第20話「対話」

 またはぐれてはいけないので、店につくまでは、小さいの二人は抱っこしていくことにした。


「カナとお別れした意味なくなっちゃったね」


 と、カイコが悪戯っぽく笑う。


「なんで戻ってきたって顔で見られるな」


 カイコを抱き上げ、右腕で抱える。落ちないように位置を調節していると、ミツバチがこちらを見上げているのに気がついた。ミツバチはレグナに抱っこしてもらう予定だったが、これはもしかして、俺が抱き上げるのを待っているのではなかろうか。


 一瞬、どうすべきか悩んだのだが、すぐに、嫌がったらレグナに頼めばいいか、と思い直して、とりあえず空いているもう片方の腕をミツバチへ伸ばしてみた。すると、すんなり左腕の中に収まってくれた。


 心を開いてくれたようで嬉しい。せっかくだから、何か声をかけようかと思い、あれこれ言葉を考えたのだが、余計なことを言いそうな気がして、結局何も言わなかった。


 俺らはニカとヘビを先頭に、一列になって進んだ。レグナがニカのすぐ後ろにいて、俺が最後尾だ。


 先程あんな事件があったばかりなので、多少辺りを警戒しながら歩いていると、ミツバチがおもむろに身じろいだ。なんとなく視線を向けると、腰についている小さなバッグから食べかけのクーシュクッキーを取り出した。


 そういえば、いつの間にか持っていなかったが、大事にしまっていたらしい。


「とっといたのか?」


 ミツバチは食べかけのクーシュクッキーをジッと見つめて頷く。


「カイコを見つけたら食べようと思って」


「いいなぁ、カイコ落としちゃった。全然食べてなかったのに」


 と、カイコがため息をつく。すると、ミツバチはクーシュクッキーをカイコに差し出した。


「じゃあ、やるよ」


「え、いいの?」


 カイコはすぐに両手を伸ばすと、ミツバチからクーシュクッキーを受け取った。


「ありがとう!」


「……カイコ、良かったな、優しいお兄ちゃんがいて」


 カイコはクッキーにかじりつきながら、キョトンとした顔で俺を見た。だが、こちらを見つめたまま何か言うでもなく、口いっぱいに含んだクッキーを一生懸命噛んでいた。食べるのに忙しいらしい。


「俺、弟だよ」


 ミツバチが代わりに答えてくれたので、ミツバチの方を見た。


「あ、じゃあカイコがお姉ちゃんか」


「一応そう」


 と、ミツバチが言うので、俺は気になって聞いた。


「一応って?」


「だって双子だから、私達」


 どうやら一口目を呑み込んだらしく、カイコが答えてくれた。


「……双子だったのか」


「知らなかったの?」


 カイコがくすくすと笑う。そして再びクッキーを口いっぱいに含んだ。


「知らなかった。そうか、だから名前で呼び合ってるんだな」


 二週間近く一緒にいたのに、俺はこんなことも知らなかったのかと気付く。思い返せば、この二人と出会ってすぐは、イーラのことでずっとバタバタしていた。あの時、昼間は、森の中を一人で歩き回って運ぶルートを模索していたし、夜は夜で、次の日の予定を決めたりというような会話ばかりだった。雑談らしい雑談もスプーンについて話したぐらいしか覚えていない。


「そういえば、年も知らないな」


 と、カイコを見ると、再びキョトンとした顔で俺を見つめた。その間にも、もぐもぐと口の中のクッキーを咀嚼し続けている。どうやら呑み込むまでは何がなんでも口を開かない心持ちのようだ。


「……口の中に食べ物が入ったまま喋らないのは、偉いと思うよ、俺は」


 また食べるのに忙しそうなカイコから目を離し、ミツバチを見る。すると指を7本立てて言った。


「年は7歳。セトは?」


「俺? 17歳だよ」


「じゃあ、レグナちゃんは?」


 クッキーを呑み込み終えたカイコが言う。


「何歳だろうな……。13、4ぐらいじゃないか?」


 本人に聞こうと思い、前にいるレグナに視線を向けると、話をしながら歩いていたせいか、はぐれそうになっていた。今にも人混みにかき消されそうな背中を小走りで追う。


「レグナ」


 すぐ後ろまで追いついたところで、レグナに声をかけた。レグナの耳がぴっとこちらを向く。レグナが振り返ると、カイコが聞いた。


「レグナちゃんは何歳?」


 するとなぜか、レグナは表情を強張らせて、口をへの字に曲げた。普段しないような顔をしたので、何事かと思っていると、いつもよりワントーン低い声で呟いた。


「……17」


「えっ! 私、同い年くらいかと思ってました」


 ニカが驚いた顔でこちらを振り返る。レグナがそちらを見ると、ヘビもレグナの方を振り返って、笑いながら言った。


「ラコにしちゃあ、小さいですね?」


 それを聞くなり、レグナの耳が後ろに伏せ、尻尾が悲しそうにだらりと下がる。


「お兄ちゃん……!」


 ニカがヘビの背中を平手で叩く。


「ごめんなさい、レグナさん。気にしないでくださいね」


「ちょ、ちょっとごめん」


 俺は話を遮り、抱いていたカイコとミツバチをニカのそばに下ろすと、レグナの背中に手を添えて、二人だけで少しその場から離れた。


 レグナは目を丸くして俺を見ていた。4人から離れると、俺は声を潜めて聞いた。


「17って、17歳?」


 レグナは少しむっとしたような顔をして耳を伏せたが、すぐに頷いた。


「俺と同い年?」


「セト17なの?」


「17」


「じゃあ同じ」


「本当に?」


「本当」


 俺は、ため息と共にレグナから目を逸らし、首元を撫でた。まさか同い年の女の子だとは思っていなかったので、すっかり動揺してしまった。


 同い年。そうとは知らずに俺は……。


 そこまで考えてハッとする。


「えっ、それじゃあ……」


 俺は思わすレグナを指差して、だが失礼だと思いすぐに引っ込めると、上手く言葉が出てこなくて、片手で顔を覆った。


 レグナを抱きかかえて寝たことや、水浴びのこと、手を繋いだこと。今までのさまざまな行動を思い出して、その場で赤面してしまった。恥ずかしさのあまり、その場でしゃがみ込む。


「えっ、え? 大丈夫?」


 レグナの慌てたような声が聞こえた。


「いや、なんでもない、大丈夫……」


 俺が顔もあげずにそう言うと、レグナは隣にしゃがんで背中を擦ってくれた。それがまた恥ずかしくて、俺はなかなか復帰できなかった。


 散々子供扱いしてきたので、嫌な思いをさせたこともあったかもしれない。何か気遣いの足りない言動はなかっただろうか。


 俺はすっかり見た目で決めつけてしまっていた。


 俺が立ち上がると、レグナも立ち上がり、俺と向き合った。いざ顔を合わせると、どうも落ち着かなくて、意味もなく辺りを見渡してしまったが、言うことは言わなければ、と深呼吸をした。


「その、ごめん、レグナ」


「な、何? 何が? 何もしてないよ?」


「俺……その、お前のこと、けっこう年下だと思ってたんだ……その、13、14ぐらいに……」


「あー、ね! そうだと思ったけど、私もいいか、って思って言わなかった。ごめんね」


 そう伝えると、レグナは苦笑しながらも明るい口調で言ってくれた。


「ちゃんと聞けば良かったよな、ホント……」


「セトは思ったより、若い」


 それを聞いて、軽くショックを受けた。


「……え、俺、老けて見える?」


 レグナは慌てたように首を左右に振る。


「見た目は、そんなに。でも……うーん、話し方? かな? 雰囲気?」


 ……そう言われてみれば、子供の頃から子供らしくないと言われてきた。そもそも環境が子供らしくいられる環境じゃなかったので、当時は気にも止めていなかったが、今思えば、これも、前世の記憶があるせいではないだろうか。


「大人の人と話してるみたいな気持ち」


 レグナの言葉に、やはり、と思う。俺は、前世の俺の名前も誕生日も血液型も好き嫌いも全て覚えている。両親、親戚、小中高大学の出来事、旅行の思い出、仕事のこと、異性の好み……。29年という、決して薄くない人生経験が丸々、自分の中に収まっている。俺の自由を制限された17年ではとてもじゃないが、太刀打ちできない記憶量だ。


 幾度となく、この記憶に助けられた。抑制と暴力、そんな中でまともでいられたのは、前世の記憶があったからに他ならない。


 前世の俺を認めるわけじゃない。受け入れたいわけじゃない。でも、利用する記憶と利用しない記憶を選べなかったし、困難を乗り越えるためには俺の17年間では圧倒的に足りなかったのだ。


 ああ、またあの感覚。嫌な気分だ。心がざわついて、気持ち悪くなる。


「……年相応ってのが、よく分からないんだよな」


 レグナは何か言うでもなく、俺をじっと見ていた。まるで全て見透かされそうな真っ直ぐな瞳に、少し居心地が悪くなって、俺は言った。


「戻ろうか」


「……うん」


 レグナは少し目を伏せると、後ろを振り返って歩きだす。俺もその後を追って、不思議そうにこちらを見ている4人の元へ戻った。


「すいません、待たせちゃって」


「いいんですよ」


 ヘビはにっこり笑うと、腰に手をあてて言った。


「でも、何話してたんですか?」


「俺とレグナが同い年だったって話です」


 わざわざ離れた場所で話したのに、その内容を戻って話したら意味がないのでは? とは思ったが、会話を聞かれるのが恥ずかしかっただけなので、簡潔に答えた。すると、ヘビは細い目を見開いて少し興奮した様子で言った。


「あ、そんなに若かったんですか? 若いとは思いましたけど、それでも20歳は軽く超えてるもんだとばかり……!」


「うっ」


 それを聞いて俺は再び軽いショックを受けた。


「……やっぱり、年相応に見えないですか?」


 と、俺が聞くと、ヘビは笑いながら答えた。


「見えないですよー、表情もどこか暗いし……人生に疲れてたりしませんか?」


 そう言われて、先程、レグナが気を遣って、そんなに、と言ってくれたことにも気がついてしまった。


「いや、そんなことは……。疲れてますかね……」


 人生に疲れている? いやいや、俺だってまだまだこれからだ。多分……。


 とはいうものの、俺は本当にここから巻き返せるのだろうか。少し、自信がなくなってきた。


「でも、なんかくたびれているというか」


「お兄ちゃん、もう!」


 ニカがヘビの背中をグーで殴る。あまりに躊躇いなく拳が飛んでいったので、驚いて体がビクッと跳ねた。さすがに効いたのかヘビは少し呻いて、背中を擦っていた。


「ごめんなさい。この人、商売してない時は、好奇心に任せて喋るんです。だから、あまり気にしないでください……」


 ヘビは、少し妹が好きすぎるだけの常識人、という印象だったのに、そう言われると印象が変わりそうだった。


「ま、まあ、俺達ニットラーからしたら、年相応かどうかなんて、気にするだけ無駄ですがね」


 ヘビは、咳払いをしたあと前を向いた。茶色のボーラーハットを取って前髪を掻き上げ、それで顔を仰ぎながら、ゆっくり歩きだす。それを見て急いでカイコとミツバチを抱き上げると、俺らは再び一列になって進んだ。


「俺はこんなですが、これでも30歳ですよ」


 そう言って、ヘビが肩越しにこちらを振り返る。ヘビはヘラヘラとしていたが、何か思うことがあるような、そんな含みのある表情にも見えた。反応に困って微笑んだのだが、もしかしたら苦笑いになってしまったかもしれない。


 ニットラーは、年齢をいくら重ねても、ほとんど老化による影響を受けない種族だ。彼らは、いくら60歳の年寄りだったとしても、少年少女にしか見えない。


「ニットラーの同僚がいましたが、何歳か聞けなかったんですよね。年を聞いていいものか迷って……」


 そう言うと、ちらりとニカがこちらを向いた。そして、前を向くと同時に言った。


「そういう方も多いですね。こちらも、ニットラーです、と名乗ると、大概は年齢なんか聞かれませんし、大人扱いされますので、わざわざ言いません」


 中には、ニットラーと分かっても、わざと子供扱いする方もいますが……、とニカは沈んだ口調で言った。


「やっぱりまだ、当たりの強い人もいるんですよ」


 ヘビはボーラーハットを被り直しながら、こちらも見ずにそう言うと、少し考えるように唸ってから、ゆっくりと話してくれた。


 ヘビが言うには、俺が生まれるずっと前、ニットラーという種族は、滅多に人前に出てこないことで有名だったそうだ。だからあることないこと噂されて、その寿命の長さから、不老不死と思われていたこともあるらしい。果てにはニットラーの血には若返りの効果がある、などといわれ、毎日、新鮮な血を取るため、ニットラーの奴隷を求める貴族様がかなりいたとか、いないとか……。


「今でこそ、ニットラーなんかそこら中にいますが、それもこれも俺らのご先祖様が、少しずつ種族の誤解を解き、理解を深める活動を続けたおかげです」


 ヘビは少し黙ると、人々を見回した。俺も一緒に見る。さまざまな種族が、お互いのことなんて何も気にせずに歩いていく。これが当たり前ではない時代があったとは思えない。


「対話は大事ですよ。それがなければ、俺達は今も、山奥で他の種族に怯えながら、ひっそりと過ごしていたでしょうから」


 ヘビの言葉に、うんうん、と頷いてレグナやカイコ、ミツバチを見る。


「お兄ちゃんは、もう少し人を気遣った対話をしないとね」


 と、ニカが棘のある口調で言うと、ヘビは苦笑だけ返していた。


 でも、ヘビの言う通りだ。俺も対話を大事にしていかなければ。種族も年齢も違う他人同士の俺らが、これから一緒にやっていくのなら、きっと大切なことだ。

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