す。誰も知らない方法を、俺自身で編み出すんだ』


 その瞬間に全てを理解した。勇者さまがやろうとしていることの真意を。


「……つまり、それは勇者さまがそこでこれから研究をすると?」

『そうだ』


 ああ、この人は本当に強い。

 何度打ちのめされても、いつも必ず立ち上がる。

 だから、108の世界を救うなんて荒唐無稽な困難も乗り越えられた。


『女神様』

「はい?」

『まぁ、そういうことだから、もう少しだけ俺に付き合ってくれないか?』


 自然と笑みがこぼれる。まさかこんなことをするなんて思ってもみなかった。

 それは口にするよりもずっと困難な道程になるはずだ。

 魔王を討伐する数百年よりも。あてもなくさまよう八千年よりも


「ええ、わかりました。最後まで付き合いますよ、『教授』さま」

「それはカッコ悪いからやめてくれ」


 だが、そう言って二人で笑う。

 それは八千年ぶりに聞いた、本当に楽しそうな声だった。

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