第三十八話 結集

 上林の後ろから入ってきた克己は紙袋を手にしながら、嫌悪の表情を浮かべている小夜子を無遠慮に眺めまわす。それを遮るように散冴が声をかけた。

「小夜子さん、ちょっと席を外してくれますか」

「でも……」

 立っている二人へ小夜子が目をやる。

「大丈夫ですよ」

 散冴が浮かべた笑みを見て小夜子は立上り、頭を下げて出ていった。戸が閉まるのを見届けて、散冴は上林へ顔を向けた。

「よくここが分かりましたね」

「いまの時代、情報が武器になるのは俺たちも同じなんだよ」

 小夜子が座っていた丸椅子に上林は腰を下ろした。

「ご用件は」

「そう邪険にするなよ。大けがをしたと聞いたからこうして見舞いに来てやったんじゃねぇか」

「おかげさまで悪運は強かったようです。ではお引き取りを」

 アナウンサーがニュースを読んでいるかのように散冴は淡々と切り返した。

「つまらねぇ野郎だな」

 鼻白んだ顔を浮かべた上林は、膝の上に片肘かたひじをついて身を乗り出した。上目づかいで散冴と目を合わす。

「大城と李のことは知ってるんだろ。あの二人が昨日から姿を見せていない。ほかに若いのを何人か連れているようだ」

「昨日から? 夜からですか」

「いや、昼間からだ。そして新井のたぬきジジイも今朝から新幹線でどこかへ出かけた。行き先までは分からねぇが上信越方面に向かったらしい」

 散冴は上林から視線を外し、窓の外へ目をやる。

 すぐに向き直ると真顔で尋ねる。

「なぜそれをわざわざ私に?」

「自分たちの手を汚さずに龍麒団ヤツらへダメージを与えられるなら、それを使わない手はねぇだろ」

 上林は上目遣いのまま片頬を上げる。

「そういうことにしておきましょう」

 散冴も歯を見せずに笑みを返した。

「ありがとうございました。なんとなく話が見えてきた気がします」

 ベッドの上で散冴が頭を下げると上林は振り返り、克己にあごで指図する。

 克己は持っていた紙袋を散冴の足元へ無造作に放り投げた。シーツが深く沈みこむ。

「これは?」

「餞別だ。持っていても損はねぇはずだぜ」

 散冴が手に取るとずしりと重い。

「心配はいらねぇよ。モノには俺たちの指紋ひとつ付いちゃいない。出所でどころなんて分からねぇさ」

「そんな心配はしていません。こんな物騒なものは受け取れませんよ」

「死ぬとこだったってのに、きれいごとは言ってられねぇだろ」

 上林は立ち上がった。

「克己、おまえ何か持ってきてたか?」

「どうだったかな……。頭悪いんで覚えちゃいないっす」

「そういうことだ、山高。お前が拾ったものをどう使おうと俺たちは知ったこっちゃねぇ」

 そう言うと振り向きもせずに、上林が克己を連れて病室を出て行った。


 入れ替わるように入ってきた小夜子が心配そうに散冴へ近づく。

「大丈夫でしたか」

「ええ、私は。でもラファたちが危ないようです」

「えっ? ラファ君が……」

 けげんな顔を浮かべた彼女をよそに、散冴はスマホを手にした。画面をタップしてベッドの上に置く。

 呼び出しの電子音が静かな部屋に響く。

『はい、御園』

 スピーカーから声が聞こえてきた。

「御園さん、月翔つきかけです」

『おぉ、どうだ具合は』

「傷の痛みはありますが、おかげさまで起き上がれるようになりました。色々とありがとうございました」

『そうか、よかったな』

「それでお願いがあってお電話したのですが」

『なんだよ、あらたまって。どうせロクなことじゃねぇんだろうけどな』

「大久保にある新井総合病院、そこの研究施設が長野県T町にあります。そこでAAAが作られています」

『ちょっと待て! いきなりなんだ、それは確かなのか』

「はい。そこに私の友人たちが捕まっているはずです」

 黙って話を聞いていた小夜子が目を見開いて顔を上げた。

『おいおい、話が飛び過ぎだ。分かるように説明してくれ』

「そんな猶予はありません。龍麒団がどんな奴らかは御園さんもよく分かっているでしょう? 彼らの命が危ないんです。すぐにあの研究所へ長野県警を派遣して下さい」

『お前さんの話だけでそんなことができるわけないだろ。令状どころか立ち入りだってできねぇよ』

「理由は何でも作ればいいじゃないですか。それはあなた達が得意としていることでしょ」

 散冴の口調も次第に熱くなっている。

『言ってなかったがな、俺はいま自宅待機を命じられているんだ』

 聞こえてきた御園の低い声に、散冴もとっさの返しが出来なかった。

「赤池さんの件で、ですか」

『あぁそうだ。俺のパートナーだったからな。何で気がつかなかったと上層部うえは怒り心頭さ。だから今はうちの係を動かすよう、掛けあうことなんて――』

「分かりました。もう結構です」

『おい、ちょっと――』


 御園の声に耳を貸さず、散冴はスマホをタップした。ベッドを降りて小夜子が持ってきたばかりの服を手に取る。

「どうするんですか」

 小夜子は落ち着いた口調で声をかけた。

「もちろんラファ達を助けに行きます。止めても無駄ですよ」

「わかっています。坊ちゃまとは何年のつき合いだと思っているんですか」

 笑みを浮かべた彼女につられて、散冴の顔も和らいだ。

「お一人で行くつもりかとお聞きしているのです。そのお体では……」

「だからといって小夜子さんを連れていったりはしませんよ」

「誰もいないよりは、よろしいのでは」

 彼女に迫られ、散冴は着替える手を止めて考えるそぶりを見せた。

「南条さんに頼ってみましょう」

 小夜子は不服そうな顔を隠さない。

「あの方、お強そうには見えませんが」

「知力と胆力はなかなかのものですよ」

「わかりました。でも包帯は取り替えてからにしてくださいね」

 小さなため息をつくと、彼女は散冴の青いシャツを手に取って着替えを手伝い始めた。



「痛みはどう?」

「まぁそれなりに」

 長野駅前で借りたレンタカーのハンドルは南条が握っていた。すでに一時間ほどが経ち、車影も少なくなり始めていた。

 助手席の散冴は山高帽を膝の上に置いたまま、流れ去る景色へ顔を向けている。ウィンドウの脇にひじをつき、黒革の手袋をはめた左手をあごに添えていた。

「サンザ君もそんな状態だし、新幹線の中で話したように彼らの救出が最優先。となると、どうやって研究施設の中へ入るかだけど、正直に言って、いい案が浮かんでこないよ」

「やはり研究棟にラファ達はいるのでしょうか」

「分かっている情報からはその可能性が高いだろうね。施設の職員すべてに龍麒団の息が掛かっているとは思えないし、むしろごく一部だろう。ならば人目につきにくい研究棟で監禁しているんじゃない? おあつらえ向きの部屋があるのも津島さんから聞いているし」

 南条はルームミラーにときおり目をやりながら話を続けた。

「新井と合流してから、ほかの場所へ移動させられてしまうとまずい。まずは急がないとね」

「その前にあのタクシーをどうにかしませんか」

 散冴の視線はドアミラーに映る白いセダンに注がれていた。

「だよね」

「かなり前からついて来ていたようですが」

「僕が気づいたのは十五分ほど前からだけど。たまたま行く方向が同じなのか……」

「私たちを尾行つけてきているのか。どこかで停まってみましょう」

 二人が乗った車はスピードを落として路肩に寄った。

 少し離れて走っていた白いタクシーは、散冴たちの横を通り過ぎてから路肩に寄せる。

「どうやら僕たちに用があるみたいだね」

 車内に緊張が走る。

 散冴は山高帽を後部座席に置き、シートベルトをそっと外した。

 タクシーのドアが開き、カーキ色をしたコート姿の男が降りた。男はそのままフロントガラス越しに散冴を見ながら近づいてくる。長身の腰を折って助手席のウインドウにいかつい顔を近づけた。

 御園だった。


 散冴が右手でウインドウのボタンを押す。ひんやりとした風が流れ込んだ。

「どうしてここに?」

「お前さんが話を最後まで聞かねぇからだよ。新幹線にタクシー代なんて、安月給の刑事に自腹で払わせやがって」

 二人の話しを聞いていた南条が散冴の耳元に口を寄せる。

「この人が例の刑事さん?」

 散冴は黙ってうなずく。

「時間がないんだろ。話は後だ」

 御園は後部座席のドアに手を掛けた。彼が乗り込むと、南条は何も言わずにアクセルを踏み込んだ。


「病院へ向かっているところでお前さんからの電話があったんだよ。どうせ病院を抜け出して長野へ向かうんだろうと張ってたってわけだ」

「私を尾行つけてきてどうするつもりですか」

「捜査を外されていても俺は警察官だ。本庁や県警の応援は頼めないが、俺なりのやり方で落とし前をつけてやる」

「いいんですか?」

 後部座席へ振り返った散冴に、御園はにやりと笑い返した。

「サンザ君、味方は多いに越したことがないよ」

「この男は何者なんだ」

「南条です。よろしく」

 背中越しの声に、ルームミラーの中で答える。

「ほぉ、あんたが詐欺師マジシャンか」

「僕も意外と有名みたいだ。でも顔バレすると仕事がやりにくくなるので、明日になったら忘れて下さいね」

 南条はハンドルを握ったまま微笑んだ。

 鼻で笑った御園へ散冴が声を掛ける。

「その中の物、御園さんにお預けします」

 後部座席に置かれた紙袋を覗き込んだ御園が、眉をひそめて顔を上げた。

「なんだこりゃ。どこで手に入れたんだ」

「病院で差し入れとして勝手に置いていかれたんです。お断りしたのですが」

 御園は小さく舌打ちをして唸った。間をおいて紙袋の中へ手を入れる。

「こいつを使うときがあるかもしれねぇしな」


「サンザ君、研究施設へ入るいい方法を思いついたよ。これしかないね」

 満面の笑みを浮かべた南条がルームミラーで後部座席に座る御園を見た。

 三人を乗せた車は細い山間やまあいの道へと入っていく。

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