密室殺魔王事件

杞戸 憂器

事件編

(1) 最終決戦

 扉を破壊するつもりで斬りかかった勇者ヒロシィは、直前で違和感を覚えて剣を止めた。扉に施された意匠いしょうは、遠目からでは象牙か白光石をめ込んだように見えたが、よくよく観察してみると、それが人骨だと分かった。


「卑劣な……!」


 魔王城最奥部、最後の間。ここまで辿り着ける者は少ない。恐らくは、かつて返り討ちにされた歴代の勇者たちの骨で造られたのだろう。王国の平和のために挑み、そして犠牲となった偉大な先人たちを冒涜する行為に、ヒロシィは歯ぎしりした。


「落ち着け。挑発が目的だろう」


 戦士ラカンが言った。丸太のような両腕に斧と盾を持ち、鎧を身に着けた獰猛な獣のような外見だが、熟練した戦士としての立ち居振る舞いは最終決戦の前であっても一切崩れない。


「そうよ、終わりまで冷静にいかないと」


 魔法使いウェルウェラも追随する。第三の目を宿す漆黒の三角帽子に深紅のローブが、彼女の内から溢れ出る魔力によって揺らめていた。余りの魔力の濃さに彼女の周囲だけが蜃気楼のようにぼやけて見える程だった。


「ああ、すまない。もう大丈夫だ」


 二人の仲間にいさめられ、ヒロシィは大きく深呼吸をした。言われた通り、焦っていたことを自覚する。最後の最後で冷静さを欠いては仕留めそこなうかもしれない。相手は魔王。これまで倒してきた十傑じゅっけつや四天王を統べる存在なのだ。心技体ともに万全で臨まなければ。


「うんうん、それでこそ私が認めた勇者なのですよ」


 僧侶テルモアがヒロシィの横顔を見て微笑んだ。一見少女のような外見をしているが、中身はれっきとした成人女性であり、マガリナ聖教会が公認する大聖女である。慈愛と母性と庇護欲を混ぜこぜにしたテルモアの言葉は、ヒロシィたちに笑みを零させた。


 ここまで旅をしてきた四人に、もはや多くの言葉は必要なかった。互いに顔を見合わせ、全員で頷き合う。


「この扉、なにか魔力めいたものを感じるな」


 ヒロシィは一歩退いて扉を眺めた。どうやら不気味なオーラは人骨だけが原因ではないようだ。専門家の出番と判断したヒロシィが声をかけるより先に、ウェルウェラが前に出た。


「最高位の封印魔法『ア・カーン』で封じられているみたいね」


 扉に手を触れながらウェルウェラが診断する。


「魔神官が持っていた鍵なら開くか?」

「きっとそうなのですよ。あいつは秘書のような立場みたいでしたし」


 ラカンが懐から鍵を取り出し、扉に近付けると、内側から硬質な音が鳴った。魔法による封印が解除されたのだと直感で分かる。


 ヒロシィが扉を押す。禍々しい音を立ててゆっくりと最後の扉が開いた。大広間の奥に、一体の大きな影が見える。


「魔王っ! 覚悟ォ!」


 扉が完全に開き切った瞬間、勇者ヒロシィは万感の思いを込めて叫んだ。


 長かった。ヒロシィの脳裏にこれまでの旅の思い出、そして出会ってきた仲間たちの姿が次々と浮かび上がる。


 不慮の事故で若くして命を失い、女神の加護によって異世界に転生した長谷川ヒロシの冒険は、今ここにクライマックスを迎えようとしていた。



   *   *   *



 勇者ヒロシィは最初、大広間の異変に気付かなかった。


 扉を開いて中に入ったら自動的に戦闘が始まるような気がしていたが、そんなことはなかった。静寂が場を支配しているのでいぶかしく思いはした。


「門番も四天王も魔神官も全員倒した! 残るは貴様だけだ魔王!」


 血染めのような赤黒い絨毯を一歩ずつ進みながらヒロシィは言った。高い天井にその声が吸収され、消えていく。玉座の存在は身動みじろぎもせず、沈黙を維持していた。


 思ったより距離があったので気まずかった。反応が返ってこないから自分だけテンションが高いみたいで少し恥ずかしい。さっきの台詞はもうちょっと近づいてから言うべきだったなと反省しながら接近する。他の三人も緊張しているのか、誰も喋ろうとはしない。ごくり、とテルモアが唾を飲み込む音が聞こえた。


「ついに決戦のときだな、魔王」


 玉座へ続く階段の手前で足を止める。そして、ここに至ってようやく、ヒロシィは何かがおかしいと気付いた。


 返事がない。まだ少し遠いということか。

 もう一歩前か? いや、階段に足がかかってしまう。


 この距離が適切だろう。しかし、だったらどうして無視するのか。嫌がらせか。このに及んで地味すぎる。ヒロシィは逡巡しゅんじゅんし、あらためて、まじまじと魔王を見上げた。


 13年前、禍々しい雷雲が王国全土を覆い尽くし、霊峰れいほうと名高いカゴシ山の頂に突如として異形の城が現れた。その日以降、暗闇から魔に魅入られし存在が涌いて出るようになり、多くの命が失われた。生態系は壊れ、人々は疲弊し、世界は恐怖が支配した。


 その城の主、魔族の王と名乗る存在を今、ヒロシィは視界に捉えている。

 魔王は人型であった。身の丈はヒロシィの倍はありそうだ。肌は黒紫色で、異常な発達を遂げた山羊の骸骨のような顔をしている。被り物ではないだろう。黄金と白を基調とした祭司のような服を着ており、悪魔らしさと神々しさを併せ持っていた。


 そして、何より特徴的なのは、心臓の位置に剣が刺さっていることだ。流石は魔王。ファッションセンスも想像を超えている。


「おい魔王。おい、あ、言葉が違うのかな。言ってること分かりますか? コンニチハ、ワタシハユウシャ、ヒロシィデス」


 途中から片言になってしまったが返事はない。後ろの三人が無言を貫いているので、仕方なくヒロシィは確認を続けた。


「えーっと、本物、だよな。ここが最奥部だろうし、うん。だよな?」


 後ろを見る。目が合ったウェルウェラは静かに頷いた。


「あの剣って、あれ刺さってるのかな」


 ラカンを見る。戦士なのだからコメントしてくれ、という圧力である。


「刺さっては、いるようだな。多分、貫通して玉座の背もたれに突き刺さっている」

「身体を貫通しちゃったら、痛いのですよ」


 テルモアが言った。その通りだ、とヒロシィも思った。


「痛覚がないっていうアピールじゃないの?」


 ウェルウェラがささやく。


「でもここに来る前に四天王と魔神官が立ちはだかっていたわけだし、一応あいつらも信用されて迎え撃っていたわけだろ。俺たちが来るか来ないかも分からないのに、自分の心臓部に剣ぶっ刺して待ってるのは変じゃないか」


 ヒロシィがひそひそ声で意見する。


「倒されてから、来ると分かって刺したんだろう」

「ありえないのですよ。最高位封印魔法ア・カーンはあらゆる生物と魔素の出入りを不可能にするのです。室内から外の様子は分からないのですよ」


 今度はラカンの説をテルモアが否定した。この手の魔力的な鍵は、封印魔法が先になければ作成できない。ロックがなければロック解除の道具が作れないのは自明の理である。魔神官の懐から鍵が発見されたなら、すなわち、ヒロシィたちが魔王城に突入して魔神官と対峙した時、すでに魔王は外界と隔絶された大広間に鎮座しており、外の様子を知る方法はなかったことになる。


「そこんとこどうなんだ魔王!」


 ヒロシィは高らかに叫んだ。


「痛覚ないですアピールか? アピールなのか?」


 思えば中学生の頃、手を机に置き、指の隙間をコンパスの針で高速移動させながら刺す遊びをしていた。さりげなく女子から見える位置で友人と競ったのである。今思えばドン引きされていたのだろうが、当時の長谷川ヒロシにはその視線が「危険を危険と思わない長谷川君、カッコいい」というメッセージに変換されていた。魔王にも、そういう心理があるのかもしれない。


「どうした!? 何故なにも言わないんだ魔王! それとも、もしかしてファッションなのか! 魔族の間ではそういう感じのが流行っているのか!」


 再び中学生の頃、十字架に髑髏どくろが付いたアクセサリを首から提げ、スタイリッシュな英字のシャツを着て、血飛沫ちしぶきをあしらったジーパンを履いていたことを思い出す。当時の長谷川ヒロシはそれが最上にイケていると思っていたし、正直今でも少し思っている。だが、親兄弟とクラスの女子にはおおむね不評であった。ファッションとは理解しない側からすれば奇妙に見えるものだ。心臓部に刺された剣も、魔界ではお洒落なのかもしれない。


 そう考えての質問であった。

 魔王は答えない。

 無反応が過ぎる。


 ヒロシィは意を決して玉座への階段を駆け登り、剣を振りかざした。しかし、それでもなお、魔王はぴくりとも動かない。


 完全に間合いに入った。振り下ろせば届く距離だ。


「ちょっといきなり無茶しないで!」

「一人で行くな! 罠だったらどうする!?」

「危険なのですよ! 早く離れるのです!」


 三人が慌てた様子で追いかけてくる。次々に飛び出す文句を無視して、ヒロシィは肘掛けにのっている魔王の腕に触れた。そして、慎重に手首に指を当てる。魔王はまだ動かない。それから大胆にも山羊の頭蓋骨のような顔を両手で掴み、眼光を確認する。続けて首筋に掌を当てた。冷たい。


「何をしている……?」

「まさか、え、嘘でしょ」

「なんなのですか一体」


 三人が抱き始めた予感を見透かしたように、勇者ヒロシィは振り返って、やがてゆっくりと言った。


「死んでる」

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