饒舌の日

 かくして天使とお近づきになれたということで、永城の生活は緩やかに変化していった。まず天使とは何かを、ネットや書を使い調べた。読んで字のごとく、天の使いであり、その役割は人間の願いを神に届けるというのが普遍的な”天使”という生物みたいだ。

堕天使はというと、神が創った天使の中で、高慢・嫉妬・自由な意思のいずれかにより追放された存在のようだった。神の使いたる上では、神に仕えない思想では簡単に追放されるようで、天使界もこちらと同様なかなかに世知辛い。


 だが、定義だの宗教だのをいくら調べても、神に伝える役割のモノが、なぜ人間の記憶を改竄する能力を有しているのか、何が目的なのか、疑問は尽きることはなかった。しかしこの疑問で永城は生気を取り戻していった。毎日、昼休みに必ず屋上のナタクに会いに行くのが、生きる目標となっていた。三組には行かない。行かずとも、”人間を模倣したナタク”にしか会えないことは容易に推察できたからだ。放課後には煙の様に居なくなるともなれば、昼休みしかなかった、ともいえた。


 その毎日が十日ほど続いたある昼だった。ナタクは漫画雑誌を読みながら空返事気味に話に答えていたが、またナタク自体のことを問うと雑誌を閉じた。一泊置いて煙草に火をつけて、声を少し低く、話し始めた。


「恐らく、自由意志による追放だと思うよ、僕も。ただ解らない、今は」

「追放されるときは記憶も消される感じなの?」

「その必要はないと思う……いや」


 秘匿しているような様子ではなかった。どちらかと言えば、自身の存在の疑問に苛まれているかのような、そんな印象を受けた。永城は彼と出会う前の自分の姿を少し見据えていた。


「僕の存在は誤りの様な、そんな気がしてならない」

「誤り?」

「うん」

「誰の誤りなんだ」

「解らない、今はね。神か天使か……或いはこの、世界か」


 永城も解せずにいた。元より天使が分からない事を理解出来ないのは間違いないが、永城が解せないのはナタクのその口上、態度だった。今までのどの話にも自信に満ちた返答か、「知るかそんなもの神に聞け」と言わんばかりの態度だったのに、どことなく神妙で、こちらではなくどこか遠くを見据えて言っている、そんなようだった。


「十二年前この学校の、この場所で意識が生まれた。次第に目の前にいた高校生の姿になって、その高校生に模した脳髄から、湧き水の様に記憶が湧いて出た。その記憶に従い、肩甲骨の下からこれが、同様に生えて出た」


 突如として饒舌になり、少し困惑したが、身の上話となれば流れを滞らせなくない。永城は努めて自然に聞いて、すぐに返答した。


「人間界に来たら、皆そうなるのかな」

「さっきも言ったけど、僕の記憶ではそれは必要が無い……確証も無いけど」

「しかし要領を得ないな、断片的すぎる。記憶は無いのに必要不必要は分かったり……うーん、かといって……いくらなんでも話が突飛だ」

「上手く言語化出来ないのがほとんどなんだよね。善処はしたよ」


 言葉のニュアンスで妙に伝わりこそしたものの、その端々に実体の分からないものを感じる話だった。話し方も、どうにか出来た文章を原稿にでもって起こし、それを淡々と読み上げたといった様子で、それもまた永城の疑心を誘った。意識が生まれて、学生の姿に――と辛うじて声になる音を漏らしながら、ナタクの言葉を反芻するが、やはり解せないものは解せない。


「記憶、というのはその高校生の記憶が生まれたの?」

「まぁそんな感じだね」

「感じ、って……厳密には記憶じゃあないのか」

「うーん、そうだなぁ。魂魄に刻まれた……命題? まあそんな所」

「魂魄ぅ……?」


 謎の単語が謎の単語を読んで決着が見えない。珍しく自分から話してくれたと思えば、いつものこの始末だ。言語化が難しいというのも、語彙力が乏しい人に似ているようで、確かに天使がこの世に生まれる様なんて人間の言葉で表せるか、とは思うものの、その一方で意図して隠してるようで、感想の半分は懐疑的だった。というより、こうして考える余地を与えている。そう、推察する自分もいた。一線のボーダーラインを決めて、その向こう側には現時点では――あまりに謎ばかりで妄想が始まった。話題を変えることにした。


「なんとなくは分かったような、いや分からないような、そんなとこだね」

「僕もそんな感じ」

「巷ではミハイルの予言とか言って呑気に騒いでるのに、俺は屋上で天使と話してると思うと、少し自分を驕りそうになるよ」

「ミハイル預言異聞録か」

「そうそうそれ。本屋行ってもネット見てもみんなその話題ばかりだよ」


 ミハイルの予言は世間を大いに賑わせている。占星術師のミハイル・ヴィツトーニが神明を授かりし聖天使からこの世の終末日を知らされた、とか何とかで、その他の様々な予言が詰め合わせキットの様に各国でローカライズされている。メディアは各所でこれを祭り上げてはなんとか社会現象にしてるが、この懐疑的な情報社会では民衆も少し遠目に見ているような、それでいて話題にして下らないだとか、またマスコミの宗教いじり金稼ぎが始まったとか、真に受ける奴はまるでいない。


「いつだったかなぁ……ああ、二〇二一年の九月十一日、とすると来年の今頃か。フランスだかチェコだかの占い師に、気まぐれに終末を教えるのか、君らは」

「どうだろうね。本当かどうかは解らない、今は。でも……」

「でも?」

「もうすぐ解る」


 そう言ってナタクは目を細めた。意味ありげな返答だ。


「……そういえば君は他に何かしてないの? 時には赤子で描かれる天使様が、まさか屋上で雑誌を読んで煙草をふかしてるだけなんて、全宣教師の説得力が無くなるよ」

「この世界の解明をしてるよ」

「解明、ねぇ」

「仕組みが解れば、僕の存在も解るようになる」

「人間や神様の為、ってわけじゃあないんだ。利己的だよね、君は」

「生物は利己的で然るべきだよ。見習ってほしいものだ」

「天使にそれを言われちゃあなんとも度し難いな……世の中皆が独善的な奴らばかりになっちゃあ、始末がつかないとは思わないか?」

「独善と利己は違う。僕は人間も、他の有象無象も、全て間違っているなんて思っていない。僕は僕のために行動し、その為には他が間違っているかなんてどうだっていいよ」

「その行動の為には、他より自分が正しい必要があるとは思えないか?」

「言葉の帳尻をつつく様なものだね。自分が正しいと思うために、他を間違いと思う必要はない」


 最近はめっきり哲学的な話題ばかりだった。それは話すことがなくなった”バツの悪い沈黙”を回避するためにだったり、人間と彼の者との共通項があまりに少なく、「解らない」と返されないためでもあった。


「人間は罪深いよね、まったく」

「ふふっ、急にことを言い出したなぁ」

「罪深いけど、でもそれが普通であるべきとも思う」

「死後、犯した罪によって裁かれるんじゃダメなのか」

「裁かれた後、贖罪の旅が始まるなんて不条理じゃないか。本当に死後の世界があるかどうかも、君らは知らないのに」

「そのための宗教か」


 返事は副流煙でもって、沈黙として返された。


「……なるほどね、これは自由意志による追放だ」


 予鈴が鳴った。永城は珍しくその日のナタクが話したがりに見えた。ミハイルの予言、ナタクの理想論、適当な哲学の雑話だったが、過去一番口を動かすナタクを思い出すと、何か特別な意図を感じた。




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