3—2


 伯爵はワレスの返答を、もはや待ってはいない。となりにいるガロー男爵に話しかける。


 ガロー男爵は近衛隊の騎士であり、書記であり、伯爵の友人でもあるという話だ。若いのに片メガネをかけ、どちらかといえば、武官ではなく文官タイプである。


「今夜から前庭の警備にあたる兵には、呼子を持たせよう——エイドリアン。今のところ、ほかの場所では同じ事件は起こってなかったな?」


「最近の記録では、前庭だけです。ふた月前には前門、および二の丸内で、兵士の消息不明が起こっております。傾向から言って、今回と同じ原因による消失でしょう。おそらく、その獣は森から侵入後、前門、二の丸を通過し、じょじょに内部に向かっている。そう考えるのが妥当でしょう」


「ふた月も前から侵入していて、今回が初めての目撃談か」


「単独で行動する野生動物は、警戒心が強いですからね。これまでの事件は、兵士が一人ないし二人のときに起きています。昨夜、走りよる人影を三つ見て逃げだした。肉食獣としては凶暴ではないほうと言えるでしょう。ネコ科の獣が狩りをするように、背後から、そっと忍びより、エモノをしとめているのではないでしょうか」


「豹のようだな」

「体毛が短い点などからも、おそらくは」


 そうだろうか?

 あれは豹だったろうか?

 たしかに、身ごなしは俊敏だった。しかし……。


 こっちをふりかえったときのあの感じは、ひどく——


(ひどく、人間くさかったような……?)


 とはいえ、断言できる段階ではなかった。昨夜は星明かりも月明かりも暗かった。はっきり見えたわけじゃない。


 ワレスがだまっているうちに、伯爵たちの意見はかたまっていた。豹と思われるネコ科の肉食獣と。


「正体がわかっていれば、対処もできよう」と、伯爵は言う。


「今夜から、前庭の各所に、かがり火をたかせること。および、豹の隠れそうな樹上などを今すぐ探索せよ。そのうえで、前庭の警備にあたる隊の中隊長以上を集め、善後策を講じよう。コリガン。そなたも残れ。ほかの者はさがってよし」


 ワレスたちは退出することになった。

 ワレスは一礼する。


 金のふさ飾りのある織物。

 代々の城主の肖像画。

 装飾的な柱や燭台しょくだい


 そんなものをエミールが物珍しそうに、キョロキョロしている。ワレスはエミールの背中を押して立ち去ろうとした。


 すると、

「ワレス分隊長」

 なぜか、伯爵から呼びとめられた。


 へまをやったか?


 ワレスは考えたが、違っていた。

 伯爵は笑顔で、ワレスをさしまねく。


「近うまいれ。そなたに聞きたいことがある。これは私事なのだが、よいだろうか?」

「はっ」


 ワレスは腰をかがめたまま、壇上の伯爵に近よる。


 はにかむように伯爵は笑う。ますます、子どもっぽい。口髭さえなければ、まだ少年みたいだ。


「そなた、ジョスの紹介状を持っていたそうだな」と、声をひそめた。

「ラ・ベル女侯爵のことにございましょうか?」

「そのジョスだ。彼女はどうしていた? その……」

「ご健勝ですが」


 いぶかしんでいると、伯爵はワレスの視線をのがれるように顔をそらした。育ちのよさそうなおもてが、みるみる赤くなる。


「そうか。それならいいのだ。つまり……ここだけの話。彼女は私の初恋の女性なのだ。十の年に恋文を送ったが一笑に付された。すまない。なつかしくなって、ひきとめた」


 違う。それだけじゃない。

 伯爵は今でもジョスリーヌにあこがれているのだ。

 ワレスが彼女のなんなのか聞きたかったのだろう。

 ワレスが彼女の恋人なのか。


(おれを……)


 おれをなんだと思ってる!


 カッとなった。

 仮にも恋文を渡してきた男のもとへ、愛人を送る女の傲慢ごうまんに、ヘドが出そうだ。


 以前から、ジョスリーヌにはそんなところがあった。

 ワレスが金で買われた身分だということを、わざと大勢の前でさらして、悦に入る。


 ジョスリーヌには、ワレスを手活けにしていることが自慢らしいのだ。

 だが、それによって、ワレスがどれほど屈辱的な思いをするかということは、まったく考えてくれなかった。


 そのへんが、最後まで、ジョスリーヌと折り合えなかった要因だ。


 ワレスは自由に空を飛びたい。

 彼女はそんなワレスを束縛し、めずらしい白い鷹をつかまえたのだと、みんなに吹聴したい。


 しかし、これはないんじゃないか?

 ワレスがジゴロだった過去をすて、これから新しい自分に生まれかわろうという、まさにその瞬間に。

 翼をへし折るような、この行為。

 これは卑怯だ。


 こんな僻地へきちに来てさえも、彼女の手の内だと見せつけたかったのだろうか。

 女から逃げたいと言ったワレスへのあてつけなのか?


 いや、ちがう。悔しいのだ。

 おれは、悔しい。


 逆立ちしたって、ワレスにはマネできない、伯爵の育ちのよさを思い知らされて。

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