第29話 ネゴシエーション①
俺がイユさんの生家に着くと、そこは酷く様変わりしていた。
あちこちに巨大な蜘蛛の巣でも張ったかのように放射状の網が張られ、そしてその尽くが斬り刻まれており、森の木々が何本も切り倒され、まるで巨大なカマでも振り回したかのような有り様だ。
ただ、イユさんの生家だけは、昨晩と同じ状態で、特に傷が入っているようには見えなかった。
その理由は、恐らく。
「よく来たなあ。勇者のお兄ちゃんよぉ」
家の屋根の上で胡坐をかく、カマキリの魔族の仕業だろう。
彼は想像よりは、人間に近い見た目をしていた。
目は二つで、鼻があって口があって耳があって、体型も人間と似ている。
ただ、その眼は昆虫のような複眼で、額には触覚があり、二本の腕とは別に、手の代わりに鎌が付いた一対の腕が生えている。
なるほど、カマキリだな。
そして服装はブラウンとオレンジのボーダーの袖のないコート、そして革のパンツを穿いている。
袖がないのは腕の数が多いからか?
そしてそいつの背後には、腕を組んだカブトムシの魔族と、女のカナブンの魔族が立っており、彼らの足元にはイユさんが倒れこんでいるのが見えた。
反応がない、気絶しているのか。
――イユさん。
俺は、カマキリの魔族をキッと睨みつける。
「おお、おっかない顔だなあ。ギャハハ!」
「ぜーひゅー……。ぜーひゅー……」
「
「ぜーひゅー……。ぜーひゅー……」
「魔王軍の王たる魔王、その下に仕える魔王軍の幹部、そしてその下の幹部の副官。……つまり、もう少しで俺は魔王軍の幹部――」
「ぜーひゅー……。ぜーひゅー……」
「って!! さっきから呼吸荒いんだよお前!! 何してんだ!!」
俺が息を整えていると、エコーがそんなことを言いだした。
「し……仕方ねえだろ……、はぁはぁ……。ベイリーズからここまで1時間ちょいぶっ通しで走ってきたんだぞ。15キロはあったのに。息ぐらい荒れるっつーの……」
マジでキツイ!
本来なら馬に乗って来るべきなんだろうが、俺一人じゃ馬に乗れないしな。
だから仕方なく走ってきたのだ、15キロの道のりを。
おまけにイユさんの生家は山の中だ。
15キロのマラソンの後に山登りとか、マジで死ぬわ。
道のりだって舗装されたわけでもないから走りにくいし。
「お前……待ち合わせ場所が遠いんだよ。馬鹿か? 交通の便も考えろよ……ハァハァ。待ち合わせ場所を考える時は相手の立場も考えろって学校で教わんなかったか? フー、フー……」
「こ、この状況で俺を相手に説教をかますとは。なかなかのメンタルしてんな」
そんな雑談をしながら、俺は震える手で懐から一本の小瓶を取り出した。
ベイリーズの街を出る際に駆ってきた中級ポーションだ。
俺はその瓶の中身を一息に呷る。
「……ぷはー!! 一気に体力戻った!!」
中級のポーションは初めて飲んだが、すげえな。
一本 飲んだだけで疲労感が吹っ飛んだ。
ここに来る途中にも2本、初級ポーションは飲んだのだが、初級だとここまで綺麗に疲労は取れなかった。
それでも初級のポーションを飲むだけで、乳酸ではち切れそうだった脚がすぐに回復した。もし、このポーションが俺達の世界にあれば、フルマラソンの世界記録が1時間は短縮できるだろう。
異世界のポーションすげえなマジで。
ポーションが無ければ、俺がここに来るまで倍の時間が掛かっただろう。
鍛えてるとは言え、この距離はきつかったからな。
俺は飲み干したポーションの空き瓶を懐にしまった。
中級以上のポーションの空き瓶を返すと幾らか金が貰えるらしいのだ。
なんでも中級以上のポーション瓶には劣化を防ぐために内容物を保護するエンチャントが掛けられているらしく、そのため瓶そのものにも価値があるそうなのだ。
アイテム屋のおっちゃんにそう言われた。
「さて、これで問題ねえ。カッコつけさせてもらうぜ。……イユさんを返せ」
「そのポーションを5分前に飲んでりゃあ、サマになったセリフだな」
カマキリ男――エコーは口の端を持ち上げるようにして笑い、それに対して俺はスーツのネクタイを締め直す。
そう、俺は既に固有魔法を発動させ、スーツ姿になっている。
スーツではあるが、戦うための魔法衣であるだけあって動きやすいし、魔法で作られたものであるため汚れても気にならないのだ。
「なんだ、お前? スーツで戦いに来たのかよ。どういうセンスしてんだぁ?」
「はあ? スーツはカッコいいだろうが。文句あんのか?」
「スーツ自体はどうでも良いがよぉ。アラクノイドからの定期報告だと、お前は働かずに毎日遊んでるってあったぜ。そんな お前がスーツって、笑えるじゃねえか」
「分かってねえなあ。働くためのスーツなんざ単なる作業着だ。だが俺は違う。格好いいからスーツを着てる。仕事のためにスーツを着るような
「お、おお。聞いてた通りマジでメンタル強いな、お前」
ふざけた話をしながらも、俺は脳を回転させる。
――定期報告と言ったな。
やっぱりイユさんは、こいつらに定期的な連絡をしていたのか。
その中で俺の話はどこまでしたんだ。
お兄ちゃん、って呼ばれてるってことは、俺が勇者の兄であることは知ってるんだろうな。
だからこそ、俺を狙ったんだろうし。
俺の能力については、どこまで喋ってるんだ?
俺のスーツが魔法衣だということは、知られているのか?
それ次第でイユさんの救出の難易度は大きく変化する。
「ま、いいや。そんでよぉ、お前アラクノイドの女を助けに来たんだろ?」
「ああ、そうだよ」
「お前、自分がこいつに売られかけたのは知ってんのかよ?」
「知ってるよ。知らねえわけねえだろ」
「ぎゃははは!! 知ってて来たのかよ。かっけえな、お前!! なあ、お前らもそう思うだろ!?」
エコーはそう言って背後の仲間たちに笑いかけ、カブトムシもカナブンもケタケタと嗤っていた。
適当に馬鹿笑いしてろ。
油断されてる方がやりやすい。
「おい、アラクノイドを引き起こせ。アイツに見えるようにな」
エコーの言葉を受け、カブトムシがイユさんの頭を引っ掴んで、無理やり引き起こした。
彼女の身体には、大小無数の傷があった。
太ももには切り傷、左腹部に青あざ、額が切れて血が流れており、左上腕は骨折しているらしく前腕部が赤く腫れあがり、指は何本の折れたり腫れ上がったりしていた。
加えて、この場の様子を見ても分かる。
イユさんは、彼らと戦って敗れたのだ。
「こいつよぉ、祖母ちゃんを助けてえって言って、これまで俺にヒューマン英雄王国の情報とか送り続けてくれてたんだけどよぉ。……もう辞めるとか言い出したんだよ。その上、ケジメをつけるとか何とか言って、俺らに喧嘩吹っ掛けてきたんだわ。勝てねえの分かってたろうによぉ」
――そうか。
やっぱりそうか。
彼女は、過去の罪の清算に来たのだ。
自分の行いを改めるために――負けると分かっていて、死ぬかもしれないことを理解してここにやってきたのだ。
……やばい、シリアス展開じゃん。
マジな奴じゃん。
俺の苦手な奴じゃん。
「すみません、シリアスなのが続くのちょっとだけふざけて良いですか?」
「はぁ?」
「男性ホルモン受信中!!!!! ……あっ、はい。大丈夫です」
「えっ!? いまの何!?」
ちょっとだけ気分が落ち着いた。
よっしゃ。シリアス君、戻ってきていいぞ。
「はい、じゃあまたシリアスな話してもらっていいですよ」
「しにくいわ!! この空気感なんなんだよ!!」
カマキリ野郎も意外と良いツッコミするじゃん。
と、そのタイミングで。
「……っう、あ!?」
イユさんは目を覚ましたのか、何度か瞬きをして、――俺と目が合った。
「……まさか、桃吾!?」
「てへ! 来ちゃった☆」
「ふ、ふざけとる場合ちゃうやろ!! 何で来たんや!!」
「しゃあないでしょ、イユさんほっとけないし。いやマジで気乗りしなかったのに頑張って来たんスよ俺ぁ。もっと褒められて良いんじゃない?」
「お前はッ!! 分かってたやろ!! ウチはお前らの敵やッ!! 人間を裏切った!!」
「そっすね」
「何をそんなに軽いテンションで――」
「もう良いですよ、イユさん。そういうのは」
頭を掻きながら俺がそう言うと、彼女は呆気に取られた様子だった。
「……は?」
「貴方がそういうこと言うのは予想してましたよ。悪ぶっちゃってねぇまあ。でも、そういうのもう良いです。イユさんが自分のことをどう言おうが、俺にとってのイユさんはただのおばあちゃん子でツッコミ上手な友達ですよ」
「桃吾……!」
「じゃ、そういうわけで。イユさん返してもらっていいですか?」
「――返してハイさようなら、とはいかねえぞ?」
「そらそうだろ。俺とイユさんで交換だろうが」
こいつらの目的は勇者だ。
そして勇者の餌にするなら、勇者の実兄である俺の方が適任だ。
「だから俺を呼んだんだろ? イユさんが俺を売るのを拒んだってことは、イユさんにとって俺は見捨てることができないくらいには情が湧いたってことだ。それはつまり、俺だってイユさんに情が湧いてる。それくらいの関係性にはなってるってことだ。……なら逆にイユさんを餌にすれば、俺が釣れる。そしたら今度は俺を餌にして翠を釣ればいい。ははは、漁業みたいですね」
「……そこまで分かってて、良くここまで来たなァ。お前」
「そこまで分かってるから来たんですよ。イユさんを生かして解放してくれるなら、俺は大人しくアンタらの餌になります。だが、彼女をそれ以上 傷つけたら、俺は舌を噛み切ってでも自害する。……餌は活きが良いほうが良いだろ? 死んだ餌は餌にならん」
「ぎゃはは!! お前、気合入った生き方してんな!!」
気合なんかねえよ。
正直マジで怖え。
どうしよう、ちょっとおしっこ漏れそうなんだが?
いまはマジでカッコつけてるだけだ。
大丈夫だ、今の俺はカッコいい。
カッコいい俺なら頑張れる。
頑張れ、俺!
「そうだな、じゃアラクノイドは解放してやるよ。――代わりに、
冷たい声音で、エコーはそう告げた。
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