第11話 限界社畜バトル:仁義なき酒カス
時は遡ること、1時間。
坂口冴は休憩時間中だというのに必死に脚を動かし、いそいそと狩場へと向かっていた。当然きちんと昼食を食べる時間も与えられなかった。体調こそ万全なものの、胃はぐうぐうと悲鳴を何度もあげており、そのたびに冴は自分のお腹をなだめるように撫でるのだった。
「なんでこんな目に合わなきゃいけないわけ!?」
言うまでもなく自分のせいである。
当然のように、冴の悪戯が原因であった。
冴は睡眠中の花市に落書きをしようとするという狼藉をはたらいたがために、電流を食らって床に倒れ伏した。そしてぴくぴくと手足を震わせながら、
「床冷たいんだけど! 花市さんの心みたいに!」
などと世迷言を吐き散らかしていると、デスクで寝ていた花市が目を覚ました。花市は、うーん、と唸りつつ立ち上がり、床で醜態を晒す冴を目撃し、軽蔑しきった表情になる。
「坂口お前、今から仕事行ってこい」
すぐに絶望の表情へと変貌する冴。それもそのはず、休憩時間はつまみでも食べつつビールを飲んでゆっくりしようと決めていたのだ。社会人というか、まず人間としてダメな部類の行為だが、冴にはそれぐらいしか楽しみがないのである。
それゆえに、冴はなんとしてでも言い訳をして拒否する。
「今貧血だから無理! 無理だから!」
それは言い訳とはいえ事実でもあった。冴は女王との交戦によって血を大量に消費して
いる。失った鉄分自体は先刻栄養ドリンクによって補えたものの、それと同じくらい肝心なものが補給できていない。
それはすなわち、人の生き血である。冴は純血であるがゆえに普通に生活するだけならば一月に一度吸血するだけで済むが、血統を何度も使用し、さらに体も治癒した後となると話は別だ。今も目眩と耳鳴りがして、血を補給しなければ戦闘することなどできないだろう。
「いや、私の血ィ吸えば済む話だろーが」
花市は冷淡にそう言ってのけた。そして、白衣を脱いで椅子にかけ、噛みつけと言わんばかりに服の首元を引っ張り鎖骨を露出させる。論理で追い詰められ、冴は打つ手を失い青ざめた。しかしその体は新鮮な血への渇望に抗えず、ついつい花市に近づいてしまう。
「屈辱だ……もうお嫁に行けない……!」
「お前の嫁ぎ先とかこの世に存在しねえだろ」
「寿退社が将来の夢だったのに……!」
「たまたまシャバにいるだけの人斬りが何言ってんだ。お前はウチに骨を埋めろ」
「うわーお熱烈なプロポーズ」
「観念しな」と花市にずいずい近づかれ、冴は不服ながらも花市に抱きつくような形で肩に噛みついた。歯を突き立てれば白い肌から紅い露が溢れ出す。ひと啜り、ふた啜りとする度に体が軽くなるのを感じる。
やがて十分に体調が回復し、口を離した冴は、白い歯を見せ快活に笑った。
「花市さんの血、ヤニ臭いね!」
「ははは、いい笑顔だな。死んでくれ」
……というような流れで、現在に至る。
花市には、食屍鬼の出現が予想される地点で張り込めと指示された。その地点とは、地下街の路地裏。潰れかけの酒場と賭博場に挟まれた、小さなゴミ捨て場であった。空気はアルコールと吐瀉物、生ゴミの臭いで満ちていて、桃香が来ていれば鼻が曲がっていただろう。電灯がないため薄暗く、地面にはどす黒い血痕が至るところにあり、地下街にも拘わらず落書きすらないほどに人通りが少ない。
花市によると、此処は不都合な死体の投棄所らしい。地下街の人間が殺した死体をここにもってきて、それを食屍鬼が拾って食べる。こうすることで、死体を残さず人を消すことができるし、食屍鬼は腹を満たすことができる。つまりは暗黙のうちに形成された、人間と食屍鬼の共生関係であった。
ところが最近、死体を捨てに行った人間まで行方不明になるという事件が何度も起き始めた。もともと地下街では人間の消失など珍しくもないので騒ぎにもならないが、明らかに食屍鬼がゴミ捨て場に近寄った人間を喰らっていることは明白だ。だとしたら、穏健派である女王の意向にも反する上、地域課の処分対象にもなりかねない。花市は、ここで確かめたいことがあるという。
路地の手前でしばらく張り込みを続けていると、ひとりの男が千鳥足で路地裏に迷い込んでいった。年の頃は30代後半、左手に酒の入ったビニール袋を携え、くたびれたスーツを着ているから早上がりで呑んでいたのだろうか。
男は90年代のアイドルの歌を気持ちよく歌いながら、奥へ奥へと歩いていく。そのまま、よりにもよってゴミ捨て場で座り込んでしまった。そして壁に向かって大声で話しかけ始める。
「なあ……ストロング系って知ってっか? 度数の割に飲みやすい安酒だよ。アル中生産ドリンクだとか脱法ドラッグだとか言われてっけどよ、おじさんこれが社会に必要だと思うわけ」
男はビニール袋から缶チューハイを取り出し、喉を鳴らして飲み始めた。そしてそれを飲み干すと、ぷはーっと声を上げて口元を拭い、缶を地面に置く。
「パンダは笹しか食わねえし、コアラはユーカリしか食わねえだろ? ありゃ自分の領分を弁えてんだよ。同じように、金持ちには金持ちの酒が、貧乏人には貧乏人の酒がある。ストロングは俺ら貧乏人が領分を守っていくために必要なんだよ」
男は立ち上がると、ビニール袋からもう一本缶を取り出し、ふたを開ける。ぷしゅー、と炭酸の抜ける音がした。機嫌よく語る男の裏で、マンホールが音もなく開き、中から食屍鬼が這いずるように顔を出す。食屍鬼は値踏みするように男を凝視し、様子を伺っている。
「人生も仕事も結婚も生死も全部そうだ。領分を弁えねえ奴はロクな死に方しねえ。逆にそれさえ守ってりゃ大抵長生きはできるってわけよ」
食屍鬼が地面に這い出てくると、その後を追うように三匹の食屍鬼が上がってくる。依然男は食屍鬼に気付く様子もなく、壁とお喋りを続けている。
先頭の食屍鬼は男の息の根を止めるべく、その浅黒い首に手を伸ばした。
「じゃ、お前は領分弁えてるかい、兄弟?」
男は食屍鬼の腕を掴むと、前方に向かって背負い投げた。食屍鬼はコンクリートの壁に背中からぶつけられる。男は中腰になり、親指の皮膚を噛み切ると、逆さまに倒れている食屍鬼の頭を掴む。
「弁えてねえよなぁ。 生きてる人間殺しちゃったもんなぁ。こんなくたびれたリーマン襲っちゃったもんなァ!」
男が叫ぶと同時に、食屍鬼が頭から炎に包まれる。それは肉の焼ける匂いとともに、圧倒的な猛火で食屍鬼の体を焼き尽くし、5秒と経たないうちに消し炭にしてしまった。かつて食屍鬼がいた場所には、今や白い灰が残るのみ。
男は灰の山から手を引き抜くと、生き残りの方に振り返り、呆然としている食屍鬼の頭を壁にうちつける。
「お前は? お前は領分弁えてるか? 長生きする方法わかってるか? 穏やかに死ぬ自信があるか? 人を殺しちゃいけませんっつぅ、幼稚園児でも知ってる道徳を理解してるかって聞いてんだよ。答えろよ……なあ、なあ、なあ、なあ、なァ!」
男は「なあ」と言う度に食屍鬼の頭を何度も打ち付け、それと同時に食屍鬼の頭は小さな爆発炎上を繰り返し、破壊されていく。頭が吹き飛んで掴めなくなったところで、男はビニール袋から焼酎のカップ酒を取り出し、飲み干した。
「おじさん糖尿病が怖いからさぁ、日本酒やめたんだわ。チューハイも糖質ゼロしか飲まないようにしてんの」
生き残りの食屍鬼はあまりの異様な光景に目を見開き、体を震わせ怯えた声を漏らす。
「ひィっ、お前はいったいなんなんだヨォ……?」
「ん? 俺は地域課の
八岐と名乗った男はくるっと方向転換すると、「よろしくねェ〜」と言って食屍鬼に向かって手刀を振る。食屍鬼は手刀をかわそうとしたものの、肩をかすめてしまった。
八岐が指を鳴らすと、食屍鬼の肩に火が点き、食屍鬼は焦げる痛みに地面に倒れ伏し、のたうち回る。
食屍鬼の生き残りはそれを見て敵わないと判断したのか、八岐に背を向け逃げ去ろうと走り出す。
「よくねえなァ……それはよくねえ」
八岐が再び指を鳴らすと、八岐から食屍鬼にかけて炎の道が一直線に伸び、食屍鬼の足を焦がした。食屍鬼は低く悲鳴をあげて倒れ込む。
「責任から逃げるのはよくねえよ。社会人なら誰だって知ってる。アラフォーなのに係長にすらなれねえおじさんでも知ってることだ。わからねえなら責任の取り方教えてやろうか?」
八岐は脚を焼かれ倒れた食屍鬼に近づいていき、薄く残っている髪を手で掴み、頭を揺さぶる。
「じっくり、優しくゥ、手取りィ、足取りなァ……!」
食屍鬼の頭は業火に包まれ、揺さぶられるたびに炎は勢いを増す。食屍鬼は熱された空気を吸い込んだために、肺が焼け爛れ、動かなくなった。
そして最後に、八岐は肩を燃やされ続けて痛みで動けない食屍鬼に近づいていく。
「そこまで教えてわからないようなら……」
八岐は食屍鬼の首を掴み、凶悪に笑った。
それは笑顔というよりも、獣が歯を剥き出すような━━。
「はい、
大炎上。
地下街の天井まで伸びるほどの紅の光柱が食屍鬼を跡形も無く焼き尽くしていく。すぐに食屍鬼の体は灰と化すも、その後もしばらく焔は燃え続けていた。男の凶悪性と偏執性を象徴するように。
やがて炎が収まり、灰と消し炭だけが遺されたゴミ捨て場で、八岐はスーツについた灰をはたきながら、炭のついて黒くなった顔で呟いた。
「嬢ちゃん、見てないで出てこいよ。おじさんとお話ししようぜ」
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