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 *



 夕焼けの紅が薄闇にかわる。

 やがて、濃密な夜がやってくる。

 ワレスたちの仕事は、そのころ始まる。


 砦の東に広がるのは、誰一人として、その奥に到達したことのない暗黒の森。


 いったい、どれだけ広いのか、その奥がどうなってるのか。誰も知らない。

 わかるのは、そこが人間にとっては地獄だということ。


 猛毒を持つ虫。

 人を狂わせる花。

 強酸を放つ木。

 凶暴な大型獣。


 何より恐ろしいのは、低脳な獣とはあきらかに異なる、異様な生き物。魔族である。

 やつらは人間をあやつり、あるいは食物にし、人とは対立する価値観のもとに行動する。


 ユイラ皇帝国開闢かいびゃくの五千年の昔から、人間はやつらと戦ってきた。


 やつらが我が物顔に国じゅうを横行していたころは、世界はもっと混沌としていた。


 やつらに対抗するため、人間は魔術に力を求めた。三つの子どもでも魔術をもちいたと言われる魔術全盛時代。


 その時代の熾烈しれつな闘争の結果、人間は魔族を滅ぼし、平和がやってきた。国内で魔物を見かけることはなくなった。

 魔神と呼ばれるほどの強大な魔族は、神々との戦いにより封印されたという。


 それは伝説だ。


 ただし、すべての魔物が滅びたわけではない。国を追われた残りの魔物は、ユイラの国境をこえ、人の手の入っていない東の原生林のなかで生き続けている。


 ワレスたち砦の兵士が守っているのは、その魔族の森との境界線だ。

 砦の二重の塀と水堀をこえて、やつらが侵入してきたときには、身を盾にして戦わなければならない。


 ——そういうことを、昼のあいだじゅう、ワレスはエミールに話してきかせた。

 だが、この新米の命知らずは、どうも、いまひとつ理解してない。


「ねえ、隊長」


 昼間、あれほど人でにぎわった前庭。

 夜になれば、ほぼ無人だ。


 ワレスたちが見まわるのは、この前庭のごく一部だ。大部分が石畳の前庭のなかで、土がむきだしになった東端のあたりだ。籠城ろうじょうにそなえた果実酒用のザマの林になっている。


 闇の六刻。

 大部分の兵士がもっとも深い眠りにつく真夜中。


 ワレスはエミールと二人で、ザマ林のなかを歩いていた。夕刻から真夜中にかけての見張りをする第四分隊と、さきほど交代したところだ。


 前庭には、衛兵のもつ松明たいまつの明かり以外、光はない。


「ねえ、隊長。聞いてるの?」


 さっきから何度、注意したことか。

 黙れと言って、しばらくはおとなしくしてるのだが。ものの数分もすると、エミールは話しかけてくる。


「ねえ、隊長。あんた、いくつ?」


 闇六刻から、明の一刻まで、五刻のあいだ、前庭の見まわりをするのが、ワレスの分隊の仕事だ。

 じっさいには、一、二班と、三、四班の二班ごとに、二刻半ずつ交代で見張る。


 分隊長のワレスは一班。さきに見まわりするほうだ。

 行動の基本は二人組み。

 定位置にいる他の四組み、八人のあいだを巡回していく。

 ちゃんと隊長が見張ってないと、さぼり好きな傭兵は、持ち場をはなれて賭博とばくに興じたりする。


「ねえ、隊長」


 エミールに腕をひっぱられて、ワレスはふりはらった。


「腕をつかむな。もしものとき、剣をぬけなかったら、どうする。もうひとつ、巡回中は、人の年より自分の命の心配をしろ。話していると、不審な音を聞きのがす。私語は禁じる」


「だって、昼間はずっと剣、にぎらされてさ。ろくに話もできなかったし。ねえ、それじゃあさあ。あんたはここに来て何年になるの?」


「まだ三ヶ月だ」


「へえ。隊長してるから、もっと長いのかと思った。じゃあ、ほかにもっと長くいるのは? 二十年とかさ」


「そんなに長く勤めている者は傭兵にはいないだろう。正規兵の将官クラスなら、城主が代わっても、そのまま残っている者がいるかもしれないが」


 砦の城主は世襲せしゅう制ではない。五年から十年の任期で、皇帝の命を受けて赴任する。

 今のボイクド城の城主は、コーマ伯爵という。ワレスが砦に来るちょっと前に入城したばかりの新任城主だ。


「そういう人にはどうやったら会えるんだろう?」

「会って、どうする」

「別に」


「我々のような下っぱが将官に会う機会はない。ひじょうな手柄でもあげれば別だが」

「ふうん……」


 なんだかガッカリした顔で、やっとエミールは静かになった。

 が、じきにまた、

「あのさあ。じゃあ」と、話しだしたので、ワレスはエミールの頬をかるくぶった。


「三度以上、同じ注意をさせるな。おれは巡回ちゅうは私語を禁じると言ったぞ」


 エミールはビックリしたように、ワレスを見つめている。


「痛い……」

「あたりまえだ。痛むようにしたんだ」

「おれ、ぶたれたの……初めて」


 エミールの色違いの両目から涙がこぼれる。


 ワレスはあきれるのを通りこして、胸くそが悪くなった。

 初めてぶたれたといって、子どものように泣くエミール。世間知らずにもほどがある。


「行くぞ」


 ワレスが背をむけると、エミールはおとなしくついてきた。


 用水路わきのふみかためられた通路。

 やせほそった死人の指のように、暗い空をさす木々。

 そのあいだを、足音をひそめて歩く。

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