2016年【隼人】44 なくしたものを見つけようと

 保健室で手当てを受けたあと、隼人は教室に戻らず廊下を歩いていた。


 現実を目の当たりにした。

 見えすぎたぐらいだ。


 小学生の頃、遥を守っていた隼人ならば、なんてことなかったぜと、強がれるだろう。

 むしろ、こんな日も楽しむことができていたはずだ。


 隼人はオナニーを覚えて弱くなった。

 ティッシュに包んだ精子をゴミ箱に捨てるたびに、大事なものを忘れていった愚か者だ。


 あいつとの思い出は、これからも増えていくと決めつけていた。

 こんな日が来るなんて想像していなかった。

 救いようのないバカだ。


 お気に入りのAV女優、星野里菜の裸でシコる暇があれば、遥との優しい思い出を心に刻み続けておけるように努力すべきだった。

 もう二度と遥とキスできないかもしれない。


 なのに、あいつの唇の感触、匂い、唾液の味、なにひとつとして思い出せない。

 小学生のときに、掃除の時間にキスをした。

 という結果しか残っていない。


 走馬灯を見れば、鮮明に思い出せるのだろうか。

 バカな考えを思いついた瞬間に、隼人は駆け出した。

 息を切らし、夢中で走る。


 なくしたものをみつけるために。


 階段を駆けのぼる。

 屋上に向かう途中の踊り場で向かい風に吹かれても、負けないように突き進む。


 扉は開いている。

 最高速度を維持したまま太陽の下へ。

 このまま駆け抜けるのに躊躇いはない。そして、体力もない。


 足がもつれて、バランスを崩す。

 このまま盛大に転んで、屋上から落ちれそうだ。


 だが、走馬灯は見えない。

 世界がスローに感じられるだけだ。

 いつもより時間が引き伸ばされた世界なんか、どうでもいい。


 興味がないとたかをくくっていたにも関わらず、隼人はあるものに目を奪われた。

 金髪の彼女は、授業を受けずに、スコープで屋上から湖を観察している。


 部長は止まっているようなスピードの中ででも、夢を追っている。

 美しいと感じるほどに、尊敬できる姿だ。


 ここで隼人が自殺したら、夢追い人の邪魔をすることになりそうだ。

 思いとどまる理由としては、弱くても。キッカケとすれば、十分過ぎる。

 やはり盛大に転がったが、隼人はそれでも屋上で生き残る。


 遠くの湖に、部長は背を向けた。なんの感情もない顔で隼人を観察しはじめる。


「お久しぶりですね。UMAは、みつかりましたか?」


「フライング・ヒューマノイドなら、もう少しで見られそうだったわ」


「マジですか。メキシコで頻繁に目撃情報のあるUMAが、ついに岩田屋でも?」


「真面目に反応されたら、ちょっと困るわね。私的には、飛び降りていったあなたをフライング・ヒューマノイド認定しようってだけだったのに」


「部長、それはボケが甘いですよ。そもそも、フライング・ヒューマノイドの特徴は黒かこげ茶色で、大きさも三メートルはないといけません。僕にあてはまってないでしょ?」


「ダメ出しをしてくれるほど、元気なら安心したわ。てっきり、挨拶もなしに飛び降りるかと思ってたのに」


「部長のおかげで、躊躇ってしまいました。でも、部長が屋上から出ていったら、どうなるかわかりませんよ」


「そういえば、この話を知ってるかしら。セイブツ部の初代部長は、校舎の四階から飛び降りて無傷だったって伝説を残してるのよ。案外、あなたも屋上から落ちても平気かもしれないわよ」


「落ちても無事だったって、嘘くさいんですけど」


「なんで? UMAを追いかけるような奴だから、嘘をついてるって言いたいの?」


「そういう訳じゃないです。ただ普通に考えてっていう話で」


「むしろ常識の基準で考えた場合、それぐらいの無茶は必要不可欠でしょ。そうでなければ、UMAに到達できないとは思わないのかしら?」


「もしかして、そういう話をして、オレの飛び降りを阻止しようって考えなんですか? だとしたら、優しいですね」


 部長はふふふと笑う。

 優しさの欠片もない冷めた瞳は、金髪に似合う碧い色だ。


「いや、飛び降りてほしいわよ。無事なら是が非でも入部してもらいたいし」


「それ引っ張りますね」


「じゃあ、別の話題を提供してよ」


「うーん。無理です。この話題を掘り下げましょう――思うんですけど、入部の審査基準が厳しすぎやしませんか」


「そうね、やりすぎかもしれないわ。でも、本気じゃない者を巻き込んでも、不幸にするだけだと思うから。これぐらいでちょうどいいのよ」


「でも、誰もが部長みたいに、自分の夢を明言して真っすぐ進めないんですよ」


「かもしれないわね。でも、夢を口にできないのは論外よ。どんなバカげた夢だとしても、胸をはって語ることが、叶えるための第一歩だからね」


 隼人には、そんな夢はないのか。そう訊ねられているように思えた。

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