第8話 王は民衆の盾なり

やってしまった。桃香は足元でのびている冴と女王を見下ろしつつ、額からじっとりと汗をにじませた。

無益な戦いを止めるためだった。仕方なかった。


全身から血を噴き出し体がどろどろに溶けて死ぬ、あの殺害方法。彼女の仲間もあの手口で何人も殺されたのだろう。そしておそらく犯人は死体を餌に食屍鬼を何人か買収し、桃香を襲わせ、都合が悪くなれば処分した。結局のところ、食屍鬼は同じく被害者なのだ。


……つまり、花市場と食屍鬼は敵対すべきでない。




冴まで蹴り飛ばしてしまったのはやりすぎだったかもしれないとも思うが、あのまま女王だけ攻撃していれば冴は女王を斬り殺してしまっていただろう。

ただ、目論見通りに事が運んだものの危ない橋を渡ったことは確かだ。


冴が桃香からの攻撃などハナから考えておらず、さらに桃香の蹴りに殺気が全く込もっていなかったがゆえに、桃香は冴を蹴りで昏倒させることができた。もしそうでなければ、簡単にかわされるなり、鉄の防壁で防がれるなりにしていたであろう。真っ向から挑んで敵う相手ではないのである。


それは赤の女王も同じで、常識の外側を突いて上手く動揺を誘い、その隙を狙うという一連の流れがたまたま上手くいったからこそ、気絶させられたのであった。突然の意味不明な同士討ちにも眉ひとつ動かさない相手ならば効果はなかった。


それはつまり、女王の感性が常識の範疇に収まるものだったということだ。


「こうしてみると、ただの女の子ですよね……」


桃香は女王の顔を見やる。数多の食屍鬼を束ね、演説を繰り広げ、さらに冴と死闘を繰り広げていたとは思えないほどに、あどけない顔。しかしその表情は、悪夢でも見ているのか、怒りとも哀しみともつかない強烈な感情で歪んでしまっている。

そして、病熱に侵された夜のように息を荒げて体をがたがた震わせているのだった。



「女王!」


突如、女王を案じた食屍鬼たちが何人も奥から顔を覗かせ、唸り声を立てつつ、地下道へと入り込んでくる。

増援。流石に数が多すぎる。桃香の顔が曇った。

女王の危機を前にして、食屍鬼たちは口々に低い声を発する。


「女王を助け出セ!」

「恩に報いロ!」


その声が耳に届いたのか、女王は歯を食いしばると、いきなりかっと目を見開き、よろよろと立ち上がった。握りしめた手の中からは痛ましく血が垂れている。女王は体をふらつかせながらも、後ろを振り返り、叫んだ。


「来るなと言っただろう!早く安全な場所へ退避しろ!」

「しかシ……」

「命令だ! 子どもたちを連れて逃げろ!」


女王の怒号に食屍鬼は一瞬身を震わせ、急いで地下道の奥へと走って戻っていった。それを見届けると、女王はまた前傾姿勢の構えをとり、自分に言い聞かせるように低い声で呟く。


「犠牲を無駄にしないために……! 自由を勝ち取るために……!」


女王は目を血走らせつつ、朦朧とした意識の中でさらに独り言を呟いた。


「頑張れ、頑張れ、やれる、戦え……」


その様子があまりにも痛ましくて。

哀しくて。

ぷつんと。

桃香の中で、なにかが切れた。


「独りで背追い込むな!」


それは、年端のいかない少女に悲惨な運命を背負わせた、この世界そのものへの義憤だったのかもしれない。あるいは、食屍鬼にも心と社会があることを確信し、彼らに対する殺傷が殺人となんら変わりないと、そう感じたからかもしれなかった。


理由はどうあれ、桃香は後先考えずに叫んでしまっていた。


「犯人は必ず見つける! あなたの仲間を死なせた落とし前をつけさせる! なんの罪も無いを死なせた犯人をわたしは絶対に許さない! ……だからもう、独りで戦わなくていいんです」


それは、花市場が犯行に絡んでいると疑われているようなこの状況では、言い訳にも説明にもなっていない、めちゃくちゃな発言。冷静に考えれば一蹴するような、なんの担保もない妄言。


だがそれは、独りですべてを背負い込んできた少女にとって、たったひとつの救いであった。


赤の女王は、いや緋色は、目を大きく見開き、涙をぽろぽろと流した。泣いたのは、いつぶりだろうか。涙なんて枯れ果てたと思っていたけれど。そう思っていたのは、緋色だけのようだった。


桃香は緋色にゆっくり近づいていって、その小さなからだを抱き、「どうか、わたしを信じてください」と言った。


緋色は安堵を覚えてしまったからか、タガが外れたように涙が溢れ出て、それでもせめて気丈に振る舞おうとして、

「私の頭を蹴ったのだから、相応の働きをしなさいよね……!」

と、涙でぐしゃぐしゃになった顔で言うのが限界だった。





「……てください! 起きてください! 冴さん! そろそろお腹殴りますよ!?」

冴は桃香の呼びかける声で目を覚ます。知らない天井だった。……いや、知っている。普通に地下道の中だ。上から顔を覗き込む桃香は、なんだかぷんすか怒っているようだ。


「……あと五分寝かせてー」

と言って、再び目を閉じる。

「あーもうこの人は……!」

ひゅん、と拳が風を斬る音が聞こえて、さすが身の危険を感じ、仕方なく起き上がった。


赤の女王と戦闘していて、追い詰められて、桃香に助けられて……それからの記憶が全くない。あたりを見回しても赤の女王の姿も血痕も全く残っていない。ただ、地面から鉄の樹が生えていること、鉄槍が突き刺さっていることを考えると、戦闘自体は夢ではないのだろう。戦闘中の負傷は血族特有の再生力によりほぼ治っているが、鉄を派手に使ったせいで貧血で目眩がする。


冴は懐から鉄分ドリンクを取り出して飲み、応急処置とした。そして調子が戻ってきたところで、桃香に疑問をぶつける。


「桃香、赤の女王はどこ行ったの?」

「和解しました。できる範囲で捜査の手助けもしてくれるそうです」

桃香は真顔でさらりと言ってのける。殺し合いをするほどの敵対状況から、協力関係を結んだ、と。そんな憂里みたいな真似ができるのか、この子に。


「えっマジ? よくあの状況から和解に持ち込めたね」

「マジです。……というか、他人事みたいに言ってますけど、状況が荒れたのあなたのせいですからね!」

「あはは、ごめんごめん。あたしシリアスな会話苦手でさ」


冴の雑な返答に桃香は呆れた顔を見せるが、実際、冴が交渉担当ではないというのは事実であった。それは『助手』や『探偵』の仕事であって、冴はあくまで戦闘特化の『用心棒』なのだ。花市場が営業開始したときからずっと、そういうふうに決まっていた。


「ねえ桃香、もし、ジグソーパズルを作ってる時に、ピースをひとつ無くしたことに気付いたらどうする? 諦める?」

「? せっかく買ったんですから、ひとつ足りなくても最後まで作りますよ」

「あたしだったら、そこで作るのやめちゃうかな。でも、崩すのもヤダから、作りかけで放置しちゃう」


そう話す冴の瞳が僅かに翳ったことに、桃香は気づかなかった。





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