第26話ベガラナの悲劇2

『フレニア、おまえならこうすれば戻って来ると思った』




 冷えた風に乗って声が降ってきて、フレニアはビクリと体を強張らせた。素早く彼女の口元をヘゼルスタの手が覆う。




 砂と粉雪の煙る彼方から、カザルフィスが何かを引き摺りながら歩いてくる。


 目眩ましの魔法でフレニア達の姿が見えないのだが、気配と嗚咽を堪えた息遣いは感じるのだろう。視線は、ずれた方向を見ているが過たずにこちらへやって来る。




 フレニアは、兄の手が震えているのが分かった。


 近付くカザルフィスに、彼の引き摺るものが何なのか次第にはっきりと見えてきて、フレニアは強く砂を掴んだ。


 寒いから震えているのではない。


 悲しみと悔しさと絶望と信じられない思いが身体中を駆け巡って苦しくて訳が分からない。




『出て来い』




 無表情にカザルフィスが言い、引き摺っていたものを無造作に放ると、それに杖の先を向けた。




『姿を見せろ。さもなければこの者を殺す』




 白い大地に血の線を引き、傷付いた父親が倒れているのを兄妹は目にした。




『フレニア、おまえの為にまた一人死ぬ』




 カザルフィスが、ゆっくりと数を数え出す。




 こんなことする人じゃなかった。国の為に尽くしてきた人だった。


 だからこの光景を見るまでは、馬鹿な希望を持っていた。


 目を覚ましてくれるんじゃないか。彼は強い人だから、自分の中の魔物を追い出せるに違いない、と。




 けれど、もういないんだ。認めなければ。


 カザルフィスが国を滅ぼした。それは私のせいだと。


 私が逃げなかったら、こんなことにはならなかった。




「カザルフィス!!」




 1を発するよりも早く動いたのは、ヘゼルスタだった。




 飛翔魔法を足に掛けて、瞬く間にカザルフィスとの間合いを詰めて剣を突き出した。


 フレニアは、その時父を見ていた。だから兄が攻撃するよりも早く、『魔物』が父の額を撃ち抜いたのを目に焼き付けてしまった。




「きゃあああ!!父上!」




 目眩ましの魔法が解け姿を現したフレニアは、構わず父に駆け寄った。そのすぐ近くでは、ヘゼルスタが怒りに叫びながら何度もカザルフィスへと剣を繰り出すが、それを彼は紙一重で避けていた。




「父上!?貴様あ!」




 魔法の力を借りたヘゼルスタは人間離れした早さだが、時折杖で受けながら顔色一つ変えない彼に、まるで遊ばれているかのようだった。




「あ、ああ、なんてことを」




 父の手を擦り、薄く目を開いたままの目蓋を片手で覆う。フレニアは自分が正気なのを不思議に思った。




 そして初めて自分の存在を呪った。




「……………やめて」




 立ち上がると、カザルフィスの方へとふらふらと歩いた。




「もうやめて、私が…………私が行けばいいのでしょう?私が望みなら好きにすればいい、だからもう、やめて」


「フレニア!」




 咎めるヘゼルスタの横を、人形のようになったフレニアは通りすぎようとした。




「そんなこと、許されると思っているのか!」


「あっ」




 腕を引かれてフレニアは尻餅を付いた。妹を睨み、ヘゼルスタが叫んだ。




「おまえの為にどれだけ犠牲になった!その犠牲が、おまえを守るためだったことを忘れたのか!おまえは彼らの犠牲を無駄にする気か!」


「だったら、どうしろと!!」




 涙を溢し、フレニアは駄々っ子のように拳で砂を叩いた。




「仇を討て!生きている限り、おまえがすべきことだ!」




 ヘゼルスタが目眩ましの魔法を自分にかけ直す。見えなくなった彼の攻撃を、カザルフィスが魔法の膜を張り防御する。


 フレニアは泣きながら一度唇を噛み締めると、兄へと指で魔方陣を切った。




「その身を助け、守れ!防御魔法展開!」




 それから異なる詠唱を唱えると、カザルフィスへと砂を巻き上げた風を放った。




「巻き上がり、刃となれ!」




 彼の防御魔法の膜に、小さな砂嵐がまとわりつく。


 自分の魔力では攻撃には至らない。だが兄の助けにはなるだろう。




 視界が遮られたカザルフィスへと、ヘゼルスタの剣が煌めいた。魔法で強度を上げさせたそれが、遂に防御魔法を打ち破った。




 その刃が、そのまま『魔物』の上半身を切り裂くだろうと兄妹は思った。


 ニイッと嗤うカザルフィスを見るまでは。




『気が済んだか?』


「な!?」




 剣が急に黒く変色したと思ったら砂へと変わっていく。目を見張るヘゼルスタに、カザルフィスが一歩足を踏み出した。


 すると、たったそれだけでヘゼルスタの左腕が切断された。




「くああっ!」




 腕を押さえてうつ伏せに倒れ苦しむ兄に、もはや悲鳴にもならない呻きが溢れた。




「あ………ああ……」




 カザルフィスの手がフレニアに伸びても、震える体は為す術もない。艶やかな銀髪に指を通しグッと引き掴まれて、上向かされた彼女は歪に微笑む魔物を間近に瞳に写した。


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