第10話「転生しすぎた勇者は発見されている」

「あ……っ!」


 しまった。美奈の祖母ということは、つまりはこの家の主。見つからないようにと心がけていたつもりだったが、完全に油断していた。

 どうする。このままじゃ不法侵入で逮捕されるのは免れない。

 なら、逃げる他ないだろう。窓は、開いている。すぐに飛び出せば――。


「あ、別に焦らなくても大丈夫よぉ。気づいてたからねぇ」

「……えっ? き、気づいて、いた?」

「ここで話すのも何ですし、下に降りてきなさい。お茶でも出すよ」


 予想外の祖母の言葉に何も言い返せなくなってしまった。

 ここまでされたら今度は逃げるなんて選択肢はもっての外で、その言葉に頷くことしかできない。


「……い、いただきます」


 僕の返事を聞くと祖母は再び嬉しそうな笑顔を浮かべ、部屋の外へと出て行った。


「くぅ……、くぅー……」

「……寝かせておこう」


 穏やかな寝息を立てる美奈が横たわる部屋の扉をそっと閉めた。

 初めて見る部屋の外の光景。木の壁や天井が広がっており、外観のイメージよりも広々とした印象を受けた。

 一階に降りると暖色の灯りが漏れる部屋を見つけた。恐らくそこに祖母は向かったに違いない。


「どうぞ」


 前もって準備をしていたのだろうか。既に祖母の座る対面のテーブル上にイスと湯気が立つ茶碗が並べられていた。


「ありがとう、ございます……」

「ごめんなさいね。ろくにご飯も用意できなくて」

「いえ……」

「最近ね、あの子がよく笑うようになったのよぉ」

「えっ?」


 あまりにも唐突な話の入りに頭がついていかない。


「あと、ご飯を食べる時とかには、いろんな話をしてくれるようにもなってくれてねぇ。『今日は山に冒険に行った』とか、『村の見たことのない場所へ行ってきた』とか」


 どうやら美奈の近況の話をしていたらしい。笑わない美奈というものが想像できず、すぐに『あの子=美奈』という等式が思い浮かばなかった。


「へぇ……」

「その時にね、いつもあんたの話をするのよ?」

「僕の?」

「ええ、ええ。本当に楽しそうに。ここにいる時のあの子は、いつも退屈そうで……。だから、あんたには一度会ってみたくてねぇ」

「気づいていたって……」

「何か隠しているなぁ、とは思ってて。てっきり犬か猫でも部屋の中で飼ったりしているのかなぁ、なんて」

「……そう、だったんですね」

「ええ、でもまさか人間がいるなんて思ってなかったから、一昨日あんたを見つけた時は驚いたわぁ」


 そう美奈の祖母はクスクスと可笑しそうに笑った。


「あ……」


 思わず声が漏れてしまう。

 今の笑い方、微かに美奈に似ていたような気がする。やはり血がつながっているからなのかもしれない。


「あの子は、夏休みになるとここに来るんだけども。親はずっと仕事で忙しくて、ごはんも作ってあげられなくて」

「だから、おばあちゃんに預けている……」

「本当はわたしなんかに預けないで、親子一緒の方が良いっていっつも言っているんだけどねぇ。そうもいかないようで……。向こうには向こうの事情があるんでしょうね」


 親が子から遠く離れた地で働く。そんな記憶は幾多の転生を繰り返した中では珍しいものではない。自分にとっては数あるパターンの一つでしかなかったが、美奈の人生にとってはその一度きりだ。

 もしも魔王討伐の使命なしにこの世に生を受けて、しかもそれがたった一度きりの人生だったとしたら、きっと僕も美奈たちのような表情になるのかもしれない。

 少なくとも、今の僕には理解のしようがない感情だ。


「それでここに来るけどここには何もないから、あの子にとってはちょっと退屈で。しかも毎年のことだから、なおさら……」

「ということはここに、他の僕くらいの年の人は……」


 残念そうに祖母が首を振る。昼間に小学生くらいの子供を見る機会があったが、いささか美奈とは年齢が離れていた。


「ええ、ええ。だからせめてわたしが何かできれば良いのだけど、最近の若い子のことはよくわからんくてのぉ……」


 祖母は寂しそうに自虐的に笑みを浮かべる。


「だから、お願いしてもいいかの?」

「えっ?」

「あんたにはあんたなりの、ここにいる事情があるんでしょ?」

「ま、まぁ……」


 事情について聞いてこないのが幸いだった。まさか魔王討伐の休暇でここにいるなんて言えるはずがない。


「なら、あの子と一緒にいてもらえんか? この家にはいてもらって構わないから」


 祖母はこれ以上ないくらいに丁寧に頭を下げた。見た目はただの子どもにしか見えない僕に対して。


「そんな、頭を下げないで……!」


 思わず声を上げてしまう。勇者だった時にはよくある光景だったにしても、今の僕はそんな頭を下げられるほどの使命を負ったわけではない。


「こちらこそ、お、お願いしたいくらい、だから……。その、よ、よろしく……お願いします」

「本当かい……! ありがとう……。本当にありがとうねぇ……っ」

「だから頭を下げないで……!」


――――


 それから少し美奈の祖母と話をしていた。

 美奈以外の人間とはうまく話せない自分だったが、どこか彼女に似た雰囲気を感じるからかすぐに普通に話せるようになった。


「へぇ……。生まれてから、ずっとこの辺りに住んでると……」

「そうそう。それでなぁ……」


 祖母の声が頭上から鳴り響く慌てた物音にかき消される。どうやら起きたらしい。

 音のする方を二人で追っていると、そのままリビングの扉へと辿り着き、次の瞬間バンッと尋常でない勢いで扉が開いた。


「ひゃっ!!!」


 思いっきり裏返った声をあげる美奈。


「あ」


 呆然とその光景を眺める僕。


「あら、おはよう」


 穏やかにお茶をすする祖母。

 見事に三者三様。


「え、えっとね、おばあちゃん、正太郎くんは……! 怪しい人じゃないって言うか、いつもの人って言うか……!」

「あ、いや、それはもう……」


 しどろもどろになりながら身振り手振りも合わせて説明しようにも、どうにも要を得ていない。助け舟を出そうかと腰を上げると――


「私を、すごく楽しませるためにいる人なの!!」

「…………」


 その言い方は、なんか、その、誤解を招かないだろうか? 事実ではあるけど。


「……ふふっ」


 おかしそうに祖母が微笑む。あらぬ誤解をしていないことを願う。


「あ、あれ? そう言えば正太郎くんはなんでそんなお茶まで用意されてくつろいでるの?」

「お茶、美味しいです」

「あら、ありがとねぇ」


 お茶を一口。夏ではあるもののやはり温かい緑茶は美味である。


「えっ? あ、あれ? あれれ? 一体どういうことなの?」

「大丈夫よ、わかってるから」


 ニコリと一言だけ告げる祖母に対して、クエスチョンマークを大量に発生させる美奈。


「ということ」

「えっ? え、えええっ!?」


 それから事の顛末を聞いた美奈は、一気に力が抜けたようで床にへたりこんだ。


「な、何なの、それ……」


 漏れるように出た声は生気が抜けていて、口から魂が出ている。

 何て声をかけようかと迷っていると、美奈の祖母が僕の方を向き直って少し真面目な顔になった。からかいすぎただろうかと思ったが、その予想は大きく外れることになる。


「ちょっと先に美奈の部屋に戻っててもらってもいいかい?」

「あ、僕ですか?」

「ええ」


 僕がいなくなれば残るのは――


「えっ」


 ――美奈と祖母のみ。


「ちょっとお話があるんで」


 ニッコリと笑顔を浮かべる祖母だが、その目は微塵も笑っていない。美奈に話があるのだろう。どのような内容なのかは早々に察しがつく。


「ひぃっ!?」


 美奈は電流が走ったように急に背筋を伸ばす。あわわ、と声を上げていた。


「ほら、ちゃんとおばあちゃんの前に座りなさいな」

「い、いや……っ! 助け……」

「ほら、正太郎くんの方ではなくこっちを見なさい」

「ちょっと待って……」


 目を潤ませながら助けを乞う美奈。


「うぅ~」


 捨てられた子犬のような瞳に、思わず手を差し伸べたくなってしまう。なってしまうが――。


「……頑張って」

「裏切られたぁっ!?」

「失礼します」


 恐らく説教を食らう羽目になるのだろう。部外者は退散するに限る。


「せっかくお客さんが来ているのに、とうもろこししか出さないのは、どうなんだい?」

「おばあちゃん、目が、怖いよ……?」

「頑張ってね」


 改めてエールを送って彼女の部屋に向かった。

 まさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。状況は好転している。ここに公認でいられるだけじゃなく、食事まで用意してもらえるらしい。

 返せるものがないと断ろうとしたが、子供が遠慮しないで、と言ってくれた。

 明日の朝からは、まともな食事ができる。そう思うと早く日が昇って欲しいくらいだ。


「また明日、お礼言わないと」


 明日はどんな一日になるだろう。

 具体的なイメージは湧かないが、きっといい日が来ると思える。

 どうしてか、この世界は輝いて見えるのだ。

 ずっと昔になくしたはずの光が、ぼんやりと自分の心を照らしているような。

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