#魔女集会で会いましょう ~SNSに込められた願い~

川乃こはく@【新ジャンル】開拓者

第1話 五歳の誕生日

 触れることも、声を掛けることもできない。

 ただ『それ』はそこにいるだけ。

 それがどれほど恐ろしいことなのかその時のわたしには理解できなかった。


 暗雲立ち込める空模様。黒傘の隙間から覗く一条の煙が煙突から立ち昇り、天に伸びては消えていく姿を幼いわたしはただ眺めていることしかできなかった。

 傘を叩く雨音と踏み固められたアスファルトが寂しげな音を鳴らし、水とみどりのにおいが色濃く漂う夏。


 五回目の誕生日で、わたしははじめて『彼ら』と出会った。


「かわいそうに。あんなに小さいのにもうお母さんを亡くして」

「もともと身体が弱かった人だったけど、こんなに早く逝ってしまうなんて――。残された龍之介さんと真由子ちゃんがかわいそうだわ」


 真っ黒な傘の集団に囲まれ、感情の色が重苦しい雨避けを透過して背中を叩く。


 周りの大人たちの視線はどこか怖いくらいわたしと父を見つめ、その視線が一瞬だけわたしの胸元に落ちると声を押し殺して泣きはじめた。

 黒服の列が一様に空を見上げ、ハンカチを目に当てている。 

 けれど大きく拡大された母はいつまでも変わらない笑顔で、わたしの胸の中にいた。


「お父さん、お母さんは――?」

「……真由子、お母さんはね。遠くのお星さまになってしまったんだ」

「お星さまに?」


 ありきたりな言葉だ。

 ありきたりで、残酷な言葉だ。

 でもこの時のわたしに大人の嘘を看破するだけの知恵はない。


 いつものように「すぐに帰って来るの?」と無邪気に問いかければ、わたしの小さな手のひらが悲鳴を上げた。

 

 声をあげて手を振れば、慌ててはにかんだように笑う父が「ごめんな真由子」といつものようにわたしを抱きかかえた。 

 けれど胸中に沸いた子供だましの感情は、徐々に言い知れぬ胸の疼きとなって幼いわたしに突き刺さった。

 おもわず父の横を凝視すれば、いつも笑い返してくれる母がいない。


 いや、それどころか母は――、


「ねぇおとうさん。おかあさんは? おかあさんはどこにいるの?」

「真由子、お母さんはね遠くに行ってしまったんだ。もう帰ってこないんだ」


 矢継ぎ早に吐き出される言葉に、父の耳ざわりのいい不快な声が耳元をそっと撫でた。


「これからはお父さんと二人で仲よく暮らしていこう。――な?」

「うそだよ。だっておとうさんの後ろにいるもん。いつもいっしょだよって言ってたもん。わたしのおたんじょう日だってたのしみねって言ってくれたもん」

「真由子――」

「まゆこ。ごさいになったよ。はやくおかあさんとあそびたい!! ねぇおとうさん。おかあさんはどこにいるの!!」


 そこで父の表情がしわくちゃになったのをわたしは覚えている。

 けれど、大人は子供の言うことを信じてくれない。

 小さくなった母ごと抱きしめられると、黒縁の眼鏡がわたしのこめかみに当たった。


「いいかい真由子。お母さんはね、死んでしまったんだ」

「うそよ。だっておとうさんのうしろにいるんだもん」

「真由子――、すまない真由子」


 次第に繰り返される父の謝罪に頬に熱い雫が降りかかった。

 父の口から絞り出された震える声に、苦しいくらいに身体を締め付けられる。


 そこでわたしの瞳は初めて『彼ら』を捕らえた。


「おかあさん」


 『それ』を母だと認識したわたしはなんて馬鹿なのだろう。

 

 父の背中に張り付くように揺らぐ黒い物体と初めて視線が合う。

 揺らぐ塵を集めたような不定形の身体に、二つの黄金色の視線が重なる。


「おかあさん!!」


 肺から洩れる酸素が苦しげな息づかいに変わり、痛みで自然と涙があふれた。

 声を荒げて身をよじる。伸ばされた手のひらは母を求めるように父の背中を掴むが、透過する手のひらは決して禍々しいその物体を掴むことはなかった。


 囲うようにして黒い物体が幾重にも重なってわたしをのぞき込む。

 それでも『それ』はわたしのことを見つめ返すばかりで、何も語ろうとはしなかった。


 母は、帰ってきてくれなかった。

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