「また明日」




 ストロベリーとラズベリーで組み上げられた、その美しい淡赤が口の中に滑り落ちて儚くとろけていく。


 あとに残るのは、ベリー特有のきゅんとする甘酸っぱさ。




 幸せで美味しくて、思わずほっぺたをおさえてしまう。目がとろんと下がって、口元が笑みの形になって、表情がゆるゆる。でもこれでいいのだ。


「んんーーっ……美味しいです!」

「そうか、ルリ。もう一口食べるか?」

「いえ、今度は私が食べさせてあげますよ。溶けちゃう前にラオインにも味わってほしいですし」



 お風呂上がり。


 ほかほか湯上がりの状態で、だらーんと座り心地のいいソファに並んで腰掛けて、大好きな旦那様であるラオインにシャーベットを口に運んでもらう。


 なんて――贅沢で、怠惰で、甘美で、背徳的。


 ご飯はあんなにいっぱい食べたのに、お風呂にも入って、もう眠る前だというのに、おやつにシャーベットを食べる。もとい食べさせてもらう。

 こんなことが許されたのか。と思うほど、幸せ。


 それも、食べているのは先程のディナーでは匙に一口分しか出なかった、ストロベリーとラズベリーのシャーベット。コース途中の口直しなので仕方がないのだが、さすが料理人が高性能なだけあって、後を引く美味だった。

 それを……今度は、硝子製の高台になったカップに何口分も入って、新鮮なストロベリーまで添えられているのだ。


 さすがはモルガシュヴェリエ。もちろん、もともとの性能がいいのもあるだろうが、よく学習した人工知能を持っているだけはある。




「どうぞラオイン」

 ルリが銀の匙でシャーベットを差し出すと、ラオインも一層表情を緩めた。

「うむ、いただこう」


 雪のひとひらにも似た、淡赤のシャーベットがラオインの口の中に消えてゆく。

 彼は目を閉じてゆっくりとそれを味わい、優しく微笑む。

「なるほど、美味いな。……気のせいかもしれんが、さっきよりも美味い」

「それはきっとお風呂上がりだからですよ」

「風呂上がりだから……か。熱い湯をたくさん使っての湯浴みには驚いたし、古代人のようだと思っていたが……確かに風呂はいいな。氷菓も美味いし」

 にぃっ、とまるで少年のような無邪気な笑み。

 そんな顔を彼が見せてくれたことに、おもわずきゅんとしてしまう。


 もう一口を彼の口に運びながら、ルリはふとこんな話をする。

「大昔は、お風呂の後には冷たい牛乳も定番の逸品だったそうですよ。それも、カップやグラスに入ったものではなくて、牛乳専用の硝子瓶があって、へんてこな紙製のフタがされていたそうなんです」

「紙の……フタ……牛乳に触れると濡れて溶けたりしないのか?」

「うーん、そこは私も実物は見たことないので、どうなっているのかよくわかりません。牛乳にいろんな味付けをしたものも人気が高かったそうですよ。コーヒー牛乳とか、フルーツ牛乳とか」


 二口目のシャーベットを味わってからラオインは、大きな手でルリの頭を優しくなでながらこう提案した。

「……それなら、今度は風呂上がりに冷たい牛乳もいいな。もちろん一緒に」

「ふふ、それじゃ今度用意してもらいましょうか。ラオインはどんな味のを飲んでみたいですか」

「そうだな……普通の牛乳もいいが、コーヒー牛乳なるものも気になるな。ルリはどうだ?」

「私はフルーツ牛乳がいいです。でもイチゴ牛乳というのもあるそうなので、そちらも試してみたいですね」



 あぁ。なんて贅沢な時間だろうか。


 今も充分すぎる幸せなのに、二人で先の幸せのことを話す……だなんて。

 からからのスポンジのように干からびていたモノが、急にこんなに幸福を注がれて、満たされて、あふれてしまいそうで……仮に、幸せをためておく袋があったとして、それが満杯になったらどうなるんだろうか。やはり幸せ袋は破裂してしまうのだろうか。

 それはそれでなんだか幸福なような――




「楽しみですね」

「楽しみだな」


 自分の声に、ちゃんと返事があるということさえも、幸せだった。


 いままでルリが読んできた本には、何度もこんな記述が登場した。

『人間は、一人では生きていけない』

 なら、この間までの伏籠ルリはいったい何者だったのだろうか。

 少なくとも――人間ではないなにか、だったらしい。

 ……でも、今は人間だ。

 それも、とっても幸せな人間だ。



 あぁ、大昔の人間ってずるい。

 誰かと恋をして、つがいになって、そしてこうして幸せな思いをしていたなんて。


 ……こんなに幸せだったなら、滅びたくなんてなかっただろう。


 今なら、何が何でも終末を逃れようとした伏籠家のひとびとの気持ちが、わからなくもないな、とルリはとりとめもなく思った。





 シャーベットを二人でゆっくりと食べると、もうかなり遅い時間だった。

 ルリはラオインのたくましい腕で抱えられて、大きなベッドに運ばれていく。



「さぁお姫様。もうお休みの時間だ」

「はぁい。ふふふふ……私の、王子様」



 二人でお布団に入って、ちょっとのあいだ見つめ合う。

「今日から、宜しくおねがいします」

「こちらこそ」

 そう、今日からは二人一緒に眠れるのだ。


 ……彼は、唇にゆっくりと優しいキスを降らせてくれた。


「おやすみ、ルリ」

「おやすみなさい、ラオイン。……また明日」



 おやすみ、って……なんて優しくて素敵なお別れの挨拶なんだろうか。

 優しい彼の腕の中で、彼の心音を聞いて、彼の体温を感じながら、ルリは瞳を閉じる。



 おやすみなさい、ラオイン。愛しい人。

 また明日も、一緒にたくさん幸せになりましょうね。











 鳥籠楽園。

 伏籠ルリは、その唯一の『住人』だった。

 誰に聞かせるでもない歌をうたい、人形の召使いが作った食事を詰め込み、そしてひとりぼっちで眠る。

 それは、生きている限り永遠に続く。


 あの日……満開の桜の下にぼろぼろの人形が破棄されている。そう思い込んで駆け寄るまでは、そのはずだった。



 けれど今は違う。

 彼に聞かせるために歌い、彼とともに食事をして、そして彼のぬくもりを感じながら眠る。



 それは、今日からはずっと――




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