行き交う人々

第18話「絵画」

 店から出ると、ニカがそばに寄ってきた。中は薄暗かったからか、分からなかったが、外で見ると、ニカの髪はとても珍しい色をしていた。少し赤みがかった金髪というのが近いだろうか。光の加減で淡い赤色にも見える。


「あなた、名前はなんていうんですか?」


 こんなキレイな髪の色は初めて見る。この世界で染髪という習慣があるのかどうか分からないが……。


「聞いてます?」


 腕を軽く小突かれて、ハッとする。


「えっ、あっ、なに?」


 あまりにキレイな色だったので、つい見とれてしまった。ニカが怪訝な顔で俺を見ている。


「名前ですよ、名前。あなたの」


「ごめん、セト、セトっていうんだ。こっちは……」


 慌ててレグナの方を見ると、ニカは間髪入れずに言った。


「レグナさんですよね。もう聞いたので、知ってます」


「そう……」


「じゃあ、行きましょうか。最初は武器屋でいいですか?」


「あっ、ちょっと待って」


 俺らはカナにお別れとお礼を言ってから、その場を後にした。


 その後、案内された武器屋は、木造の三角屋根の建物だった。看板は取れかけ、壁にはヒビと、営業しているとは到底思えないような見た目は少し不安だったが、ニカ曰く、売っている物の質は良いとのことだった。


 質が良いのは本当らしく、店の中はそれなりに人がいた。明らかに兵士や用心棒、傭兵といった人達ばかりで、少し居心地の悪い思いをしたものの、店主は人の良さそうな人で、感じも良かった。


 目当ての弓も扱っていたので、そこで木製の弓と矢束を購入した。どうやら店主はニカとヘビの店の常連客らしく、ニカの紹介ならと、こっそり値引きしてもらった。


 レグナに弓を渡すと、その弓矢を抱きしめて、嬉しそうに尻尾を振っていた。奴隷として捕まった時に、お気に入りの弓を壊されてしまったのだと言う。


「ところで、上手いのか?」


 と、俺がからかうつもりで聞くと、レグナは肩を竦めて、まあまあ、なんて気取った感じで答えていた。


 その次は食料品を買うために、何軒か回った。干し肉やチーズ、パンなど保存が利くものを中心に約五日分の食料を購入した。現地調達などと合わせて、やりくりしていかなければならない。最後に、広場にある公共井戸の場所も教えてもらった。


 ここまでで使った金額は大体金貨1枚分。思っていたよりもずっと安くつき、お金に余裕ができたのは嬉しい。


 手元に残った銅貨を見つめて、これならば、少しぐらい屋台で飲み食いしても大丈夫そうだと思った。そこで、カイコとミツバチに声をかけてみる。


「そろそろ腹減っただろ? 何か買って食べよう。選んでおいで」


 二人は嬉しそうな顔をすると、一目散に屋台の並んでいる通りへ走っていった。見失わないように少し早足で追いかける。俺は二人の後ろ姿を見つめながら、ヘビの話を思い出していた。


 いつ二人に話をしようか。なんて切り出せばいいのだろう。二人は残りたいと言うだろうか。それならそれで仕方がないよな。ここで二人と別れても、一人になるわけじゃない。俺にはレグナがいる。……レグナは、なんて言うだろうか。


「……なぁ、レグナ」


「んー?」


 俺のすぐ斜め後ろを歩いていたレグナに声をかける。振り向きはしなかった。きっと情けない顔をしているから。


「さっき、店で……その、ヘビさんが二人を引き取ってもいいって言ってたんだ」


「カイコとミツバチを?」


「そう。二人の幸せを考えたら、俺らと旅をするよりも、ここで暮らした方がいいのかなって」


「……そうか……そう……んー……ええっと」


 レグナが歯切れ悪く呟く。


「幸せのことなんか、分かんないけど、私は今、けっこう幸せ。弓買ってもらったから」


 レグナの言葉に思わず笑ってしまった。弓を買ったのがそんなに嬉しいとは思わなかった。 


「喜んでもらえて何よりだよ」


「でも二人は違う」


「まあ、そりゃあ二人にとっての幸せは違うよな」


「そうだけど、そうじゃなくて、ええっと……だから……!」


 レグナが声を荒げたので振り返ると、困ったように俺を見て、イライラとした様子で両手で頭を掻いた。


「大丈夫か?」


「うまく話せない! 言いたいのに!」


 そう叫ぶと、かなりもどかしかったのだろう。ラコ語らしき言葉で何かまくしたてていた。


 ひとしきり何か喋ったあと、レグナはふてくされた顔をしていた。かける言葉に迷っていると、俺らの後ろにいたニカが片手を上げた。


「あの、話に入ってすみません。あの二人を引き取るってお兄ちゃんが言ったんですか?」


 ニカが眉をひそめて言う。


「うん。さっき君のお兄さんから……」


「まぁた勝手に決めたんですね!!」


 俺の言葉を遮り、突然叫んだニカに驚いて、体が跳ねた。ニカは、首を左右に振ったかと思うと、興奮した様子で言った。


「いえ、いいんですけど! あの二人を引き取ること自体には反対しませんが……でも、もう! 本当にどうして私にも相談してくれないんだろう!! 信じられない!!」


「ま、まあまあ……」


 俺がなだめると、ニカは何か言いかけたまま一瞬固まった。そして、すぐに口を閉じると、乱れた呼吸を整えていた。事情は知らないが、この子はこれまで兄の事で苦労してきたということだけは、なんとなく分かる。


「セト、ニカの言うとおり。二人に聞いてから考えよう」


 レグナの言葉に違和感があり、一瞬視線が泳いだ。ニカが話したのは自分の家庭の事情だけだったように思うから、言うとおり、というのが何を指しているのか分からなかった。


「言うとおりって?」


 レグナはすぐに口を開いたが、みるみる表情が強張り、再び悔しそうにラコ語らしき言葉を発して、大きくため息をついた。それを見て、言葉が分からないことが申し訳なくなった。


「ごめん……、でも、うん。二人に聞いてから考えるよ」


*****


 カイコとミツバチはクーシュクッキーという四角い焼き菓子のようなものをねだった。大きさは縦10センチ、横5センチくらい。パンケーキのような見た目。カイコ曰く、これがクッキーらしい。確かにクッキーとは書いてあるが、思っていたのと違う。


 俺やレグナ、ニカもそれを買って食べたが、思ったよりも硬めの生地で、食べた瞬間はクッキーに近い食感だった。全体に塩が振ってあり、口の中に入れた瞬間はしょっぱく、あとから生地のほんのりとした甘みがくる、不思議な食べ物だった。


 みんなで歩きながらクーシュクッキーを食べていると、レグナが横に並んで、俺と軽く肩をぶつけた。


「なんだよ?」


「話、しないの?」


 レグナに言われて、つい顔をしかめてしまった。


「するけど……いつすればいいのか迷ってて……」


「じゃあ今! カイコ、ミツバチ!」


 レグナが名前を呼ぶと、目の前を歩いていた二人が立ち止まった。と、思ったが、ミツバチしかいない。


「あれ? カイコは?」


 ミツバチが慌てた様子で辺りを見渡す。


「え、さっきまで隣に……」


 ミツバチの言葉を聞いて、レグナ、ニカが慌てて名前を呼んだ。俺も名前を呼びながら辺りを探した。すると、5メートルほど背後で、食べかけのクーシュクッキーを握りしめながら、絵画を見上げているカイコの姿が見えた。


「いたいた! あそこだ」


 良かった。ホッと胸を撫で下ろす。どうやら、絵画を売っている露店のようだ。自分で描いたのかテイストの似た絵画が数点展示してある。カイコは絵を描くのが好きなようなので、つい目を奪われたのだろう。


 人混みを掻き分けながら、カイコの元に行こうとすると、ふとカイコの背後に男が立っているのに気がついた。黒い中折れ帽を被り、黒いケープを着ている。その男は立ち止まって、カイコの姿をジッと見ていた。


 嫌な予感がした。


「カイコ!!」


 駆け寄りたいのに、人が多くて思ったように近づけない。カイコが驚いてこちらを見る。


 その時、男が動いた。男はカイコに片手を伸ばすと、カイコの外套を鷲掴みにした。カイコは掴まれた勢いからか、首根っこを掴まれた子犬みたいに手足を投げ出すと、クッキーが手を離れて地面に落ちた。


 男はそのまま、カイコを片手にぶら下げたまま、するすると人混みをすり抜けていった。血の気が引き、全身に鳥肌が立つ。


 カイコがさらわれた。見失う。早く助けないと。


 どんどん距離が離れていく。


「人さらいだ!! おい、ちょ、ちょっと待て!! くそ、どけよ!!」


 近くの人を押しのけながら、俺も走った。だが追いつけない。男の姿が小さくなっていく。後ろからレグナやニカの声がしていた気がしたがすぐに聞こえなくなる。次第に周りの音すら聞こえなくなっていった。


「なんなんだよ!! なんで……!!」


 その時、前を横切った人と思い切りぶつかり、地面を転がった。体を強く打ったせいか、息が詰まった。


「セトさん!!」


 ニカが駆け寄ってきた。だが、話をする余裕はない。俺は慌てて男の姿をもう一度探した。だが、再び見つけた時には、もうかなり距離が開いていた。


「ニーは!?」


「あそこだ! 黒い帽子の……!!」


 ニカの言葉に、男を指差す。ニカはそちらを見るとすぐに両手を地面についた。


「レグナさん、頼みましたからね!」


 ニカが叫ぶ。気がつくと、ニカのすぐ後ろに弓を構えたレグナが立っていた。こんな人混みの中であの男を狙う?


 無茶だ。


 その時だった。ニカの首元が緑色に光り輝き、ニカの目の前から、次々に水柱が噴き上がり、男の背後に迫っていった。


 人々は噴き上がる水柱に弾かれ、驚き、道を空ける。水柱は最後に男の目の前に飛び出した。男の足が止まる。水柱が全て消えると、そこには一本の開けた道ができていた。


 間もなく、レグナによって放たれた矢が風を切り、道を辿り、吸い込まれるようにして、男のふくらはぎに突き刺さった。男は悲鳴を上げて、つんのめるようにして両手を地面につく。すると、カイコが男の手を離れ、地面に投げ出された。それを見て、俺は立ち上がる。


「カイコ!!」


 地面に倒れたまま動かないカイコに駆け寄り、抱き上げた。カイコは気を失っているようだったが、怪我はしていない。


 良かった。本当に。このまま会えなくなるかと思ってしまった。


「大丈夫!?」


「セト、カイコは!?」


 ニカ、レグナが後から駆け寄ってくる。


「無事だよ。大丈夫だ」


 と、俺が言うと二人はその場に座り込んで安堵のため息をついた。


 カイコの頬から泥を擦り取り、立ち上がろうとして、ハッとした。


「ミツバチは!?」


 辺りを見渡すと、ミツバチは俺らから少し距離が離れたところで突っ立っていた。


「良かった、お前もさらわれてたらどうしようかと……」


 ミツバチは真顔でこちらを見たまま何も言わない。


「どうしたの?」


 ニカが心配そうに声をかけ、ミツバチのそばに寄る。ミツバチはニカに手を引かれてゆっくりとこちらに歩いてきた。


「無事だよ」


 ミツバチにカイコを見せると、ミツバチは恐る恐るといった様子でカイコの額に手を伸ばし、前髪を顔から除けた。すると、カイコがゆっくりと目を開けた。


「……ミツバチ?」


 カイコが弱々しい声を出す。それを聞くなり、ミツバチは大粒の涙を地面に落とした。


 声も上げずに涙だけ流して、時折、鼻をすするだけの泣き方は、少し子供らしくないように感じた。


 それを見ていたら、反省と後悔が押し寄せてきた。人さらいは決して珍しいことじゃない。なのに、油断した。俺はもっと気を張っていなければいけなかった。そうすれば、二人共こんな思いをしなくて済んだのに。


「……怖い思いをさせて、ごめん」


 二人に謝ると、レグナが俺の背中に手を添えて、肩越しに二人を覗き込んだ。


 俺はカイコと一緒に、ミツバチも抱き寄せて立ち上がった。ミツバチは普段ならこういうのは嫌がるのだが、この時は何も言われなかった。


 でも、運が良かった。犯人を見ていた。ニカが魔法を使えた。レグナが弓を持っていた。これのどれかが欠けていたら、カイコを取り戻すことはできなかったかも知れない。


 いや、できなかっただろう。


 ……本当に運が良かったのだ。

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