湖の向こうに





 外は、緑色で溢れている。




 淡くやわらかな若い緑色、つややかに光る硬い緑色、ふんわり風に揺れる透き通るような緑色、力強く太陽の光を受ける濃い緑色。




 伏籠ふせご家のお屋敷から外に出た二人は、そんな様々な緑色と、それらを揺らし続ける優しい風に包まれる。




 本邸のすぐそばにある、つる薔薇が絡むのアーチをくぐり抜けて、白い石が丁寧に敷かれた庭園の道を歩きながら、ラオインが口を開いた。


「窓から見ているときも思っていたが、美しい庭だな」

「私には、庭にしては野趣溢れさせすぎている気がして。ただ、どうもこのお屋敷が作られた頃は、自然そのままの美しさが尊ばれていたようなのです」

「自然そのままの?」

「えぇ、人が手を加えるより、野にあるそのままの命こそが美しい……みたいな。そんな思想のせいなのか、ここには変てこなモノがいっぱいありますよ」



 例えば、庭園にある小さな滝や泉。

 それらはどんな季節にも美しい澄んだ水をたたえていて、その周囲には岩や流木やコケがあり、それらにかこまれて野草なんかが生えているのだが……水は常に循環濾過されて清潔さを保っている。

 つまりは、滝や泉に見せかけた、ただの水遊び施設。人工のプールだ。

 水の中に塩素などが入っていないだけまだマシなのかもしれないが……。


 例えば、そこらの森にいるリスやウサギ、それに鳥たち。他にも猛禽類などもいるし、狐や狸といった生き物もいる。ただ、さすがに狼や熊などはいない……と聞いてる。

 彼らは野生動物ではなく、皆すべて伏籠家で飼われている家畜なり家禽だ。広い敷地で放し飼いのペットのようなもの。

 ここに住まう動物たちは、みんなナノマシンを埋め込まれ、それぞれマザーコンピューターに適正な数を保つように、と管理されている。



「つまり…………いかに人工的な醜いものを自然な美しい状態に見せかけるか……。ここは、そんなものばかりなのですよ」


 ルリが苦いため息をつきながら話す。

 その時のラオインは、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、手を強めに握ってくれていた




 本当に――――本当に醜いのは、そんなお屋敷で生まれ育った『伏籠ルリ』なのだから。




「ねぇねぇ、ラオイン。あっちにはね、果樹園があるんですよ。行ってみましょう!」

「あぁ。窓からも見えていた場所だな。……仰せのままに、ルリお姫様」



 だからこそルリは、わざと明るいはしゃいだ声を出して、笑顔をつくっていかにも楽しげに、彼の手を引くのだ。






 果樹園に実っていた果物を分け合いながら食べたり、庭園で名残のあじさいを眺めたり、花畑で花冠の作り方や草笛の作り方を教え合ったりと、爽やかな陽光に包まれた午前の時間は過ぎていく。


「そろそろお昼ご飯の時間も近いですけど、まだお腹は減っていませんか?」

「あぁ、三日ぐらいは飲まず食わずでいられそうなほどに元気だ」

「ふふふふっ。それじゃ、もうひとつかふたつほど回ったら、遅めのお昼にしましょう」


 くすくす笑い合いながら二人で湖近くの道歩いていると、ラオインがふと思い出したようにつぶやいた。


「この湖の向こうにはたしか、聖堂があるのだったか。どんなところなんだ?」

「よくわからないです。多分、大昔にはここの住人にとっての心のよりどころだった……のかも知れませんが、今は聖職者さんも誰もいない場所ですね。召使い人形が定期的に点検や掃除や手入れをしているようではありますが……」


 ゆっくりと歩きながら話しているうちに、ずっと遠い昔にその聖堂の中を覗いた時の記憶を引っ張り出せた。

 そうだ……そういえば……たしかあの場所には……。


「そういえば、あそこには綺麗なステンドグラスがあるんですよ。なんというか、神様だとか信仰だとかそういうのは、私にはよくわからないのですけど……清らかな空気っていうのは、ああいうのをいうのかもって、初めて見た時に思いました」

「ステンドグラス? ……神聖な建物の窓には、高価な硝子を使うこともあると聞いているが……。しかし、お屋敷の窓すべて綺麗な硝子窓なのに、そのステンドグラスというのは特別なのかい?」


 ラオインが不思議そうな顔で湖の向こう、聖堂があるあたりを見つめている。

 どうやら、彼はステンドグラスというものをまるで見たこともなければどんなものなのかもわからない、らしい。


 ――それなら。



「それなら、見に行きましょうか。聖堂のステンドグラスを」






 二人で湖にかかった橋をゆっくりと渡り、向こう岸まで歩く。

 こうして二人であちこち歩くと、この庭園もかなり広い。

 何かしらの乗り物が欲しいが……やはりここは、見た目にこだわりたい。牧場には馬も飼育されているので、小さい馬車でも仕立てさせるのがいいだろうか。



「ラオイン、こっちが入り口です」


 森の隙間にひっそりと存在する聖堂の見た目は、それほど派手なモノでは無い。

 高い塔を三つほど持つ白亜の建物ではあるが、伏籠のお屋敷に比べれば小ぢんまりとしていっそ可愛らしいぐらい。


 ゆっくりと扉を押し開けて入っていくと、ひんやりとした澄んだ空気が肌に触れた。


 しっかり掃除された手入れされたその空間には、木製の長椅子が置かれ、かつてここで祈りを捧げたのであろう人々の名残のようなものが感じられる。



「あ。ほら、あれですよ。あのきらきらしているのがそうです、ラオイン」



 ルリが指さした先の壁には、青を基調とした数枚のステンドグラス。

 それは、きらきらと外からの光を投げかけていた。





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