第三十三話 準備

 リビングへ差し込む光に目を細めながら、ラファは遠くに目をやった。運河の先に大小の建物がぎっしりと立ち並ぶなかを首都高が横切り、その向こうにはスカイツリーがかすんでいる。

「散冴さんは毎日この眺めを見ていたんだなぁ」

 その背中に返ってくる声がなく、ラファは振り向いた。ソファではめぐみがスマホを耳に当てている。

「あれ、どこへ電話してるの?」

 ラファの声を遮るように、めぐみは口の前へ人差し指を立てた。

「あ、おばあちゃん? ううん、わたし一人だよ。男の人なんかいないってば。素敵な人が見つかったら、おばあちゃんのところへ連れていくから」

 ラファはニヤニヤしながらそっと廻り込んで、彼女の向かい側に腰を下ろした。

「それより、この前お願いした研究施設の方はどう?」

 意外な言葉を聞いてラファの顔から笑みが消えた。身を乗り出して小声でめぐみに問いかける。

「どういうこと?」

 めぐみはスマホを耳から離し、手で遠ざけながら声を潜めた。

「あの研究施設へ行くには、必ずおばあちゃんの家の前を通るのよ。だから怪しい車を見張ってもらってるの」

「怪しいってどう判断するのさ」

「旅行で来る人なんかいないし、東京ナンバーの車はあの辺りじゃ見かけないから」

 早口で言い終えると、めぐみはスマホを耳に戻した。

「あ、ごめんごめん。ちょっとお水飲みに行ってた」

 通話を再開しためぐみへ、ラファがジェスチャーで何かを伝えようとしている。彼女の耳元を指さし、次にテーブルを指し示してから声を出す動作を見せた。

 めぐみに伝わったのか、スマホを置いてスピーカー通話に切り替えた。ラファがサムアップポーズを見せる。


『めぐちゃんに言われた通り、ここを通る車を気にして見ているんだけれど東京の車は来ないねぇ。あそこで働いている人の車ばかりだよ』

「職員の人はあの近くに住んでるの?」

『三好さんのアパート、空いていた三部屋を病院で借りてくれたって喜んでたよ。みんな中国の人らしいけれどね。でも半分以上の人は市の方から車で通っているって話だね』

「そうなんだ。あそこで働いている中国人て多いのかな」

『どうだろうねぇ。そこまでの話は聞いたことがないから、こんど誰かに聞いておいてあげようか』

 それを聞いたラファが顔をしかめて首を横に振りながら、ささやく。

「それはヤバいよ。向こうに怪しまれたらおばあさんが危ない」

「分かってるわよ、それくらい」

 めぐみが小声で返す。

『何か言ったかい、めぐちゃん』

「あ、ちょっといま運送会社の人が荷物を持ってきたの。ごめんね」

『あぁ、運送会社といえば』

 ごまかそうとしためぐみの嘘に祖母が反応した。

日々にちにち運送の車が一日おきに来るよ』

「研究施設に?」

『そう。この辺には忘れた頃にしか荷物なんて届かないのに、あそこへはしょっちゅう来る。それもんだよ。同じように四角くて白っぽい車だけど会社のマークも何も書いてないの』

 ラファが顔を上げるとめぐみと目が合った。二人はうなずき合う。

「それで、よく日々運送だって分かったわね」

『だってあの派手な青の作業服を着てるから。運転手さんだって見たことある顔だもの』

「いつも何時ごろ来るの?」

『うーん、夕方かなぁ。昼間に来たことはないと思うよ』

「そう。ありがと、おばあちゃん」

 このあと、めぐみの身を心配する祖母へ、安心するよう言い含めて通話を終えた。

「怪しいわね」

 ラファは黙って首を縦に振る。

「彼に話しておいた方がいいよね」

 めぐみはスマホを操作するとまた耳に当てた。



 改札を抜けた南条は辺りを見渡すことなく、幾方向にも流れる人々の波を縫って歩いていく。地下道を避けて、階段から地上に出るとふぅっと一息ついた。

 林立する超高層ビルの間を抜けて待ち合わせのホテルに入る。ラウンジに目をやり、エントランスが見える席についた。

 注文オーダーしたコーヒーに口をつけたところで男がホテルへ入ってきた。南条はすぐに立ち上がり、右手を軽く上げる。

 男がテーブルに来るまで立ったまま迎え、頭を下げた。

「お忙しいところ時間を取っていただいてありがとうございました、津島さん」

「いえいえ、細川さんからのお話ならば出来るだけのことはさせて頂きますし、今回は仕事につながるかもしれないのですから」

 笑みを浮かべて手を振り、津島は椅子を引いた。

 彼の前では人材コンサルタントの細川を名乗っている南条も座りなおした。

「お仕事の方はいかがですか」

「おかげさまで、中途採用の私にもやりがいのある仕事を与えてもらっています」

「それはよかった。ではお時間もないでしょうから早速本題に」

 南条が促すと、津島はビジネスバッグから書類を取り出した。

「私が前職で担当した、長野にある研究施設です」

 テーブルに広げた図面を指し示す。

「規模もかなり大きいんですね」

「研究棟と事務棟に分かれていて、それぞれ二階建てになっています」

「宿泊できるところもあるんですか」

「いいえ。でもここは仮眠や宿泊を想定しているかもしれません」

 津島が身を乗り出して図面に顔を近づけた。

「ここです。研究棟の倉庫となっていますが照明やコンセントだけでなく、空調やテレビ端子も設置しましたから」

「倉庫にテレビは必要ないですよね」

「オーナー側からの要望で、たまにあるんですよ。窓がない部屋なので申請時には倉庫としておいて、実際には居室として利用するのが」

「なるほど」

 相槌を打ちながら南条が図面を手にした。

「それではこれをお借りして先方へプレゼンをします」

「あくまでも私個人の資料として、件名や前職の社名は出さないでいただきたいのですが」

「もちろんです。先方の医薬メーカーも実績のある設計者を探しているので、合意が得られれば正式には四菱建設への発注依頼を行うことになります。設計者は津島さんを指名してもらうのでご心配なく」

「よろしくお願いします」

 津島は座ったまま頭を下げた。

「いやいや、まずは合意を得られるように僕が頑張らないといけないので」

 目を細めた南条に見送られて、津島はラウンジを後にした。


「残念だけど津島さん、この仕事は取れなかったよ。そもそもそんな依頼なんてないんだけどね」

 両手に持った図面を眺めて南条がひとりごちる。

「さてと、これも何かの役に立つだろうからサンザ君に連絡しておくか」

 席を立つと会計を済ませてスマホを取り出した。



「それでストーリーは書けたの? サンザ君」

 先日と同じ貸し会議室には五人の顔が揃っていた。四人の目が散冴に集まる。

「ええ。小夜子さんから最後のピースが届いたので」

 隣の椅子に置いていたバッグから散冴が取り出したのは鮮やかな青い作業服だった。その胸には日々運送のロゴがついている。

「それ本物? どうやって手に入れたの」

「以前の仕事で関わった方からお借り出来ました」

 めぐみに答えた散冴は小夜子へ顔を向ける。

「木内さんの奥様が貸してくださいました。あちらは散冴さまのことを探偵だと思っていらっしゃるので、張り込みに使いたいとお願いしたら快く」

「たしか木内さんて誘拐のときの……。そんな理由で貸してくれるなんて、ますます奥さんには会いたくなっちゃうなぁ」

「ご本人も一緒に張り込みしたいとおっしゃっていました」

 笑いながら言葉を交わす小夜子と南条を見て、めぐみは隣に座っているラファの耳元へ口を寄せた。

「あなたたちって誘拐までやってるの?」

「いや、あれは。お芝居だから」

「この研究施設の図面といい、やっぱりあなたたちってただ者じゃないわね」

「今ごろ気づいたの? それに、そう言う自分だってもうチームの仲間じゃん」

 おどけるように眉を上げたラファへ、めぐみは下唇を突き出した笑顔で小首を傾けた。

「今回は、長野にある新井総合病院の研究施設からAAAを奪います。どうやら日々運送を利用し、正規の配送物として東京の金央物流へ運んでいるらしいと分かりました。奪うチャンスは研究施設から日々運送の配送所までの間しかありません」

「で、どうするの?」

 散冴の話に南条が口を挟んだ。

「私とラファが運送員に扮して施設へ受け取りに行きます。本物の運送員へは荷物の回収が中止になったと、偽の通知を寺さんから送ってもらいます」

「それで上手くいくかな」

 今度はラファが不安げにつぶやく。散冴は彼へ顔を向けた。

「もしもの時は強硬手段を取るかもしれません。そのための私たち二人です」

「オゥケィ」

「わたしも行くわ」

 めぐみは厳しい表情を見せている。

「ええ。鮎川さんにはあの辺りの道案内をお願いします」

「無事にAAAを手に入れたらどうするのですか」

 心配そうな小夜子へ散冴は微笑んだ。

「そこから先は警察に任せるつもりです。私の話だけでも信用してくれる刑事がいるのですが、上層部を動かすには現物がないと」


 散冴の話が終わったところで南条が右手を挙げた。

「例の殺人犯の件は、これとは別物だったってこと?」

「AAAが絡んでいるとは思っています。そうでなければ彼がそこまでするはずがない」

 南条の顔から笑みが消える。

「目星はついているんだね」

「はい」

「わかった。それじゃ僕は後方支援ということで」

 そう言うと南条は立ち上がり、会議室を出て行った。その後に散冴も続く。


 建物の裏口から外へ出た散冴は、駐車場に停めたシルバーのワゴンに乗り込んだ。

 車を走らせているとダッシュボードのホルダーに挿していたスマホから着信音が鳴った。非通知と表示されている。

 散冴はハンズフリーで通話を始めた。

「もしもし」

『ツキカケダナ』

 スピーカーからボイスチェンジャーを通した声が聞こえてきた。

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