第13話「藍色」

 俺達は準備のために、湖のそばで何日か過ごすことにした。命に関わることなので、イーラさんの体調だとか、天候なども考えなければならなかったからだ。


 馬と荷馬車も確認した。荷馬車は2輪タイプで、幌をつけることが可能だった。箱型で幅は約1メートル、奥行き2メートル半ほど。大分使い古してはあったが、イーラの話ではつい先日使ったばかりらしいので大丈夫だろう。


 馬の方は、イーラを虐待していたような男が飼っている馬、ということでそれなりに酷い状態ではないかと思ったが、思っていたよりも状態は良かった。


 俺は馬に関して素人だが、毛並みは悪くないし、痩せているようにも見えない。気性も激しくなく、空の荷馬車を牽かせて少し歩いてみたが、問題なかった。


*****


 男の家の周りで生活をしながらの準備は順調に進んだ。


 明日、再び馬に荷馬車を牽かせてみようと思っていたので、馬の様子を確認がてら、日が暮れる前に、湖の近くで散歩させていた馬にブラシがけをしていると、湖の方から声をかけられた。


「その子、名前はカナっていうのよ」


 声の方を見ると、イーラが湖岸から顔を出していた。


「……へぇ、お前、名前があったのか」


 馬の首辺りを軽く叩いて声をかけると、カナは前脚を数回踏み鳴らした。


「あんまり呼ばれてはいなかったけどね」


 イーラは小さく笑うと、気だるげに顔を傾けた。 


「名前といえば」


 地図に書いてあった名前について、聞こうとは思っていたのだが、なかなかタイミングがなくて聞けていなかった。せっかく名前の話題が出たので、話を持ち出す。


「聞こうと思っていたんですが、あの男の名前はなんていう名前ですか?」


「あいつの名前?」


 イーラは少し顔をしかめると、吐き捨てるように言った。


「……ワナキよ、確か」


「ワナキ、そうですか……」


 なら、あの地図を書いたのは別の人物か。


「なんであいつの名前なんか? いまさらどうだっていいじゃない?」


 イーラは不満げな顔で呟くと、振り返って湖の中央を見つめた。


 俺もつられて湖の中央を見る。あまり考えないようにはしていたが、湖の底にあの男の死体があると思うと、そんな湖で楽しげに泳いでいるイーラが少し怖くもある。


「……家の中で地図を見つけたんですよ。その地図に名前が書いてあったから、もしかしてって……」


「ふぅん?」


 イーラはあまり興味もなさそうにニヤリとした。少しもったいぶった様子にも見えたので、何か話があるのだと思い待っていると、彼女はゆっくり片手を顔の横まで上げて、俺を手招いた。


 濡れた髪に、細められた目。優しげに上げられた口角を見て、心臓がきゅっと縮んだような気持ちになる。


「……なんですか?」


 恐る恐るイーラのそばに行き、目の前でしゃがむと、イーラの手が俺の膝の上に乗った。


「ねぇあなた、恋人は?」


 思わぬ言葉に驚いて声が出そうになったが、変に息を吸い込んだせいか、唾が気管に入り込み、思い切り咳き込んでしまった。


「大丈夫?」


 イーラがクスクスと笑う。咳払いをしつつそれを見ていたら、心臓の鼓動がだんだんと早くなっていくのが分かった。


 俺にはまともな恋愛経験などないし、この手の質問は初めてだが、それでもこの質問の意図はなんとなく分かる。分かってしまい、顔が熱くなる。


「い、いないです」


 そう答えると、イーラは俺をじっと見つめながら、囁くように言った。


「私なんかどう? 異種族だと嫌かな?」


 予想はしていたものの、実際に聞くと羞恥が倍増した。彼女を直視できず目が泳ぐ。


「んん、ええっと……」


 困った。本当に困った。なんて言えばいいのか全く分からない。


「そんなに照れなくても」


 イーラがニヤニヤしながら俺の顔を覗き込んでくる。俺は堪えきれずに顔を背けた。あらぬ方向を見ながら、必死に言葉を探す。


 一瞬、この機会を逃したら次はないかも、などと思った。だが、すぐに思い直す。


 落ち着いて考えろ。そもそも、今はそんな場合じゃない。状況を考えれば分かる。俺は、恋だの愛だのといえる余裕があるわけでもなければ、いえる立場でもない。


「……今は、その、それどころじゃないので……」


 嬉しくないわけじゃない。彼女は美人だし、正直、こんな状況じゃなかったら、二つ返事でオッケーしていたかもしれないが、現状、最底辺の身分である俺が相手では苦労をさせるだけだろうと思えば、ブレーキをかけざるを得ない。


「俺はほら、家も仕事もないですし、連れもいるし……」


「あら、誰かや、何かのせい?」


 イーラの言葉に一瞬うろたえたものの、一呼吸置いてから気を取り直して言葉を続けた。


「いえ、……まだ、そんな余裕がないんですよ。すいません」


 イーラは、ため息をつくと不満そうに言った。


「じゃあ……もしも、それらがなかったら? 大事なのはあなたの気持ちじゃないの?」


 イーラがゆっくりと腕を組んだ。そして、こちらをまっすぐに見る。俺も彼女をまっすぐに見つめた。


 ああ、彼女、黒い瞳かと思っていたが、よく見れば藍色のキレイな瞳をしていた。その中心にある黒い瞳孔に吸い込まれそうになる。


「俺は」


「セト!」


 その時、背後から声をかけられた。突然だったので、驚きのあまり、辺りに響き渡るほど大きな悲鳴をあげて立ち上がってしまった。振り返ると、レグナが目を丸くして固まっていた。


「レ、レグナか、なんだ……びっくりした……」


 心臓が激しく脈打っているのが手を当てなくても分かる。


「ご、ごめんね」


「いや……いいんだけどさ」


 レグナは食料を探しにいってくれていた。持っている手提げのカゴの中には山菜や木の実などが入れられていた。


「えっと、何してる?」


 レグナは体を傾けると、俺の後ろを覗き込んだ。


「お話してたのよ」


 と、イーラが頬杖をついて笑う。


「お話? 邪魔、ごめんね」


「いいのよ」


 はっきりとした理由は思いつかないのだが、何を話していたのかバレたくないと思った。だから、いつイーラがレグナに話すんじゃないかと思うと、どうも居心地が悪くて、手や足を落ち着きなくフラフラと動かしてしまう。


「何話してたの?」


 レグナが首を傾げる。


「いや、別に……!」


 咄嗟に声を荒げてしまった。横目でイーラを見ると、ニヤニヤとしていた。レグナは再び驚いた顔をしている。


「あー、えーっと……」


 何か話題を変える方法はないかと思い、至るところを注視していると、レグナが手提げのカゴの他にも何か持っているのに気がついた。好機と思い、声を出し、指さした。


「レグナ、それは?」


 持っていたのは草のようだった。見た目は食べられそうな感じではない。


「あ、これ、水あるところ生えてるの。いっぱいあったから、これ集めて、イーラの場所作れる? 柔らかいよ」


 俺が聞くと、レグナはその草を広げて見せてくれた。鮮やかな黄緑色で枝は放射線状に広がっている。葉は枝に密集して生えていて、小さく、細長い。水で濡らしてきたのか、湿っているように見える。


 レグナから草を受け取り、感触を確かめる。確かに柔らかい。苔の一種だろうか。固くはないのに、水をたっぷり吸っているようでずっしりと重さを感じる。


「いいかもな。一応下には濡らした藁を敷くつもりだったけど、その上に広げれば乾きにくくなるかもしれない」


「じゃあ、出発の前に、いっぱい持ってくる」


「俺も一緒に採りにいくよ」


 レグナが微笑んで尻尾をゆらゆらと振る。なんとか誤魔化せたようだ。ホッとしているとレグナが辺りを見渡して言った。


「カイコとミツバチは?」


「ああ、二人なら……」


 俺が言いかけたその時、ちょうど森の方からカイコとミツバチが歩いてくるのが見えた。


「セトくん、道キレイにしてきたよ!」


 と、カイコが土で汚れた手を振りながら叫び、こちらに駆け寄ってくる。


 イーラを運ぶ作業にはなるべく時間をかけたくないということの他にも、安全面を重視したかった俺は、凹凸の少ないルートを探すため、何度か川まで実際に歩いてみた。


 俺一人で歩いた感じだと、どのルートもおおよそ1時間くらい。かかっても1時間半くらい。地図と睨み合いながら、気づいたことを書き込み、何度も川とこの湖を往復した。


 最終的に、運ぶルートを二通りに絞ったあと、昨日と今日で、ルートの下見をイーラ以外の全員としている。


 その後、道の整備をすることになり、カイコとミツバチがやりたいと言うので任せていた。と、いっても邪魔な枝や、荷馬車の障害になりそうな石を取り除く程度だが、それだけでもそれなりに歩きやすくはなると思う。


「明日は荷馬車で川まで行ってみるよ」


 荷馬車だと徒歩で歩くよりかは遅くなるはずだ。道もある程度、整えたとはいえ、荷馬車では小回りもきかないだろう。


「えー、明日も準備ぃ? いつ出発するの?」


 カイコが唇を尖らせて靴の先で地面を掘る。


「失敗できないだろ? 頼むよ」


「ごめんね、カイコちゃん」


 と、ほとんど同時に俺とイーラが言うと、カイコはすぐに不満そうな表情をやめて「分かった」と返事をした。ミツバチはというと、最近は終始不満そうではあるのだが、今のところ不平不満は一言も言っていないので、下手に刺激しないように放っておいている。


「二人共、道の整備、ありがとな。疲れただろ? 飯食う準備しようか」


 俺がそう言うと、カイコはぱっと目を輝かせた。


「じゃあ、火起こすね!」


 ここに来てからレグナに教わりながら、何度も火は起こしたが、俺よりもこの二人の方が早くコツを覚えてしまった。


「助かるよ。俺は苦手だからさ」


 カイコとミツバチはお互いに顔を見合わせた。かと思うと一目散に家の方に駆け出した。二人は競い合うようにして、薪を持ってくると、湖のそばで火を起こす準備を始める。


 そのままレグナに視線を移すと、レグナは目が合うなり、驚いたように目を逸らし、俯いた。その後、後ろで腕を組んだ。


「……どうした?」


 あまり見ない反応だったので聞くと、レグナは左右に首を振り、黙り込んでしまった。


 それを見ていたらなんとなく俺もその後の会話を続けにくくなって固まっていると、ズボンの裾が引っ張られる感触がした。ドキッとして、恐る恐る足元を見る。


 イーラは僅かに首を傾げると、目を細めた。


「ねぇ、さっきの話、考えておいてね」


「えっ……!」


 そう言ってニコリとすると、水中に消えた。頭の中が真っ白になって、後に残った波紋を見つめたまま動かずにいると、レグナが俺の脇腹をつついた。ハッとして、レグナを見る。


「な、何?」


「さっきの話って?」


 今度は頭の中をフル回転させて、言葉を考えた。


「……出発の日は、いつに、しようかと……」


「そっか」


 レグナは少し首を傾げていたが、納得したのかカイコとミツバチの元へと歩きだした。


 俺はレグナが離れた後、湖の方を見た。イーラの姿は見えない。


「考えておいてね、か」


 独り言を漏らして夕日を見つめる。だがすぐに気恥ずかしくなって足早に三人の元へ戻った。

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