第3話 文化祭の準備

 放課後、文化祭に向けての準備が始まった。

 うちのクラスは縁日を模した模擬店をすることになり、クラスの皆はそれぞれの仕事を割り振られた。

 俺たち運動部は近くの農協にダンボールと発泡スチロールをもらいに行ったり、ガムテープや絵の具を大量に購入したりした。

 技術部の奴らは教室の長さを測ったり設計図を引いたり電気の配線をしていて、いつもは目立たない奴らだったけどそのマニアックともいえる仕事ぶりにクラス中の誰もが感心していた。美術部の奴らはハリボテのデザインを考えたり美術指導をしながら、美術部としての作品も完成させなければならないようで多忙を極めているようだったし、家庭科部は生徒会と食品衛生の相談をしたりメニューの試作をしていた。ブラスバンド部や軽音部、演劇部なんかは授業以外の時間を全て練習に費やしているようで、時たまクラスに戻ってきては準備を手伝ってくれていた。

 火曜日、水曜日、木曜日と、日を追うごとに教室の後ろ半分は文化祭用の器材でいっぱいになっていった。

 朝は部活があって、昼は授業を受け、放課後になると文化祭の準備で、毎日まるで引っ越しのように忙しかったけれど、誰もがそれぞれ得意分野での仕事を楽しんでいて、クラスの士気は徐々に高まっているようだった。俺はそんなみんなの姿を見るのがなんだか好きだった。

 そしてあっという間に文化祭前日の放課後になった。

 今日は1年で唯一学校での泊まりこむことが許される。ハリボテや照明をとりつけたり、教室の準備を夜まで行ってもいいことになっている。俺も家からキャンプ用の寝袋を持ってきた。

 もうすでに外はすっかり暗くなっていて、吹奏楽部の楽器の音も鳴り止んだ。代わりに秋の虫の声が校庭から聞こえていた。

 ふと時計塔から重低音の鐘の音が聞こえてきて、部活終了の午後7時になったことを知った。

 カッターナイフで段ボールを切る作業をしていたら、能登が「なぁ直孝、これってどこのやつだっけ?」と塗装を終えた段ボールの柱を持って訊いてきた。

「あっちのかき氷の屋台のとこじゃないか?」

「うーい、サンキュー」

 あの昼休みの話があった以降も、能登は俺に態度を変えることなく接してくれていた。

 やっぱりいいやつだ。

「ところでさ、直孝、お前知ってるか? 七不思議の話」

 柱を置いて戻ってきた能登が言った。

 俺は自分で言うのもなんだが噂話の類に疎い。

「何それ? よくある学校の七不思議みたいなやつ?」

「そうそう、うちにもあるらしいぜ、七不思議が」

「へぇ、そうなんだ」

 と言いつつ、あまり興味は無かった。七不思議なんて小学校によくある噂話だ。

「それでな、そのうちの1つがな、今夜に関係してるんだ」

「というと?」

「文化祭の前夜には……妖怪が出るって話らしいぜ」

 そこまで聞いて、あまりの幼稚っぽさに吹き出してしまった。

「妖怪ってお前、ははは」

「おい笑うなって。ま、でも確かにいかにも小学生が考え付きそうな話なんだよなぁ」

 どんな妖怪が出没するのかを尋ねる前に、能登は夜店の仕上げをしている女子から「能登ぉ、そこのガムテープでこれ止めてくれない?」と呼ばれ、「りょー」と立ち上がって行ってしまった。

 俺はカッターナイフの刃をしまって教室の中を見回した。赤い提灯のついた屋台に紅白の幕やしめ縄飾りがあり、お祭りの雰囲気がかなり出ててきていて、完成に近づいていた。

 我ながらなかなかいい出来栄だ。

 部活を終えた美咲たちが教室に返ってきて「おつかれー! おーすごい、めっちゃ出来上がってるじゃん!」と嬉しげだった。

「よし、一回テストでライトをつけてみよう」

 技術部のやつが言った。

 教室の電気を消すと教室は真っ暗になった。そして、ぱちっという音とともに提灯や白熱灯のキラキラとした温かな明かりが教室を包んだ。

「わーきれい!」

「すごい! ちょ~お祭りっぽいじゃん!」

 祭囃子のBGMを流すと、なんだかもう自分が教室にいることが嘘みたいで、妙に現実味がなかった。それぐらい、幻想的だった。

「よし、明日に向けてもうひと踏ん張りだ」

 という一言で、皆はそれぞれ作業に戻っていったが、俺はその場で動けずにいた。

 教室の様子に圧巻された。初めて感じるこの気持ちは、なんて言えばしっくりくるのかよくわからない。達成感のような、幸福感のような。

 教室の隅で椅子に座り、皆が白熱灯の光の中で作業しているのをしばしぼーっと眺めた。なんだかとても、この空間が、すごく愛おしくて、でも次の瞬間、今夜でこの文化祭の準備が終わってしまうことが悲しくなった。

 今ここで時間が止まってしまえばいいのにと、心から思った。

「なーにサボってんの?」

 声をかけられて隣を見ると、美咲が立っていた。

「なんだよ、別にいいだろ」

「ふふん、いいけどね」

 俺の心情を読み取ったかのように不敵に笑う美咲の顔は、照明の光を浴びていて、いつもより可愛く見えた。

「ちょっくら自販機でジュースでも買ってくるわ」

 俺はドギマギする気持ちをごまかすために、その場を離れることにした。

 ところが、美咲は教室を出ていこうとする俺の制服の裾を引っ張って止めた。

「ちょっと待って」

 ふりかえると、その顔は少し深刻そうに俯いていた。

「どうした?」

「あ……えっと。オレンジジュース買ってきて?」

「なんだよパシリかよ」

 ほっとした俺がつっこむと、美咲は少し笑った。

「まぁいいぜ、じゃあ行ってくる」

 しかし俺が再び歩き出そうとすると、また裾を引っ張られた。

「やっぱちょっと待って」

「今度はなんだ?」

 そう尋ねたけれど、美咲はすぐには答えなかった。

「……あのね、また後で話あるんだけど。その、どこかで」

 俯きながら言うその"どこか"というのはおそらく"人気の少ないところで"ということであることは、いくら鈍い俺でも察した。

「何だよそんな改まって」

 できるだけ深刻な顔にならないように軽い口調言ったが、美咲は愛想笑いを浮かべただけだった。

「わかった、帰ってきてからでいいか?」

 別に今すぐ話を聞いたらよかったんだろうけど、俺にも心の準備というものをさせてほしかった。

「うん、全然大丈夫、いってらっしゃい」

 手を振る美咲に短く手を挙げて応えると、教室を出て食堂の隣にある自販機に向かった。

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