第1話「転生しすぎた勇者に休暇を」

「97……。もうそんなに……」


 そんな言葉が口を次いで出る。自分でない何かに身体を操られているように感じた。

 ――いや、それと同化するという方が正しいのかも。

 この場所の記憶が頭に戻ってくる。


 目の前にいる女性――というのは失礼かもしれない――女神様の記憶がよみがえる。

 そうだ、俺は――。


 いや、『僕』は勇者なんだ。


 微かに自分の脳内に錯乱が生じているのを感じながら、部屋というには広すぎる空間を見渡す。

 何度来てもここは綺麗だとしか言いようがない。


 白を基調とした神殿のような内装。所々に噴水があって、そこから隅々まで小川のような水流が行き渡っている。

 とても綺麗な場所だと心から思う。思うが、本当に感動しているのかはわからない。はたしてこんなところに住んでいたら落ち着けないのでは、という懸念も同時に生じる。

 この女神様にそんな感情というものが存在するのかも微妙な話だけど。


「ええ、もうそんなになりましたわ」


 水晶のように透き通った声が悠々と耳を通り抜ける。もしもこの音を街中で耳にしたら、世の男は一人残らず振り返るだろう。

 そしてその姿は声から連想する美しさを遥かに超え、人間の想像力では到達し得ない域にまで達していた。


 女神様は雪で覆われた草原を想起させる純白のドレスを身に纏っている。それは細い身体のラインを描きながら、裾の部分はそよ風に流されるようなフワフワと宙に漂っていて、まるで天使の羽根のようだった。

 それらと対照的に薄い金色の髪が、まっすぐに地面に向かって伸びていて、さながら雪原に春の到来を告げる花のようだ。

 完璧としか形容しようのない姿形。こういうものをまさに神懸かりとでも言うのかもしれない。


「あと、どれくらい?」

「全部で108ですから、あと11個です。あなたが救わなければならない世界は」


 そう、僕は世界を救わなければならない勇者だ。

 108の世界を、魔の手から救う。

 魔王を倒すために仲間を集め、修行をする。そして一つが終わる度に、僕はまた次の世界に転生し、また一から積み上げ始める。

 幾度となく繰り返された、天性の勇者の才を持ってしまった僕の義務だ。


「じゃあ次に――」

「いえ」


 いつも通り次の、98番目の世界に行こうと開いた口は、女神様の指に遮られる。

 細い指だった。触れればポキリ、と音をたてて折れてしまいそうなほどに。


「その前に、勇者様にはやっていただかなければならない、重要なお仕事があります」


 そう言うと小さく女神様は笑う。普段は神々しさを纏わせているくせに、時折ふとした時に幼い子どものような表情を見せる。


「何?」

「それは……」


 昼の陽光のように穏やかな微笑みをたたえながら、間を置く女神様。

 一体何だろう。

 新たに救うべき世界が増えるのか。

 それとも、これからさらに苛酷になる冒険を乗り越えるための、修行のお告げか。


「休暇です」

「……えっ?」


 思わず変な声が飛び出してしまった。

 キュウカ?

 新種の植物の名前?

 それとも古より伝えられる呪文?


「休暇です」


 またも同じ言葉。


「休暇」

「はい。勇者様はこれまでほとんど休みなしで世界を救い続けてきましたので、休養をとるべきと私が判断しました」

「休みなら毎回とってるよ」


 世界を救って戻ってくる度に、一週間くらいはここで体を休めている。

 刺激的なものなど何も置いていないから、ここは本当に心から安らげる場所だ。


「ここはどこの避暑地よりもずっとゆっくりと休めるし、十分だよ」

「なら、次に行っても大丈夫だと?」

「うん」

「あんな死に方をしたのに、ですか?」


 あんな死に方。

 無機質な縄に絞めつけられた感覚、いや、記憶が脳裏をよぎった。


 ああ、そうだ。僕は自分で自分の首を吊ったのだったけ。

 でも、それも大した問題じゃない。


「死んだところで、何も変わらないよ」


 転生を重ねる僕は、死ぬとこの場所に戻ってくる。転生したばかりの頃は魔王を倒せず何回も死んで、その度に最初からやり直していた。最近はめっきりそういったことも少なくなったものだけど。


「いいわけありません」


 が、キッパリと即否定。

 その声には心なしか、激情の色が含まれているような気がした。


「今まで、勇者様の身にどんな不幸があろうと、最後までその生を全うしていた。そのあなたが自ら命を断つなんてこと、見過ごせる訳ありません」

「たまたま、ちょっと魔が差しただけだよ」

「ましてやあなたは転生を繰り返した記憶を失った状態で自死を選んだのですよ? 魔が差して自殺する、そんな勇者が世界を救えると思いますか?」


 できる、と思った。

 何回も何回も、同じようなことを繰り返してきたのだ。もう半自動化した装置のように僕は魔王を倒せる。


「…………」


「できる、と?」


 心の中を見透かしたように女神様の言葉が響く。ドキリ、と心臓が跳ね上がった。


「では、勇者様。これを」


 手を僕の目の前にかざすと、部屋の中に別の風景が描写され始めた。

 いくつもの筆が超高速で輪郭を描き、それらは世界を写す。


「……!」


 その光景に強い既視感を抱いた。ほんの数時間前まで見ていた視界と瓜二つだ。

 僕が救った世界を、高い空の彼方から見下ろしているような格好。浮いているはずなのに、足が床についている感覚があるのがひどく奇妙だった。


「見えるでしょう?」

「……なんで」


 理解できない。

 凱旋が行われてまさにお祭り騒ぎの連続だった道を歩く人々に、一つも笑顔の表情がない。魔王はもうあの世界にはいないはずで、だから魔族が街を襲ってくるなんてことを心配して過ごす毎日は終わりを告げたはずだ。それなのに――。


「みな、悲しんでいるのです」


 悲しげな声。そこに少し含まれている怒りとやりきれなさ。


「あなたの、死を」


 僕の死。


 自分一人が死んだところで、ほとんど誰も悲しむことなんてないと思っていた。

 実際、そういうことだってあったし、酷い時には悲しむどころか、魔王がいなくなった途端に僕のことを疎み始めたこともあったと思う。


 世界が平和になってから起きることは、基本的に二種類のいずれかだ。

 平和になってからの経過を見る中で、それ以上の驚異が訪れないと確信したところで、また別の世界に飛ばされるか。

 あるいは、それを待たずして勇者としての力を恐れる人々によって糾弾され、最終的に吊し上げられて殺されるか。


 どちらにしてもその時点で人間が魔族によって滅ぼされることはないのだから、僕にとっては五十歩百歩だ。

 たまに例外はあるけど、大まかに言ってしまえばそのいずれかで分けられてしまう。


 ……ああ、思い出した。

 だから、僕は死んだんだ。

 これ以上生きていても意味がないとわかったから。


「勇者様の心に陰りが生まれ始めたのは、もうずっと昔のことになりますが、『あの一件』以来、記憶を消すことによって、魔王討伐に支障が出ないようにしたのは覚えていますね?」


 僕は小さく頷いた。

 あの一件。

 そう、あの時から転生した先では、僕のかつての勇者としての記憶は消えるようにしたのだった。


「しかし、積み重なった悲しみ、苦しみ、怒り、それらが、勇者様の精神を蝕んでいって、もう記憶をいじくる程度では意味がなくなってしまいました。肉体が死んでも再生できますが、心は、魂はそうもいきません」


 こんなに怒りを顕わにしている女神様を見るのは初めてだ。いつもは慈愛に満ちた表情を浮かべていて、僕が『女神様』なんて呼ぶのも、それが理由の一つにあったりするくらいなのに。


「でも、僕にはまだ救わなきゃいけない世界が、人たちがいる」

「気づいていないようですね」


 僕の話を聞かずに遮り、女神様は言い放つ。


「もう勇者さまは何年も、いえ、何十年も笑っていません」

「そんなことはないよ。旅の途中も、魔王を倒した後も、何回も笑ってた」

「それは表面だけ取り繕うための作り笑いでしょう? 一体どれだけ長い間、勇者さまのことを見てきたと思っているのですか」


 返す言葉がなかった。数え切れない年月をかけて魔王と戦い続けてきた僕を、ずっと見続けてきたこの人を騙せるわけがない。


「……いえ、勇者様に怒りをぶつけるのは間違っていますね。あなたの心の磨耗に気づかなかった私の責任です」


 そう言うと、女神様は指先で空に何かを描いた。小さな光が煌びやかな音とともに現れ、形となっていく。


「だから、あなたには休養をとっていただきます。とある場所で数ヶ月ほど」

「えっ?」

「ええ。でも安心してください。きっと一瞬のように過ぎ去りますから」


 冗談じゃない。そんなことをしているよりも先に、やらなければならないことがあるのに。

 数ヶ月あれば、うまくいけば一つの世界が救えるかもしれない。最短だったら、一ヶ月で救ったこともある。

 僕は早く全ての世界を救い終えたかった。


「どんな時でも休養は必要ですよ。ほら、ご覧になって」


 女神様が生み出した光は、様々な色彩をなして、一枚の絵のようになった。よく見ると文字もあって、何かの宣伝のチラシのようだった。


「はぁ……」


『この世の楽園! 最高のバカンスがあなたを待っています!』


 初っ端から怪しげな文面が目に入る。正直その先を読む気が一気に削がれてしまったが、女神様の目がそれを許さずさらに読み進める。


『リラクゼーション施設の完備! 一生分の贅沢をあなたに』


 そこに描かれているイラストなどから、そこには温泉や遊戯施設など、ありとあらゆる娯楽が備え付けられていることがわかった。

 さらに豪勢な食事の数々。まさに至れり尽くせりだ。


「どうですか? ここならじっくりお休みできると思いますが」

「こんなの、どこにあるの?」

「そういうものが存在する世界があるのです。そこにあなたを転移させます」

「それこそ転生の無駄遣いだよ」

「必要投資ですよ、勇者さま。それと生まれ直すわけではありませんから、転生ではなく転移です」


 そう言って女神様は、ニコッとキラースマイルを浮かべた。

 ダメだ。この人にこんな風に微笑まれては、僕に拒否する言葉が浮かんでこない。


「それでは、勇者さま。良いバカンスを」

「あまりにも急すぎる」

「別にここにいたって、何もありませんから。あっ、ご心配無用。必要なものは全てあちらにございますから」

「そういうことじゃなくて――」

「転移魔法フィラー!」


 四の五の言う前に女神様は魔法を唱えた。それと同時に身体の外側から中に熱が入り込んでくる。いつもの転移する時の感覚だ。この熱さが絶頂に至ると、瞬間的に僕は別世界に転移するのだ。


「な……っ」

「大丈夫です。ゆっくり、休んできてください♪」


 小さく右手を振って、僕の転移を見送る女神の表情は、なんとも楽しそうで嬉しそうでもあった。


「……どうして」


 つくづく、理解できない。


「こんなことをしている場合じゃないのに……」


 僕の義務は世界を救うことで、どこかで休むことでも遊ぶことでもない。

 それだけが僕の生きている意味であり、存在意義だ。

 なのに、こんなことをして一体何になるのか。


「では……、…………あれ?」

「女神様?」

「あれ? 何かおかしいですね?」


 何を言っているのかわからない。そんな僕を気にせず、首をきょとんと横に倒し、思案を始めてしまったようだ。

 熱はどんどん上昇していく。もうあと数秒もない。


「……あ」

「『あ』って何ですか。まさか……」


 その『あ』は明らかに何かに失敗したことを示していた。しかし僕にはその内容を知る由もなく、肩を揺さぶろうと手を伸ばすも、触れるはずの指先はすでに消滅している。


「え、えへへー」


 問いただそうとすると、女神様は困ったように苦笑いを浮かべた。


「大丈夫ですよ、勇者様。……たぶん」


 最後の一言で台無しだった、

 何かを言おうとしたけど言葉にならない。四方八方から太陽の光に照らされたように熱くなる身体が、細かい粒子に分散していく。

 遠い世界へと光を越える速度で移動し、一瞬とも無限にも思われる時間の先に、僕はたどり着く。いや、時間なんて言葉すら無意味だった。

 異世界に転移する。


 はたして女神様は一体、何を誤ったのだろう。

 僕は一体、どこに飛ばされるのだろう。

 本当に、面倒なことになってしまった。

 義務を果たせないまま、勝手に休暇なんてものを取らされるなんて。


 こんなの、休養どころか拷問と言っても良い。


 ――――!


 一つになる。

 バラバラになって僕という存在の欠片たちは、再びさっきまでと同じように一糸乱れない精密さで、一つに固まり始める。

 視覚、というものがどれだけ正常に働いていたのかはわからないけど、それまで三原色が幾重にも折り重なり、ともすれば目がチカチカしていた視界が、いつの間にか真っ白に染まっていた。


 目が眩むような光が瞬き、そして暗転する。

 上も下もわからない暗闇に、溶け込んでいき、やがて、僕の、意識は、消えた。


――――


 最初に知覚したのは、音だった。


 遠くから聞こえてくる。ああ、聞き覚えがある。これは、海の音だ。

 波が浜辺に打ちつけ、そして引いていく。それが幾度も繰り返される。


 目を開くと強い光が網膜を貫き、思わず右手で眼前を覆った。

 どうやら今は昼間らしい。


 左手で自分が横たわっている地面を撫でると、細かい砂粒が指の間を通り抜けていく。

 そうしているうちに明るさに慣れていって、ようやく世界の色を識別できるようになった。


「……青い」


 雲ひとつない紺碧の空だった。

 その中にひとつ浮かんでいる太陽が、ひどく眩しい。


「あなたは、何をしているの?」


 声がした。

 それが女性のものだと理解する。そこに漂う幼い雰囲気から、大人のものではないと直感した。

 視線を声の方へ向けると、人の形をした影が逆光によって映し出されていた。


 そこには、両手を膝にあてて僕の顔を覗き込む、一人の少女がいた。


「こんなところで寝てて、風邪はひかないけど変だよ」

「変、かな」

「うん。変」


 その顔に見覚えはない。この辺りで遊んでいた子どもなのかもしれない。

 つまり、ここは平和な世界ということだろうか。

 重い身体を起こす。


「ここは……?」


 誰にともなくそう問いかけると、僕の傍らに立っている少女が答えた。


「ここ? 波揺だよ」

「ナミユラ?」

「うん。この村の名前」


 少女はそう言ってニカッと笑うと、彼女が後ろで束ねている髪が小さく揺れた。


「それで、あなたは?」

「えっ?」

「さっきも聞いたでしょ? 何をしているのかって」


 ああ、そう言えばそうだった。

 しかし、何をしているのかなんて自分でもわからない。ついさっきまで僕は全くの別の世界にいて、唐突にここに飛ばされたばかりだ。

 だが、自分が転生する異世界にはもれなく存在している魔の気は、ここでは皆無と言っていいほどに感じられない。


 この世界には、魔王はいないんだ。


「そうだね……」


 だから、こう言うのが正しいのだろう。


「休暇、かな」


 僕は、少女にそう答えた。



――――


 これは幾多の世界を救い続けてきた勇者と、一人の少女の物語。

 彼と彼女による、ちっぽけで平凡ながら、幸せに満ちたひと夏の記憶。


 その夏に彼は、宝物という名前をつけた。


 その夏に彼女は、宝物という名前をつけた。


 その輝きはきっと、永遠に――。

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