面影が消えた赤の眼

 ユーフェミアの瞳の色は、黒色だ。黒曜石の如く深く艶やかで、どんな色の光源の下であっても、決して他の色に染まることはない。

 それが、どうして赤い色に見えた?


「……ユフィ?」


 名前を呼んでみるが、彼女にはどうしても違和感が付きまとう。姿形は確かにユーフェミアそのものであるのに、目の色だけでなく、表情が、雰囲気が、レイラの友人のものと合致しない。


 少女は自分を介抱したレイラに構わず立ち上がると、鬱陶しそうに濃い金色の髪を手で払い除けた。少々乱暴な仕草は、レイラが知る限り、ユーフェミアがしなかったものだ。彼女は長い髪をバレッタでいつもまとめていたし、それでも前に落ちてきたものは指先で摘まんで耳に掛けるようにしてそっと後ろにやっていた。生活の仕方によって髪の払い方まで変わってくるのかと感心したので、よく覚えている。


「……成功ね」


 つまらなそうに吐き捨てる彼女。いつもと違う色の瞳は、いつもとは違う感情を宿していた。冷めた目だった。自分以外の存在は取るに足らない生き物だとでも思っているような目だ。そんな傲慢な色を、ユーフェミアは見せたことがない。

 震える声でもう一度問いかける。


「セラフィーナ……?」


 まさか、と思いつつ出した名は、ユーフェミアの顔に笑みを浮かばせた。喜悦の表情があまりに歪んで見えて、レイラは戦慄した。


「ええ。そう。わたしはセラフィーナ」


 彼女は軽やかに舞台へ上がると、観客たちに向けて役者のように両手を大きく広げた。篝火に少女の影が大きく揺れる。彼女の顔には、自信と傲慢に満ちた表情が浮かんでいた。ユーフェミアらしさなど何一つ感じられない。

 同じ顔でも表情一つでここまで印象が変わるものなのか、とレイラは思う。


「百年の時を超え、ようやくここに帰ってきたの!」


 彼女が宣言したことで、傍観者たちは事態を把握したのだろう。おお、と周囲の沸き立つ声が、レイラには何処か遠くのもののように聞こえた。耳の中に薄い膜が張ったかのようで、現実味が伴わない。


「そんな……嘘だ……」


 レイラが弾き飛ばした魔法書からは確かに魔力の気配は消えていた。それなのに儀式は成功して、ユーフェミアの身体がセラフィーナのものになっている。ユーフェミアはレイラが駆け付けるまでの短時間で、充分な魔力を魔法書に流し込んでいたのだ。

 少し見くびっていた。魔法書を使わなければいけないほどの魔法を、あれほど短い時間で発動させることができるだけの魔力量を、ユーフェミアは操ることができたのだ。彼女の実力を見極めた気になっていた自分に後悔する。

 だが、そうだとしてもまだ信じられないことがある。


「どうして……?」


 くしゃりと拳を握りしめる。指先が芝生を掻き、爪の中に土が入り込んだ。


「ユフィ、どうしてあんなこと……っ」


 為されるがまま、というのであればまだわかる。権力に逆らえないこともあるだろう。レイラもまたそうだった。だが、ユーフェミアは、誰に命じられたわけでもなく自ら進んであの魔法書を使った。それがレイラにはとても信じられなかった。少し卑屈になる傾向にあったが、だからといって自分を粗雑に扱うことはなかったし、自己犠牲を美徳とするような性格ではなかったはずだ。

 それが、どうして。

 レイラの疑問に答えたのは、他でもないユーフェミアを奪ったセラフィーナ本人だった。


「あの子は自分の居場所がないことを知った。だから、わたしに身体を譲った。それだけのことよ」


 淡々とうそぶき、セラフィーナは舞台から下りて落ちた魔法書を拾った。


「居場所……?」

「両親に見捨てられ、周囲には必要ないと言われたの。ここまで突き放されると、自分の存在意義が感じられなくなってしまったのでしょうね」


 とんとん、と魔法書の汚れを払っていた手を止め、指先で触れる表紙を眺めて憐憫の表情を浮かべた。


「……哀れな子」


 同情の台詞は、レイラの怒りを掻き立てた。哀れと言いながら、セラフィーナからは罪悪や後悔といったものは一切感じられない。そこにあるのは憐憫のように見えて、実際はもっと違うものだ。

 自分が選ばれたという優越感。


「アンタがそそのかしたのか……っ」


 ゆらり、と身を揺らしてレイラは立ち上がる。魂の存在であった彼女がどのようにしたのかは見当が付かないが、彼女がユーフェミアを追い詰めた一人であることは確信した。


「そのための魔法だったのよ? なら、そう仕向けてもおかしいことではないでしょう?」


 当然とばかりにセラフィーナが言葉を紡ぐ。聞いていくうちに、レイラの彼女を睨む青い瞳は、憎悪の色に染まっていった。


「この……化け物」

「百年前から聞き飽きたわ、その台詞」


 得意げな笑みを消したセラフィーナの瞳は温度を持たない。レイラの憎悪を唾棄すべきものと捉えているようで、それがますます気に障る。


「おい、あいつを捕まえろ!」


 レイラとセラフィーナが言葉をやり取りしている間に、興奮状態が収まって己の職分を思い出したのか、役人や兵士の何人かがレイラの存在に疑問を抱き始めたらしい。彼女を誰何すいかする声と闖入者ちんにゅうしゃの排除を求める声があちこちから上がり始めた。

 まずい状況になったな、と思ったときにはもう遅く、レイラは兵士の一人に背後から羽交い絞めにされていた。


「この……放せっ!」


 身をよじり、それでも兵士を剥がせそうになかったので、指先を振って魔法を使った。一人はそれで吹っ飛ばせることができたが、他の兵士が次々にレイラに向かってくる。応戦の為に構えようとして、いつの間にか杖が無くなっていることに気が付いた。ユーフェミアを突き飛ばしたときに、何処かに飛ばしてしまったらしい。

 しかし、ここで諦めるわけにはいかなかった。セラフィーナとの話は終わっていない。今ここで諦めたら、ユーフェミアはもう二度と帰ってこないだろう。ここまでの騒ぎを起こしたのだ、なんとしてもユーフェミアを取り戻す。

 覚悟を決めて、杖なしで立ち向かおうとしたレイラに、またもや思わぬところから救いの手が差し伸べられた。


「止まりなさい」


 冷たく、居丈高にセラフィーナは命令する。


「ですが……」

「まだその子に話があるの。邪魔しないで」


 戸惑う兵士たちに、セラフィーナは有無を言わさぬ調子で繰り返す。聖魔女の機嫌を損ねて良いものか判断しかねた彼らは、一度後方――軍司令官のほうを振り返り、彼が頷くのを見てしぶしぶ引き下がった。


「どういうつもり?」


 兵士たちを警戒しつつ、レイラはセラフィーナに向き直る。


「深い意味はないわ。ただ、あなたって何をしても大人しくしてなさそうだから、だったら話し相手になってあげた方が面倒がないかなって」

「はっ。お気遣い痛み入るね」


 皮肉を返すも、実際その通りであるところが悔しかった。ここに来るまでは、暴れて儀式を妨害することしか考えていなかったし、セラフィーナが現れてからは、彼女が話を聴かないならぶん殴ってでもユーフェミアの身体から追い出そうと考えていた。

 しかし、こうして相手にしてもらえるのであれば、レイラも手を引っ込めざるを得ない。とりあえずであろうと話を聴いてくれる相手に、横暴な振る舞いはさすがにできなかった。

 せっかくの機会だ。目の前の女が気に入らず、反発しそうになるのを無理矢理落ち着かせ、レイラは切り出した。


「ユーフェミアはどうなった」

「彼女はもう、出てこない。きっと、ずっとあのまんま」


 偉そうで一言に腹は立つが、冷静にその言葉の意味を吟味する。


「それって、ユフィがこの世からいなくなったわけじゃないってことでいいんだな?」


 出てこない。あのまま。死んでいたり、それと同等の状態であるのであれば、そんな言葉は出てこないだろう。ならば、まだ絶望的な状況ではないはずだ。ユーフェミアを取り戻す機会もきっとあるに違いない。

 レイラはセラフィーナが抱えている魔法書に目を付けた。あれはユーフェミアの肉体に宿っていたセラフィーナの魂を引っ張り出すためのものだった。ならば、その逆もできるのではないだろうか。そうでなくても、あそこに掛かれている呪文を解き明かせば、何か手掛かりヒントが得られるのではないだろうか。


「往生際が悪いわね」


 レイラの目的に気が付いたらしい。セラフィーナはせせら笑うと、魔法書を燃してしまった。

 火の点いたページが夜空に舞い上がっていく。消し止める暇もなく、全て灰になってしまった。これでは何の手掛かりも得られない。


「てめぇ……」


 呻くレイラに、苛立たしげにセラフィーナは吐き捨てる。


「いい加減諦めなさいよ。少し考えればわかるでしょう? 今この国に必要なのは、あの子じゃなくて、このわたし。わたし以外の誰にも、この魔力を使うことはできないし、この国を救うことはできないはずよ」

「そんなの知るか! この国の馬鹿どもが何を考えているかは知らないが、アタシにはアンタみたいな魔法兵器、用がないんだよ」

「魔法兵器ですって……っ!?」


 それまでどれほど表情を変えることがあっても余裕の態度を崩さなかったセラフィーナは、まなじりを吊り上げてレイラに迫る。


「ちょっと魔法が使える凡人ごときが、このわたしをただの兵器呼ばわり!? 良い度胸じゃない!」


 突き出した手から紫電が走る。当たる直前でなんとか躱したが、はじめての殺意の籠った攻撃にレイラは身震いした。あれを受けていたら、と想像しかけて、強引に振り払う。そんなことをしていたら、今度こそ本当に死ぬ。

 セラフィーナは、そんなレイラにお構いなしに、怒りに任せて次から次へと魔法を繰り出した。


「いい? わたしはセラフィーナ! かつてこの国を守護した聖魔女! みんながわたしを敬いたたえる! ただの人間でも、狩られるだけの無能な魔女でもないの!」


 戦慣れしているとあって、火の玉、水流、かまいたちと容赦がない。対するレイラのほうは実戦経験などほとんどないため、隙を見て魔法を撃つどころか、相手の攻撃を躱すのにもすぐに限界が訪れた。準備した折り紙も役には立たない。

 慣れないヒールを履いている所為か、レイラはとうとう足をもつれさせた。水塊を受けて、レイラの身体がはじけ飛ぶ。尻餅をつき、そのまま倒れた彼女を見て、セラフィーナは哄笑こうしょうした。


「無様ね」


 レイラは拳を地面に叩きつけた。結局、自分はただの小娘だ。ただ少し要領が良いだけの小娘。それなのに思い上がって、ジュリアスを巻き込んでこんな騒ぎを起こして。結果、レイラができたのは、場を引っ掻き回すことだけだ。ユーフェミアは救えず、セラフィーナは復活した。レイラが兵士に捕まっていないのは、単にセラフィーナの気まぐれによるものであって、レイラ自身に何かあるわけではない。

 なら、諦めればよかったのか? 自分にはどうしようもできない事柄だと大人しく引っ込んで、グレイスの邸の中で、ユーフェミアの不在をただ嘆いていれば。


「そんなの……できるわけないだろ……っ!」


 ずぶ濡れで重くなった身体を持ち上げる。ヒールを脱ぎ捨てた足で芝生の上に立った。目の前に垂れ下がった髪は鬱陶しいがそのままにして、セラフィーナに対峙する。待ち受けるのがどんな結果であれ、一度行動を起こした以上、レイラはやり遂げなければならない。

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