こういうときのお弁当






 ぽつぽつ。ぽつぽつ。と、雨粒は屋根や壁や窓を打ちつけ続けているようだった。




「……雨、やまないですねぇ」


 木製の椅子――というかお粗末なベンチのようなものに腰掛けて、足をぷらぷらさせながらルリはなんとない言葉を投げかける。

「そうだな。だが長くは降らないだろう。夕食の時間までには、ちゃんと屋敷に戻れるはずだ」



 あぁ。

 ルリは、じわりと嬉しさがこみ上げてくる。

 こうして、なんでもないような言葉にきちんと応えてくれる相手がいる素晴らしさに。


 自分の隣に彼が――ラオイン・サイード・ホークショウがいる奇跡には、感謝してもしきれない。





 聖堂で『予行練習』を終えた二人は、お弁当をどこで食べようか話し合いながらあちこち散歩を続けていた。

 が、突然雨に降られてしまい、この小屋の中に避難したのだ。



 ここはルリが勝手に『秘密基地』と呼んでいるところで、高い生け垣や樹木に囲まれて外からは様子をうかがい知ることができない場所だ。

 庭園で働いている召使い人形達もあまり入ってくることは無く、ルリが見かけたことがあるのは庭師人形のガーネディゼットぐらいのものだ。それもあまり頻度は高くはなかった。

 どうやら、あの柘榴石ガーネットの色をしたたくましい人形は、ルリがこの秘密基地に居る時には、極力ここに来ないような判断をしてくれている……らしい。


 その『秘密基地』の一角にある、小屋。

 小さな部屋ぐらいのスペースがあり、窓際にはベッドも備えていることから、もともとはここの住人だった誰かが昼寝でも楽しむために作らせた。と推測できる。


 そこに、ルリはいろんなものを持ち込んでいた。

 木製のテーブルや椅子。カーテン代わりに窓にかけておく大きな布。ブランケットやタオル。角がすり切れた大小のクッション。何冊かの古びた本。刺繍用の針や糸。ちょっとしたおやつとして味の違うあめ玉がたくさん入った箱。それに、今は何も生けられていない縁の欠けた白の花瓶。


 召使い人形が踏み込むことは無く、マザーコンピューターの気配もしないこの小屋は、ルリにとってはまさに『秘密基地』だ。




「お夕飯までにきちんと戻れそうなのでしたら、このお弁当はとっておくより食べちゃいましょうか」

「そうしたほうがいいだろう。俺はともかく、ルリは育ち盛りだからな」

「もう、ラオインもちゃんと食べてくださいね。私なんかよりずっと体が大きいんですから、いっぱい栄養だって必要なはずです」


 ストールを掛けておいたおかげで、雨に濡れること無く無事だったバスケットから、今日のお弁当を取り出しながら、おもわず、口の端で微笑んでしまう。


 ……そう。今日のお弁当は特別。



 ルリは、この日のためにと図書室でお弁当に関する書籍をたくさん読み、あれやこれやと画像や動画にアクセスしてとにかく情報を集めた。

 そしてわかった。

 こういう時のお弁当というのは、豪華にすればいいというものではない。

 特別感はある程度はあってもいい。だが、むやみに高級な食材を使ったり凝った料理法をするのは、違うとわかった。

 なお、これらを調べる過程で『キャラ弁』なるものの情報も、得てはいた。

 ルリ個人としては、それも悪くはない。むしろ可愛いと思う……のだが、清貧が美徳ということが身に染みついているようなラオインならばいい顔をしないだろうと容易に予想できたので、やめておくことにした。

 実際に残っている文献やデータを見ても『キャラ弁』に対する意見は、賛否両論だったのだから。


 そうして得た情報をもとにルリは、厨房を預かる召使い人形のモルガシュヴェリエに、お弁当のメニューをリクエストしてみた。

 そして、気付いたのだが……自分でごはんのメニューを決めるというのは、ルリはいままでしたことがなかった初めての体験だったのだ。

 過去には、食事をボイコットして栄養クッキーや栄養ゼリーを食べていたこともあるので、自分で食べ物を完全に決められなかったというわけでは無い……のだ。だがしかし、その時と違って、たったの一食を自分で決めただけだというのに、ルリはなんだかすごく自由になったような気がした。



「今日のお弁当は……」


 金色の花模様が描かれた赤と黒の漆塗りの蓋を開けて、ラオインにもその中身を見せてあげる。

「鶏の唐揚げ、いっぱい作ってもらいました! それと卵焼きと、塩ゆでしただけのブロッコリーと、あとはプチトマト。これは絶対必要だと勉強しましたので! もちろんおにぎりは三角形ではなくて、たわら型なのです!」

「俺にはよくわからないが、これが『こういうときのお弁当』なのだな」

「えぇ、えぇ、そうです!」


 そう、これこそが『こういうときのお弁当』だ。


 唐揚げでは無くミニハンバーグだとか、卵焼きは甘いものかそれともだし巻きだとか、ブロッコリーではなく緑のアスパラだとか、そういう流派や技の違いはあるかもしれない。


 だが、本質的なところは同じ。


 家庭の味で。

 特別なことはしない。

 普通なこと。


 この今の伏籠家で、大昔における『普通なもの』を求めるのは、凄く難しい。しかし、ルリは頑張って『普通』ぽいお弁当の中身を勉強し、作ってもらったのだ。


「では、頂こうか。ルリは何から食べるのだ?」

「えっと、そうですね……じゃあ、プチトマトからがいいです」


 バスケットに入っていた割り箸を差し出すと、彼は不器用なことにやや左右非対称に割ってしまう。

「く…………。これは……何度かやったが、やはり難しいな……」

「ラオイン、なんでそんなところは不器用なんですか」


 ぱきっ、ときれいに割り箸を左右対称に割ってから、ルリもラオインに問いかける。

「ラオインはどれが食べたいですか?」

「では、この揚げ物を」


 そう言いながらも、彼は唐揚げではなくプチトマトを迷い無く箸でつまみ上げる。彼の箸遣いはもうかなり上達していた。

「どうぞ」

 ラオインが器用に差し出したプチトマトを、ルリは口の中におさめる。

 お弁当箱に詰める段階でヘタはとってあるので、そのまもぐもぐと食べてしまう。



「うん……うん……! やっぱりこうしてあなたに食べさせてもらうのが、一番美味しいです!」

「ふふ、そうか」




 これは――ごくごく普通の、なんでもない『こういう時のお弁当』。

 だけど、伏籠ルリにとっては、果てしない時間と思いの先にあった奇跡のような光るものだった。



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