第10話「大好きな人。」

******


今から約1時間くらい前―――…

あたしは独り、リビングでテレビを眺めていた。


水野くんのことが気になる。

でも、過去のことを無理矢理聞くわけにはいかないし。

そう思っていると…


「!」


その時ふいに、あたしの携帯に着信がかかってきた。

その音に携帯を開くと、画面に表示されていたのは“瀬川智”の名前で。

どうしたんだろ?

そう思いながらも、あたしは今日アドレスを交換したばかりのその番号にすぐに出た。


「もしもし?」


テレビを消してそれに出ると、電話の向こうでさっき聞いたばかりの声が聞こえてくる。


『あっ、もしもし。真希ちゃん、』

「瀬川さん、どうしたんですか?電話なんて…」


あたしがそう言って首を傾げると、瀬川さんが言いにくそうに言った。


『…ごめん、』

「?」

『今、××駅にいるんだけど…すぐに来てくんないかな?』

「え…?」

『さっき言い忘れた、大事な話があるんだ』


真希ちゃんに聞いてほしい。

瀬川さんはそう言うと、あたしの返事を待つ。

けど…


「電話じゃ、ダメなんですか?」


あたしがそう聞いたら、瀬川さんは「直接会って話したい」と言った。


「…わかりました。今、行きます」

『じゃあ、駅前で待ってるよ』


そしてそう言うと、お互いに電話を切る。

…水野くんは…部屋に閉じこもってるからいいか。

きっと…声、かけないほうがいいよね。そっとしておこう。

あたしはそう思うと…携帯と家の鍵だけを持って、独り家を後にした。


「…、」


外に出て水野くんの部屋が位置する場所を見上げてみると、そこは灯りがついている。

…瀬川さんに聞いたら、水野くんの過去を教えてくれるだろうか…。


……………


「真希ちゃん、こっち」

「!」


その後、ようやく駅に到着するとすぐに瀬川さんに会えた。

夜の駅にはまだ人がたくさんいて、昼間遊園地から帰って来た時よりも少し多く感じる。


「…えっと、お話って…何ですか?」


あたしがそう聞いたら、瀬川さんが言った。


「…優大は、今どうしてる?」


その問いかけに、あたしは少し戸惑いながらも答えた。


「…あれからずっと、部屋にいます」

「……そっか」


あたしがそう言うと、瀬川さんは表情を曇らせて下を向く。

…それを聞きたかったのかな?

でも、そんなわけがなくて。

あたしが、勇気を出して水野くんの過去を聞こうとした時…


「真希ちゃん、」

「?」


瀬川さんが、ふと顔を上げてあたしに言った。


「アイツ…優大の過去を知りたいと思わないか?」

「!!」


そう言われたと同時に、真っ直ぐに視線がぶつかる。

今まさにあたしが聞きたかったことを、瀬川さんは話してくれるらしく…

その言葉に、あたしは、


「聞きたいですっ…!」


何の躊躇いもなく、そう言って頷いた。

…しかしあたしが頷いた直後、瀬川さんが不敵に笑ったことにあたしは気がつかない。


「…そうだよね。優大と一緒に住んでるんだから、それくらいは知りたいよね」


そしてそんなあたしにそう言う瀬川さんに、あたしは待ちきれなくて問いただす。


「教えて下さい、瀬川さん!水野くんは、なかなか教えてくれなくて…。いったい何があったんですか!?」


あたしが必死になってそう聞くと、瀬川さんはやっと水野くんの過去を話し始めた。


「…実は、今から3年ほど前―――…」


…その間、あたしの携帯に水野くんからの着信が鳴っていることに、あたしは気づかない…。


…………


全く出ない電話を、懲りずに何度も鳴らす。

いったい真希はどこにいるんだろう。


「…っ…」


あれから、真希が家にいないことに気づいた俺は、何か嫌な予感がして真希を探しに外に出ていた。

だけど、近くの公園…商店街…スーパーの中…コンビニ…何処を探しても、真希は何処にもいない。


…どこにいるんだよ。

俺はそう思うと、繋がらない携帯を閉じて今度は駅に向かった。


走って駅に到着すると、駅にはたくさんの人がいて…真希らしき人を探すけれど、真希は見えない。

そしてその時、駅前で智と話している真希の存在に気付かない俺は、駅の中に入って真希を探した…。


…………


水野くんの過去を、瀬川さんが話し出した。

話の途中で水野くんが近くを通り過ぎたことに気付かずに、瀬川さんは沈んだ声で過去のことを話し続ける。

その内容は、あまりにも残酷で信じがたい現実だった。

水野くんと、幼なじみの真希さんの存在。

その真希さんのことを水野くんがずっと好きだったこと。

でも水野くんは伝えなくてずっと他の女の子と遊んで、やっと告白をした後から真希さんが酷いイジメに遭いはじめたこと…全てを聞かされた。


あたしは聞いてる間、心がだんだん重たくなって…気が付けば泣いていた。

泣きながら黙って話を聞くしか出来ないけど、聞けば聞くほど苦しくなっていくのは止まらなくて…


「…───イジメに遭っていた真希は、ある日学校で…」


そしてそんな瀬川さんの言葉を、あたしは…


「も、いいです…」


これ以上聞けなくなって、そう言ってうつ向いた。

でも、


「…学校で、自殺をした」

「!」


瀬川さんは言葉を続けて、そう言う。

…話は、止まらない。


「誰が殺したのか、もうわかるよね?」

「…っ…」

「アイツ…優大だ。優大が真希を殺した。アイツさえしっかりしていれば、今頃はっ…!」


瀬川さんはそう言うと、右手でぎゅっと固く拳を作って柱を殴る。

その言葉に、あたしは泣きながら…


「もうやめて下さい、瀬川さんっ…も、十分です…」


そう言うと、両手で自身の耳を塞いだ。

もう聞きたくない。

だってそんなの、辛すぎる。

確かに、水野くんは真希さんに直接手を下したわけじゃないけど殺した。

そう言われても仕方ないのかもしれない。

だけど水野くんは…


「…最低だよ…アイツは」

「…っ、」


その出来事から今まで、どんな気持ちで過ごしてきたんだろう。

だって、水野くんには水野くんなりの考えがあったはずで…。

あたしはそう思うと、さっき家で水野くんと話した会話を思い出した。


“あの……水野くん、は…瀬川さんと、何があったの?”

“真希は知らなくていいから”

“心配してくれるのは、素直に嬉しい。

けど…今はどうしても言えない。ごめん、”


…水野くんはあの時、哀しそうな顔をしていた。

まるで何かに怯えているようで、ずっと同じことに苦しんでいて…。

あたしはその時の水野くんのことを思い出すと、目の前の瀬川さんに言う。


「…瀬川さん」

「…?」

「水野くんを…恨まないであげて下さい、」

「!」


そう言うと、顔を上げて瀬川さんを見遣る。

すると、瀬川さんは少しビックリしたような顔をしていて…。

そんな瀬川さんに、あたしは言葉を続けて言った。


「水野くんは…確かに瀬川さんを苦しめたかもしれません。

大事な妹に嫌な思いをさせて、自殺をさせて…。

でも、水野くん本人には何か考えがあったはずです。あたしはそうとしか思えません、」


「!」


「だって、水野くんは真希さんのことが好きだった。素直に言えないくらい。

それなのに真希さんがイジメに遭ってる間、真希さんから離れるのは…水野くんにだってちゃんとした考えがあったからだと思います。

それは…裏切ったのとはまた違うと思います」


「…、」


あたしがそう言うと、瀬川さんはだんだん顔を打つ向かせていく。

確かに水野くんの過去は、想像以上の哀しい過去。

他の人に言いたくないのも…なんとなくだけどよくわかる。

でもあたしは…水野くんが悪いって、責めたくない。

やがてあたしの言葉を聞くと、瀬川さんはため息交じりに柱に寄りかかった。


「はぁー…」

「…」


そして悲しい目をしたまま前を見据えると、隣にいるあたしに言う。


「…真希ちゃんは、すげーな」

「…?」

「さすが、優大と一緒に住んでるだけあるよ。アイツのことをよくわかってる」


そう言って、あたしに向けて切ない笑顔を浮かべた。

…瀬川さん…

わかって、くれたのかな…?

でも…


「…でもね、」

「…」

「もう俺は、誰が何を言おうともう絶対許せないから。優大のこと」

「!」

「…本当に、大事な妹だったから。助けなかった理由が何であろうと、俺の気持ちは変わらない」


…俺はきっと、一生アイツを恨む。

瀬川さんはそう言うと、自身の唇を噛んだ。


…────すると、その時。


「真希!」

「!」


少し遠くの方から、ふいに水野くんの声があたしを呼んだ。

その声に、声がした方を見遣ると…そこには息を切らしてあたし達を見つめる水野くんの姿があって。


「…水野くん」


あたしは涙を流したまま、小さくそう呟いた。

…どうして?

だって、水野くんは部屋に閉じこもっていたはずなのに…。

そう思っていると、瀬川さんが柱に寄りかかっていた背中をそこから離して、言った。


「…どうした?優大。そんな必死な顔して」


瀬川さんはそう言うと、水野くんに呆れたように笑う。

ここまで走ってきたらしい水野くんは、瀬川さんのその問いかけに息を整えながら言った。


「っ…真希を、探してたっ…」

「!」

「気づいたら、いつの間にか家にいないから、」


水野くんがそう言った時、その瞬間何気なくあたしは水野くんと目が合う。

…その余裕のない表情が、胸を締め付ける。

さっきの、瀬川さんの話を聞いたから尚更かな?

あたしを探してくれてたことが、ただ嬉しくて…。


「水野くん、」

「?」

「ごめ、」


ごめんね。

そう言おうとした時───…


「…!?」

「優大」


ふいに瀬川さんが、あたしの目の前に立って水野くんに言った。


「必死になって探してたとこ悪いんだけど…真希ちゃんにはもう、言ったから」

「…え」

「お前の、過去のこと」

「!!」


瀬川さんは容赦なくそう言うと、水野くんに向けて今度は意地悪く笑う。


「せ、瀬川さんっ…!」


一方、そんな瀬川さんの言葉にビックリして、あたしは独り慌てるけど…瀬川さんの言葉は止まらない。


「残念だったな?必死で隠してたのに」

「…っ、」

「大好きな真希ちゃんに、自分のカッコ悪い最低な過去を知られてお前は今どんな気分?

悔しいか?そりゃそうだよな。だってお前が殺したも同然だから。

…でもな、残された俺達家族はそれ以上に悔しいんだよ。お前のこと、憎んでも憎みきれないくらい。優大にはそれがわからないだろ?」


瀬川さんはそう言うと、目の前の水野くんを鋭く睨み付ける。

…水野くん、

そんな二人の様子に、傍で見ているあたしは不安が募って出来ればそれを止めたいけれど…今は何も出来ない。

あたしが瀬川さんの後ろで黙っていると、瀬川さんが言葉を続けて言った。


「…なぁ、お前が“大丈夫”って言ったんじゃんか」

「…?」

「真希がイジメに遭ってる時、守るって言ったの誰だよ。

これからもずっと助けるって、イジメなんて無くすって、お前俺にそう言ったじゃんか!」

「…、」

「俺は信じてたよ。だってあの時、学校で真希にはお前しかいなかったんだから」


瀬川さんはそう言うと、水野くんの両肩を強く掴む。

それは、当時水野くんが瀬川さんとの電話で言っていたこと。


“最近、真希がずっと元気がないんだけど、優大何か知ってる?”

“…実は真希、最近学校でイジメに遭ってて”


“でも大丈夫だよ!絶対!”

“真希が誰に何されてても、俺がちゃんと守ってるし、これからもずっと助けるから”

“イジメなんて、俺が無くすから…大丈夫だよ”


“本当に信じていいんだな?”

“もちろん。信じてて”


…その時のことを訴えかけるように瀬川さんが言うと、次の瞬間水野くんがやっと口を開いて言った。


「…ごめん」

「!」

「謝っても許して貰えないのはわかってる。それに、智も俺のせいで辛い思いをしたのもわかる。

…でも、これだけはわかって?

真希がイジメに遭ってたあの時、俺はアイツを裏切る気なんて一切無かった」

「…!」


水野くんがそう言うと、瀬川さんが肩を掴んでいた手の力を少し緩める。

そして…


「あの時真希から離れたのは、イジメる仲間に入ったからなんかじゃない。

そもそも真希は、俺が傍にいたからイジメに遭っていたんだ。だから、離れたらイジメが無くなるかなって…そう思っただけ」


でも…真希本人にもわかってもらえなかったし、結局全部失敗に終わった。

水野くんは沈んだ声でそう言うと、瀬川さんから視線を外して下を向いた。


「…っ」


その水野くんの言葉を聞いて、瀬川さんも水野くんの肩から両手を離して下を向く。

…きっと真希さんは、幼なじみである水野くんに傍にいてほしかったに違いない。

例えどんな酷いイジメを受けても、独りじゃないから大丈夫だったんだと思う。

けど…あたしはどんなに過去の話を聞いても、結局は同じ結論にたどり着く。


水野くんが殺したわけじゃない。

ただ、素直になれなくて少し遠回りをしただけ。

ただ、「助けよう」って必死だっただけ。

ただ、ずーっと真希さんの味方でいただけ。


だから、辛かったはずだ。

水野くんの「不器用」さがそうさせただけだから。

あたしがそう思っていると、瀬川さんがふいに口を開いて言った。


「…なんで」

「…?」

「なんでお前は、真希の気持ちを考えなかったんだよ」

「…、」

「何があっても傍にいてやれよ。真希が恐れていたのは、お前が離れていくことだったんじゃねぇの?

イジメが無くなるとかよりもまず先に、ずっと傍にいることが一番大事なことだったのに」


瀬川さんはそう言うと、辛そうにその場にしゃがみこむ。

その姿に、水野くんは…


「…真希のことは、本当に…心から謝るから」

「!」

「一生償うから……ごめん、」


そう言って、瀬川さんに向かって深く…深く頭を下げた。


…………


その後は、家に帰る瀬川さんを水野くんと二人で見送った。

帰りは少し肌寒くて、真っ暗で静かな道を二人で歩く。

しばらくは何も話すことなく、なんとなく気まずいなか静かに歩いていたけれど…


「真希、」

「…?」


やがてふいに、水野くんが口を開いて言った。


「ごめんな」

「…え」

「嫌な思いさせて。…過去のこと、なるべくお前には知られたくなかったんだけど、」


水野くんはそう言うと、あたしを見ずにどこか切なく笑う。

…無理して、笑わなくていいのに。

別にあたしは、嫌な思いなんてしてないし…むしろ…水野くんのことが知れたみたいで、ずっと心に引っかかっていたものがとれたような気分だ。

だから、


「大丈夫だよ、」


あたしはそんな水野くんに、わざと少し明るめの声で言った。


「嫌な思いなんてしてない。まぁ、ちょっとビックリはしたけど」

「…、」

「それに結構、衝撃的な学校生活だったんだね。水野くんが凄くモテてたなんて…いや意外すぎるよ」


あたしはそう言うと、冗談のつもりで独りわざと可笑しそうに笑う。

…でも、水野くんは何も言葉を発しなくて。


「…水野くん?」


やがて心配になり、声をかける。

でも、彼は俯いたまま反応がない。

その姿を見ていたたまれなくなったあたしは、やがて水野くんの肩に手を伸ばして…。

黙ったままの水野くんを、優しく抱きしめた。


「…真希?」


珍しすぎるあたしの行動に、水野くんの不思議そうな声が聞こえてくる。

でも何だかまた泣きそう。

それくらい水野くんの過去の話って衝撃的で悲しすぎたから。

あたしは泣くのを我慢しながら、やがて声を絞り出すように水野くんに言った。


「…だい、じょぶ、だよ」

「…?」

「水野くんにはあたしがいる、から。独りじゃないから。だからそんな悲しそうな顔、しないで。大丈夫だよ」


あたしはそう言うと、右手を水野くんの頭に優しく添える。

…なんか、映画とかドラマみたいに上手くは言えないけど、ちゃんと伝わったかな。

でもあたしのそんな言葉に、やがて水野くんもあたしの背中に両腕を回して…。


「…ありがと」


呟くように、そう言った。


「!」

「……真希は…お前のことは、ちゃんと守るから」

「…、」

「中津川のことも、俺がなんとかする」


そう言って少し体を離すと、真っ直ぐにあたしを見つめて言葉を続ける。


「…俺も真希を独りにはさせないよ。だって俺、真希のこと好きだし」

「!」


水野くんはそう言うと、真剣なその表情からふっと悪戯な笑顔に変えた。

…その瞬間あたしの中に思い浮かぶのは、今日あたしから離れて行った公ちゃんの悲しい笑顔。

まさか今の水野くんには、そのことは言えなくて。


離れて行った理由は違うけど。

今日瀬川さんから聞いた水野くんの過去と、今のあたしの状況が少し似ている気がして怖くなる。


怖くなるから…


「…あたしも……好きだよ」


…気が付けばあたしは、口に出してしまっていた。


「…え、」


あたしがそう言うと、それを聞いた水野くんは目をぱちくりさせてあたしを見る。

心臓が、苦しいくらいにドキドキ響く。

不思議なくらい、水野くんを真っ直ぐに見れない。


…わ、言っちゃった。

口にした途端逃げたい衝動にかられたけど、同じ家に帰るからそんなわけにいかないし。

相変わらずドキドキしまくっていたら、やがて水野くんが口を開いて言った。


「…何、それ。本気?…なワケないよな?」


そう問いかけて、じっとあたしを見つめる。

でもその問いかけにあたしはやっと水野くんと目を合わせると、赤い顔で言った。


「本気、だよ。冗談とか、嘘でこんなこと言うわけない。あたしも水野くんのことが好き」

「…や、だってほら…お前が好きなんは“公ちゃん”だろ?俺じゃなかったじゃん」


そう言って、疑いの目であたしを見てくる。

なかなか信じてくれない。

…けど、本当に好きなんだもん。

今は歩美のことがあるから告白とかは控えた方がいい、とか思ってたけど…水野くんの過去の話を聞いて、もっと水野くんに惹かれた自分がいる。

今の水野くんは離れていかないって、信じてるから。


「…嘘、だったら…どうでも良かったら、わざわざ自分から抱きしめて“あたしがいる”とか言わない」

「!」


そしてあたしはそう言うと、恥ずかしくなって顔をうつ向かせた。

…歩美のこともあるし、水野くんとはすぐに付き合えないのはなんとなくわかってる。

それはずっと百も承知だった。

あたしは最低だよね。

こんなに簡単に、歩美を裏切るんだもんね。


でも、どうしたらいい?

どうしても、水野くんのことが好きなの。

もっと近づきたいって、そう思ってしまう自分がいる。

恥ずかしくてこれ以上はなかなか出来る勇気もないんだけど、本音はもっと大きな愛で包んであげたい。


あたしが少しの間顔をうつ向かせて待っていると、やがて突如頭の上に優しい手の温もりが降ってきた。


「…!」


その手に少し驚いて顔を上げると、水野くんがあたしの頭に手を遣っているのが見えて。

優しい目をした水野くんと目が合うと、その時水野くんが言った。


「じゃあ、付き合っちゃうか」

「!!」

「俺ら付き合お、真希」


そう言って、どこかまだ切なげに…優しく微笑む。

その言葉に、あたしは…


「っ…うん!」


何の躊躇いもなく、素直に頷いた。


…だけど本当の地獄がこの瞬間から始まってしまったことを知るよしもないあたしは、

ただ素直に不器用に…水野くんとキスをする。


悲しい運命へのカウントダウンが、この甘いキスで始まってしまったのだ…。


…………


真希と距離を置き始めた、その日の夜。

俺は独り、ペットの犬の散歩に出かけていた。

…本当は毎日夕方に行くんだけど、今日は真希と遊園地に行っていたし、帰って来てからも眠くて寝てしまっていたから仕方ない。


「…さむっ、」


そして今は真夏のはずなのに、夜になると外はやっぱ肌寒い。

…ちなみに俺は、上には何も羽織らずにタンクトップ一枚だけで外に出てきた。

下は膝丈の短パン。そりゃさみーよ。

だけどきっと歩いているうちに直ぐに暑くなりそうだし、俺より前を歩く犬の後ろを、俺は引っ張られるように歩く。

しばらくするとコンビニが見えてきて、何も買わないのに犬が勝手にそこに向かった。


え、待てよコラ。おい、

そしてそんな犬を、コンビニから遠ざけていると…


「あれ?鈴宮くん!」

「!」


そこでふいに、何故か女に声をかけられた。

…誰?

そう思って、声がした方を見ると、そこにいたのは…


「…中津川」


中津川だった。

中津川はコンビニの前で、コンビニ袋を片手に俺を見ている。

俺が中津川の存在に気がつくと、「散歩中?ってか、犬飼ってたんだ?」と俺の傍にやって来た。

…そしてそんな中津川が持つコンビニ袋に、何故か興味津々の俺の犬。


「ん、俺が小学生の時から飼ってる」

「へぇ~。かーわいぃ~」


俺の犬は大型犬の、ラブラドールレトリバー。

真希とか普通の女はこの犬を見るとそんな積極的に寄って来ないし、むしろ怖がることが多いんだけど中津川は平気で犬の頭を撫でている。


「…怖くねぇの?」


何気なくそう聞いたら、中津川は犬の頭を撫でながら言った。


「別に平気だよ。何で?」

「いや、だってこんなでっけー犬、真希とかはすげー怖、」


…しかしそこまで言うと、俺は自分の何気ない失態に気がついて言葉を詰まらせる。

そう言えば中津川って、今は水野と微妙なんだっけか。

確か、水野が真希のことを好きだとかで…。

俺はそう思うと、この前の夏祭りの夜に水野から聞いた言葉を思い出した。


“お前は真希のことどう思ってんの?”

“…もちろん、好きだよ。そもそも好きじゃなきゃ、一緒に住もうなんて思わない”


“……だったら水野は、何で…中津川と付き合ってんだよ”

“……アイツとは、別に好きで付き合ってるわけじゃない”


“中津川は、水野の本当の気持ち知ってんの?”

“もう言った。…まだ中途半端なままだけど”


…あの時、俺は水野を最低な男だと思った。

別に好きじゃないくせに中津川に嘘を言ってまで付き合って……自分勝手すぎる。

今、中津川は……辛いだろうな。

そう思いながらふと中津川にまた目を遣ると、その時俺を見ていた中津川とバチッと目が合った。

その視線に思わず俺がドキッとしていると、中津川が不思議そうに言う。


「…真希とかは、なに?」

「え、」

「だって鈴宮くん、いきなり途中で言葉が途切れるんだもん。気になるよ」

「!」


中津川はそう言うと、犬から手を離して俺を見つめる。

…ヤバイな。真希以外の女子にこんな見つめられることって無いから、変にドキドキする。

っつか、そんなこと考えてる場合じゃなくて。


「…真希とかは、この犬怖がるから。中津川みたいな女はほとんど初めてだよ」


俺はそう言うと、中津川から不自然に視線を外してそう言った。

…だけど俺がそう言うと、中津川は黙って下を向く。


…?

その姿が、俺には悲しげに見えて…。


「…中津川?」


やっぱ、真希の名前は出さない方が良かったな。

そう思って少し反省していたら、またふいに中津川が顔を上げて俺に言った。


「…鈴宮くん」

「う、うん?」

「鈴宮くんは……真希と付き合う気は、無いの?」


そう問いかけて、じっと俺を見つめる。

…どうしたんだ?急に、

俺はそう疑問に思いながらも、心の内をはっきりと言った。


「無い」

「!」

「…真希とは、ただの幼なじみだから」


っつか、今日から距離を置くことにしたから。

でも俺がそう言うと、中津川の表情が歪んで…


「…×××××……」

「え、何て?」


…よく聞こえなかったけど、中津川が何かを呟いた。

もう一度聞こうと、俺はそんな中津川に耳を傾けるけれど…


「……ごめん、何でもない」

「え、」

「じゃあね、」


中津川は途端に悲しげな笑みを浮かべると、そう言ってその場を後にしてしまった。

…何て言ったんだろ、すげー気になる。

だけど俺はこれ以上気にしないことにして、犬の散歩を再開させた。


あ~さみぃ~。


…………


鈴宮くんと別れてから、あたしは悔しい気持ちで夜道を歩いた。

何でだろ?最近、何に対しても全部が上手くいかない。


「…真希なんか、いなくなればいいのにっ……」


そしてあたしは独りそう呟くと、勝手に目から出てきた水を強く拭った。

それはついさっき、あたしが鈴宮くんに呟いて、だけど聞き取れられなかった言葉。


………夏休み明けは、もうすぐだ。

アイツに会ったら、どうしてやろうか。




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