二話 鐘が鳴り1日が始まる

「⋯⋯朝か」


 長椅子の背もたれに寄りかかり、船を漕いでいた青年が目を醒ます。

 梳かせば艶がありそうな黒髪は寝癖であちこち跳ねており、実年齢よりも若く見られがちな童顔が青年というより少年のような印象を与えていた。

 ぐーっと背伸びをするとビキバキと背骨が音を鳴らす。

 埃が積もった窓辺から朝日が差し込み、鐘を鳴らしている大時計塔が見えた。


「久しぶりに見たな、あの頃の夢」


 覚醒しない頭で夢の景色を思い返す、九死に一生を得たあの体験は、青年に癒しがたい痛みを今も齎していた。


「⋯⋯いつまで引きずってるんだよ、俺」


 自嘲しながら青年は机の上の几帳面な文体で書かれた注文書を読み返した。


[聖堂に奉納する祭事用の香油、百瓶を生誕祭当日の正午の鐘が鳴るまでに準備されたし。

 マグノリア 市街騎士団長 リノ・クラネス]


「相変わらず、人使いが荒い騎士団長様だな⋯⋯」

 

 この手紙が青年の元に届けられたのは一週間前の話。摘んできた花から作られた香油の瓶から独特の匂いが漂っている。

 伝承によると聖女は自身のシンボルにもなった、テロルの花の香りがお気に入りだったと伝わっている。聖女が祀られている教会に、生誕祭の時期はこの花から作られた香油を奉納することがしきたりとなっていた。


「これでよしっと。なんとか納期には間に合いそうか」


 注文の品の出来栄えを確認した青年は、納品に行く前に腹ごしらえをすることにした。

 手早く身支度をして、店の外に出ると祭りを控えて浮かれる街の様子を見やりつつ、馴染みの酒場へと足を向ける。店先の屋根から吊るされた「雑貨屋 キーリ」と書かれた看板が、風に揺られてキィキィと音を立てていた。


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


「シスター見習いが行方不明?」


 中央街区にある精霊教会が所有する聖堂の一室。朝早くから呼びつけられた市街騎士団の団長、リノ・クラネスは怪訝な表情で司祭に聞き返した。


「そうなのだよ。つい一週間前に聖地グリグエルから異動で来た見習いなんだがね? どうやら昨日の夜間に聖堂を抜け出したようでね。今も足取りが掴めんのだ」


 そう話す司祭は顎から生えた三角形の髭を手で掬うようになぞる。室内には清貧を心がける聖職者の部屋とは思えない高級な調度品が数多く置かれており、貴族の部屋かと見紛うような印象を与えていた。


「そういう訳で至急、脱走したシスターの保護を頼みたいのだがね? 引き受けていただけるかな? クラネス団長殿? 」


「⋯⋯グレゴリオ司祭。お言葉ですが生誕祭を控えたこの時期に、騎士団員は街の警備で手一杯です。街を見回るついでで良ければ捜索させていただき……」


 クラネスの返答を遮るかのようにガンッと執務机を叩いたグレゴリオ司祭は、その細身の身体からは想像もつかない剣幕でクラネスを威圧する。


「出来る、出来ないを聞いているのではない。勘違いしているようだがこれは教会からの正式な捜索依頼だ。⋯⋯教会にも君たちのような聖十字騎士団を抱えているからねぇ? その気になれば市街騎士団なんぞ、いつでも取り潰せることを肝に命じてくれたまえよ?」


 あまりにも一方的な物言いにクラネスは眉間に皺を寄せるが、なんとか平静を保ち切る。


「⋯⋯了解しました。最優先で捜索に当たらせていただきます。⋯⋯そのシスターに何か特徴は?」


「知らんね。面倒見役のシスターにでも聞いてくれたまえ。⋯⋯そうそう生誕祭が始まる前に保護してくれ。無論そちらに取り調べの権利は無い。全て教会で処理する。では、下がりたまえ」


「はっ……失礼いたします」


 司祭の部屋を出た後、脱走したシスターの特徴を面倒見役のシスターから聞き出したクラネスはそのまま聖堂を出る。

 聖堂前の広場でも生誕祭の準備は着々と進んでいる。気の早い商人が既に屋台で商売を始めており、また広場内には聖堂からの要請で警備に当たっている騎士団員が常時十人程配備されていた。

 彼らに労いの言葉をかけ繋いであった馬に跨ると、クラネスは聖堂の方を振り返らず走り去る。


 あの生臭坊主……いつか斬る。


 心の中でだけ感情を露わにするがすぐに切り替え、クラネスはシスターの捜索に手が回りそうな騎士団員の確保をどうするか頭を悩ませるのであった。


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


「ルーゼ、いつもの頼む」


 大衆酒場の両開きの扉を開けて、席に向かいながら忙しそうに働いている幼馴染に声をかけ、青年はカウンターの適当な席に座る。

 この酒場は昼間は大衆食堂として開かれており、朝は仕事に行く前に腹ごしらえをする人達で賑わっていた。


「あら、おはようグラナ。目の下のクマ凄いことになってるけど、ちゃんと睡眠取ってるの? 」


「⋯⋯納期ギリギリの依頼があったからな、最近徹夜続きだ」


「それ危ない依頼じゃないでしょうね?」


 カウンターの奥から、パンとサラダと目玉焼き、牛乳をトレイに乗せてルーゼが出てきた。

 栗色の長い髪をバンダナで留め、自作したおしゃれなひらひらしたエプロンを身につけ働く姿は、労働の後の一杯を楽しむ客曰く、酒場に迷い込んだ天使のように見えるという。

 愛嬌のある笑顔と、意思の強そうな黒い瞳のギャップがたまらんと、酔っ払いが勢いで求婚を申し込んだこともあったらしい。


 そんな彼女のところに毎朝通い、かいがいしく世話まで焼いてもらっているグラナの存在は、酒場の常連客からしてみれば共通の敵! ⋯⋯という認識以外なかった。


 目の前にトレイを置いて手近な椅子に腰掛けると、心配そうな表情でルーゼはグラナの顔を覗き込む。

 背後から向けられる敵意と嫉妬が入り混じった視線にうんざりしつつ、パンをひと齧りしたグラナは、咀嚼し終えると不機嫌さを隠さず空を睨んでいた。


「割に合わない上に依頼主はあの団長様だ。ついでに教会の奉納品だから断ることも出来ない」


「あんたねぇ⋯⋯、騎士団を辞めたあなたに仕事振ってくれるの、あの人ぐらいなんだから少しは感謝しなさいよね? 」


 そう言われると返す言葉もない。納得できない気持ちをぐっとこらえて、グラナが牛乳のグラスに手を伸ばした時だった。

 

 酒場の壁に突如大穴が空き、シスター服を着た少女が飛び込んで来る。慌てて椅子から立ち上がり、空中で少女をキャッチしたグラナは勢いのまま床に倒れ込んだ。


 「痛っ⋯⋯。おい!? 大丈夫か!?」


 「う⋯⋯」


 少女に外傷は無さそうだが衰弱が激しい。グラナは少女を抱いたまま、ぽっかり空いた穴の向こうに視線を向ける。


 「おーや? これじゃ生きてるか死んでるかも分からないさねぇ?」


 突然の惨状に逃げ惑う人達で溢れる中、一人、鼠色のトレンチコートを纏った背の高い男が目深に被ったフードの下から、薄紅色の瞳をギョロリと覗かせていた。

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