降り注ぐ薄紅の中で








 ふわり……と、どこかぬくもりのある風を感じた。

 次いで耳のすぐ傍で、小鳥にも似た耳に心地よい美しい声がする。




「こんなになるまで…………酷すぎます……」




 あぁ、そうだな。まったく、我ながら本当に酷い扱いを受けたものだ。


 長く続いた戦をようやくの思いで和睦に持ち込んだ、その労を国王陛下にねぎらっていただけると思いきや、反逆者という濡れ衣を着せられて。

 矢傷を負いながらもどうにか逃げるも、ひどい雨の山中を兵士達にさんざん追い回されて。

 自分の人生を後悔しながら、みっともなく泥の中に倒れ込んで……それから。



 ……それから、あの巨大な腕、が……?



 ラオインがそれらを思い出すと同時に、全身に鋭い痛みが走る。


「うっ……ぐぅぅ……っぁ……うあぁ…………」

「……い……痛いの……? な、なんで……なんでですか……?」

 苦悶の声に応えたのは、さっきの声。か細く、不安と困惑が混じっているが美しい声だ。


 なんで痛いかって、そりゃあこんな傷を負ってるからに、決まって、いる……。

 そんなことを考えながら、矢傷による激痛で息も絶え絶えの状態でラオインは薄く瞳を開けた。



「「あ……」」



 そこにいたのは、まだ年若い……女性。というよりは幼い少女。

 傷一つ無い陶磁器のような、白くなめらかでつややかな肌。

 やわらかそうな、風にふわりとなびく真っ直ぐな豊かな黒髪。

 いかにも重たそうなたくさんのまつげに縁取られた、湖面のように青く澄んだ瞳。

 そんな少女が、はらりはらりと薄紅の花びらが降り注ぐ中、ラオインをじいっと見つめていたのだ。



「……痛いの、ですか?」

「そりゃあ、痛いさ。…………泣きたいぐらいに」

 彼女に問いかけられて、思わず心の底からの本音で応えてしまう。つい口に出してしまってから、こんな無垢な少女に情けない様を見せてしまっていることをほんの少し恥じたが、もう構うこともない。どうせラオインはもう英雄でもなければ、黒鷹将軍ではない。ついでにいえば、このまま死ぬのだろう身の上だ。


 しかし、今度は少女のほうが泣きそうな顔になってしまう。


 そして、見たことのないデザインをしているものの、あきらかに丁寧なつくりで上質な生地で出来ているとわかる白いドレスの裾から、飾りリボンをむしり取った。

「あの、これを……」

 少女は飾りリボンをほどいて、それをラオインの腕に巻いた。即席の包帯ということなのだろう。

 何の役にも立たない。けれど、ただ、その心遣いが嬉しい。彼女の優しさが今は嬉しい。



 背には、巨大な樹木。

 はらりひらりと降り注ぐ、美しい薄紅の花びら。

 ぽかぽか温かな優しい光。

 ひゅうるりひゅぅうと柔らかに吹き抜ける風。

 そして……目の前には綺麗なドレスを纏った美しい少女。



 さっきまで冷たい雨に打たれ倒れていたのに、今はこんな、美しい花が降る場所で座っている。

 一体どういうことなのか。

 夢でも見ているのだろうか。

 あるいは、もうラオインは亡くなっていて…………天の国、いと高きところ、湖の向こうの理想郷、神々の館、そう呼ばれるようなところに来てしまったのか。


 どっちにしても、この酷い傷の痛みはそのままだとは。死後の世界というのも、そうそう甘くはないということだろうか。

 けれど、そんなものだと思う。

 それにラオインが今まで生きてきた世界よりは、どこだって良いところだろう。


「ありがとう」

 この少女がままごと遊びの延長のようなものだとしても、傷の手当てをしてくれる意思を示してくれたこと自体が嬉しかった。

 だから、ラオインは礼を言う。

 ……誰かに好かれたいから友好を示す、とかそういうことなしにこんなことを言えたのは、ずいぶんと久しい気がした。

「……!」

 少女は、澄んだ青い瞳を驚きでいっぱいに見開いた。


「どうして……」

 少女は、美しい声をわななかせて「どうして」を繰り返す。


「どうして、お礼なんか言うんですか……。あなたには、心があるとでも言うんですか、あなたの『人工知能』は、そんなにも学習が進んだものなんですか、あなたは、あなたは、自分に人間の心なんてものがあると思い込んでるんですか。どうして、あなたは温かいんですか。どうしてあなたは……そんなにも……人間らしいのですかっ……!?」


 わけのわからないことを、絞り出すような悲痛な声で少女はわめきたてた。


「お願い…………そんなに人間らしくしないでください……お願いです…………」


 彼女は、人形のような美しい顔を歪めて泣き始める。

 その泣き声でさえも、まるで小鳥の歌声のような趣があるのが痛々しく一層美しい。


「えぇ、そうです……私は一人ぼっちなんです……そんなことはわかっていますから、こんなことをしないでください…………お願いです、お願いです……」

 さめざめと泣く少女の頬に、ラオインは思わず血まみれの指先を伸ばす。体を動かすと文字通り肉が裂ける鋭い痛みが走る。それでも、そうしなくてはいけなかった。痛い。痛い。痛い。けれど。これは言わなくてはいけない。




「その願いは、聞けない。だって……俺は、人間、なんだから……」

「……え」



 ぐら、り。

 体が傾いだ。

 ……どうやら……押し寄せる痛みがラオインの限界点を超えてしまったらしい。

 とうとう、体を支えていられなくなる。


 ラオインは、自分の頭の中がしだいに真っ白に残酷に塗りつぶされるような、そんな感覚を味わっていた。


 これが、死だろうか。

 死後の世界でまた落命するというのもおかしな話だが、これが、本物の死というものなのだろうか。





 死ねない。

 死ねない。

 死ねない。




 ……俺はまだ、生きたい。





 真っ白な世界で、ラオインはただそれだけを考えて…………そして、それさえも残酷な白色に塗りつぶされて、意識を失ってしまう。





 けれど。


 その直前、あの少女の叫びが聞こえた気がした。

「……起きて……お願い起きて『お人形さん』……!」


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