第三十六話 めぐみ

 新幹線が長野駅で停車した。オレンジのチェック柄シャツにグレーのダウンベストを着ためぐみがホームへ降りる。その後を、大きなバッグを持った黒い半袖ポロシャツ姿のラファが続いた。専用改札を抜けて東口へ出るとロータリーに降りていく。

 大通りを渡り、十台ほどが停まっているコインパーキングへ足を向けた。

「ここに停めてあるの?」

「そのはずだけど」

 ラファがメモを取り出した。

「えっと、ナンバーは――」

「あれじゃない?」

 めぐみが奥から二番目に停めてあった白いワンボックスカーを指さす。

 ラファが近づいてナンバープレートを確認し、彼女に向かって親指を立てた。

「鍵は?」

 彼女の問いかけにラファは答えず、バッグを足元に置くと助手席側へ回り込んだ。その場にしゃがみこむと車体の下へ手を伸ばす。

 しばらくして立ち上がった彼の手には、ガムテープの真ん中に貼りつけられた車のキーがあった。

「ほんとにあなたたちって……。普段なら友達にはなりたくないかも」

「それが今では仲間だけどね」

 ラファがにやりと笑う。

「この車も彼が手配したの?」

「ああ」

「連絡はまだ……」

 ラファの笑顔もすぐに消え、口を一文字にして軽く首を横に振った。

「大丈夫。きっと大丈夫よ。さぁ行きましょ」

 ラファがドアロックを解除すると、めぐみは助手席へ乗り込んで勢い良くドアを閉めた。



 車が長野駅を出て一時間半が経とうとしている。すでに山間やまあいの道に入り、家並みを目にすることも少なくなっていた。

「あと三十分も掛からないで着くわ」

「サンザさんの立てた予定通り。と言っても、研究施設に乗り込むまではまだ二時間近く余裕があるけれど、どうしようか」

「あまり近くまでは行きたくないのよねぇ。相手に見つかるリスクも高くなるし、おばあちゃんの家を通ることにもなるから」

「確かにね。どこか予定時刻まで隠れていられるような場所はないの?」

「あるにはあるけど……」


「なるほど。ここなら隠れるにはもってこいだ」

 ラファは笑みを浮かべると、視線を派手な彩色の看板から前方へと戻す。

 めぐみの案内通りに走らせた車は国道を逸れたラブホテルの前に来ていた。三棟のコテージがさらに区切られ、それぞれに車庫がついている。

「変な気を起こさないでよ。そういうつもりで来たわけじゃないからね。ここなら目立たないし、車から部屋に直接入れるから良いと思っただけなんだから」

「わかってるよ。そんなムキになって言い訳しなくたって」

 歯を見せたラファがハンドルを左に切った。

 平日の昼間でも車の停まっている部屋がある。空室表示になっていた右から三番目の車庫に車を入れた。ガレージの中にあった前払い用の機械で支払いを済ませ、カードキーを取り出して部屋へ入る。

「あぁ疲れた」

 ラファは荷物を置いてベッドの上へあお向けに倒れ込んだ。

 めぐみがカーテンを開けるとりガラス越しの柔らかな光が広がる。

「ここから研究施設までは何分ぐらいかかる?」

 大の字に寝転がったまま、ラファが顔だけをめぐみへ向けた。

「二十分くらいかな」

「オゥケィ」

 彼女の返事を聞くとすぐに体を起こしてスマホを取り出した。しばらく操作した後でまた寝転がる。

「連絡、ない?」

「うん」

 短い会話が長い空白を生む。


 めぐみがリモコンへ手を伸ばした。テレビから古いドラマの音声が流れてくる。

 天井を見つめたままのラファへ彼女は声を掛けた。

「シャワーは浴びる?」

「いや、いい」

「どうしようかなぁ……」

 ぼんやりとテレビを眺めながらつぶやいためぐみへ、ラファが顔だけ向ける。

「浴びてくればいいじゃん」

「変な気を起こさないでよ」

 ラファは転がるように足を下ろしてベッドに座り直した。

「だからそんなつもりはないって。一ヶ月以上も一緒に暮らして何もなかったし、今さら」

「それも失礼な話だけどね」

 一瞬の間をおいて、二人は顔を見合わせ声をあげて笑った。それが収まるとラファは静かに語り掛けた。

「めぐみさんは強いよ。俺なら平気な顔ではいられない」

「何のこと?」

 めぐみはテレビの画面に顔を向けた。

「だってサンザさんのこと、好きなんじゃ……」

 テレビを向いたままの彼女から応えはない。

 その横顔をラファは見ている。

「シャワー浴びてくれば」

「なんだかめんどくさくなっちゃった」

 めぐみはテレビへ顔を向けたままだった。


 予定の時刻が近づくと、日々にちにち運送の青い制服に着替えた二人が白いワンボックスに乗り込み、ホテルを出てゆく。

「この制服、やっぱ大き過ぎ。袖も裾も折ってまくったけれどおかしくないかな」

「しょうがないよ、男性用サイズだから。俺なんか、また腕まわりがパンパンだしさ」

 お互いの制服姿を眺めている間にも車は進む。

「次の信号を左に曲がって。あとは道なりだから」

 助手席のめぐみに言われた通り、ラファがハンドルを回した。左側が谷になった道は対向車が来たらスピードを落とさないといけないほどの幅しかない。ガードレールの向こうからは川の流れが聞こえていた。

 右の山側からは伸びた枝が道の上まで掛かっている。ラファはヘッドライトを点けた。

「もうすぐおばあちゃんの家を通る」

「隠れていてもいいよ」

「そうさせてもらうわ」

 めぐみはシートを深く倒して仰向けになった。

「そんな隠れかたって、あり?」

 ちらと左を見たラファが笑う。

「これなら楽だし、外から見えないでしょ」

「あれだな」

 勾配の急な屋根を持つ家屋が右に見えてきた。陽が落ち始めた小さな庭先には人の姿はない。

「誰もいないよ」

 ラファには答えず「おばあちゃん、嘘をついてごめんね」とめぐみは口の中でつぶやいた。

 体を起こしためぐみが後ろを振り返る。すぐに前を向くとシートを戻した。

「さぁ、いよいよね。どきどきしてきちゃった」

「めぐみさんでも緊張なんかするんだ」

「うまくいくといいけれど」

 ラファが茶化しても怒るでもなく、笑顔もない。

「大丈夫だよ。俺たちは日々運送として荷物を預かりに行き、受け取ってくる。それだけさ」


 車が緩く右へカーブすると二人の視界が突然開けた。

 暮れかかる山々を背に、深緑色をした大きな片流れ屋根の建物が二棟。一方は空を斜めに切り取る白い壁がそそり立ち、かたや水平に連なるガラスが三本の太い線となっている。

 めぐみは図面を取り出し、L字型に配置された研究施設と見比べている。

「右側の建物が管理棟よ」

「オゥケィ」

 閉まったままの門の手前でラファが車を停めた。守衛室から紺色の制服を着た男が出てくる。

「日々運送です」

 ラファはウィンドウを下げ、たずねられる前に名乗った。

「おや、今日はいつもの人は?」

「体調不良で急に休んだので、代理で集荷に来ました」

「ああ、そう」

 守衛は疑う素振りもなく守衛室に戻っていった。ほどなく縦格子の門が開いていく。もう一度、守衛が外に出てきた。

「場所は分かる?」

「管理棟の管理室へ行くように言われてます」

 片手を軽く上げた守衛に見送られて二人の乗る車は構内へ入っていく。右にハンドルを切り、エントランス横に車を停めた。

 めぐみは手早く髪を後ろでまとめ、日々運送のキャップをかぶる。車を降りた二人は建物へ入り、すぐ右にあった管理室のカウンター越しに声をかけた。

「日々運送です。荷物をお受け取りに来ました」

「今日はいつもの方じゃないんですね。少々お待ちください」

 中にいた四十代くらいの男性が応対し、受話器を取った。内線でどこかへ連絡をしている。通話を終えると廊下へ出てきた。

「ご案内します」

 彼の後を二人がついていく。


 就業時間を過ぎているのか、管理棟内には職員の姿はない。まっすぐ伸びた廊下に管理員の革靴が響く。

 突き当りを右に曲がると、階段の先に幅の広い渡り廊下が見えた。

 一番後ろを歩いていためぐみがラファの作業着をつまんで引っ張る。体を少し斜めにした彼の耳元へ、伸び上がるようにしてささやいた。

「ねぇ、あの先は研究棟だよね」

 黙ってうなずくラファ。周囲へ目を配りながら歩いている。

「なんかおかしくない? 普通の荷物として送るなら管理室へ預けておけばいいのに」

「物が物だけにわざわざ取りに来させているのかもしれない。でも油断しないで」

 小声で言葉を交わした二人の前で、管理員が立ち止まった。めぐみはびくっと身体を震わせる。

「あちらの部屋になります」

 管理員は廊下の端から三つ目のドアを指し示すと、軽く頭を下げて戻っていった。

 残されたラファはめぐみと顔を見合わせる。そしてベージュ色のドアへと近づきノックをした。

「失礼します。お荷物をお預かりに来ました」

 そう言いながらドアを開けた。

 あとに続いためぐみがラファの背中へぶつかりそうになる。

「ちょっと、もう少し奥に入ってよ」

 小さく文句を言って、横にずれた彼女はその場で動きを止めた。


「ようこそ。そっちから来てくれて手間が省けた」

 目の前にはソファに座った大城がいた。

 その後ろには男が二人、そして隣には李が無表情で立っている。彼の右手に握られた拳銃の銃口はまっすぐとラファへ向けられていた。

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