最初の晩餐






 今夜のディナーは、コース形式。


 これなら温かい料理は温かいままに、冷たい料理なら冷たいまま、その都度運ばれてくるのできちんと味わうことが出来る。

 大きなテーブルに、これでもかと多種多様な料理を並べるのは見た目には華やかだが、すぐに冷めてしまう。なにより、あまりにたくさん出されても、二人きりなのだ。食べきれないだろう。


 なので、食堂に置かれた小さな丸テーブルを見て、ルリは心からほっとした。

 これならラオインとの距離も比較的近いし、そんなに無茶な量は出てこないはずだ。



「ラオイン、どうぞ」

「ありがとう」

 本当ならレディーファーストというものなのだろうが、ここはルリが彼の椅子を引く。

 レディーよりも怪我人が優先して座るべき。もしかしたら他では礼儀に反するのかもしれない。が、ここは伏籠家の屋敷で、そしてルリとラオインはたった二人だけの住人なのだから、これでいい。



 二人とも着席すると、ごく小さな音量でゆったりとしたピアノ音楽が流れてきた。すると、ラオインは金色の瞳を周囲に油断なくめぐらせ始める。

「裏に楽士でもいるのか?」

「違いますよ。えぇと……あらかじめこの音は保存されていてですね、それを再生しているんです。なので、人形たちがこの場で演奏してくれているわけではありませんよ。大丈夫です」


 うまく伝わったかはわからないが、とりあえず彼は納得してくれたようだ。

 ……昔は音曲が奏でられている環境、というのは宮殿や神殿といった場所だけだったと、なにかの本で読んだことがある。彼の住んでいた世界でも、それと似たようなものだったのだろうか。


 今度いろんな音楽を聞かせてみようと思いつつ、テーブルの上のお品書きを手に取る。



 ・新鮮作りたてチーズとプチトマトの一口カプレーゼ。

 ・夏野菜と雲丹うにのきらきらジュレ、和風仕立て。

 ・八種のカラフル野菜と生ハムのサラダ、レモンドレッシングで。

 ・琥珀色のビーフコンソメスープ。

 ・白身魚のソテー、じゃがいもをうろこに見立てて。

 ・ストロベリーとラズベリーのシャーベット、一匙で。

 ・牛フィレ肉のステーキ、いちじくと赤ワインのソース添え。

 ・山葡萄ジャムをはさんだマカロン。

 ・柑橘類たっぷりのフルーツティー。



 さすが、おめでたいお祝いの料理。いつもよりも品数も豊富だし、素材もいいし、手間もかかっているだろう。かなり気合が入っているのがよく分かる。



「見知らぬ食材や料理名ばかりだが、こうして読んでいると期待してしまうな」

「うふふ。楽しみですね」


 引っ越しや模様替えで動いていたので、お腹は程よく減っている。

 ピアノ曲を聞きながらおしゃべりをしていると、さっそく最初の皿が運ばれてきた。


 白い皿の上に、鮮やかな緑色のバジルソースで模様が描かれている。そこにフレッシュチーズが挟み込まれてピックが刺さったプチトマトが、可愛らしく鎮座していた。緑色と、白色と、赤色の取り合わせが目にも鮮やか。

 アミューズの皿なので一口サイズだが、充分に食欲と期待が高まるというもの。


「では」

「いただきましょうか」


 それぞれにプチトマトのピックをつまんで、ぱくっと食べてしまう。

 歯をたてると、プチトマトの濃密な甘みと酸味が弾けて、フレッシュチーズやバジルソースと混ざり合う。

 チーズは今日搾られたばかりのミルクをつかって作られた、本当に新鮮作りたてと言えるカッテージチーズ。淡白で、酸味とほのかな甘味が舌に優しい。

 そこに、庭園で育てられて光と風をたっぷり浴びたバジルのソースだ。爽やかな香りが一斉に広がって、一気に包んでいく。


 美味しい。これは、三つが調和してこその味。

 ……今の一口だけで無くなってしまったのが、本当に残念に思える。


「美味しい……」

「あぁ、美味い。チーズは、こんなにもトマトと合うんだな……」

「そうです、チーズはトマトとずっと仲良しですよ」

「あぁ、間違いなく仲良しだ」


 チーズとトマトの相性について二人で話しているうちに、一皿目は片付けられて二皿目がやってきた。


 薄く繊細できれいなカクテルグラスに入った、きらきらと宝石のようなジュレ。中にはきゅうりやパプリカなどのカラフルな夏野菜が、小さく刻まれて入っていた。上にはちょこんと雲丹うにが添えられている。


 ラオインはどうやら、雲丹うにを食べたことも見たこともない、らしい。鮮やかなオレンジ色をしたそれが、本来はとげとげした黒い殻に包まれて海にいるものなのだと教えると驚いていた。今度海洋生物図鑑でも見せてみよう。伏籠邸で出される雲丹は邸内での養殖モノなのだが、その様子を見に行くのもいいだろう。

 ……またしても、やりたいことが増えてしまったことを嬉しく思いつつ、ルリはぷるぷるのジュレをスプーンで口に運ぶ。


 感じられたのは、旨味がたっぷりの昆布のお出汁だ。お品書きに和風仕立て、とわざわざ書いてあったのはこれのことらしい。

 なめらかで優しい旨味の中で、野菜のしゃきしゃき感がまた嬉しい。

 そして雲丹だ。ジュレと一緒にすくって食べると、味わいが変わる。独特のとろりとした甘みと塩気を持つ雲丹が、昆布出汁のジュレと組み合わせることで強力な存在感とみずみずしさを放つ。


「これは……間違いなく、初めて食べるぞ……」

「雲丹、お口に合いましたか。お米と食べるのもいいですよ」

「……米、か」

 ラオインはテーブルを見つめて、切なそうに呟いた。

 そこには、編みカゴに盛られた焼きたてパンがある。いかにもふんわりとして、やわらかそうで美味しそうなパン。

 だがしかし、そこにお米の姿はない。


 ……そう、今日は、お米は、用意されてはいない。



「ほらほら。そんなに落ち込まないでください。雲丹とご飯は、また今度お願いすればいいんですから。早くしないと次のお皿が来ますよ」

「……そうだな」

 今回は実行できないが、なんにせよ彼がここの食に興味を持ってくれているのはとても喜ばしい。

 必ず、雲丹をたっぷりのせた丼を一緒に食べよう。その時はもちろん酢飯だし、おろしわさびだって添えるし、大葉も、刻み海苔だって載せるのだ。

 それはきっと……すごく美味しいだろう。




「次はサラダですね、ラオイン」

「レモンドレッシングというのは、まだ味わったことがないな」

 おしゃべりをしながら、次の料理を楽しく待つ。

 わくわくして、心が浮き立つ。



 今夜は、いつもよりも豪華な食事であることは間違いない。

 けれど――二人で食べているという『スパイス』は、こんなにも素敵なことだったのだ。



 ルリはゆっくりと、運ばれてくる料理を味わい噛みしめる。



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