第二十四話 重要参考人

 明るい灰色の壁に囲まれた六畳ほどの部屋に散冴は座っていた。縦格子のついた小さな窓を背にしてスチール製の事務机に向かっている。机の端には黒い山高帽が置かれていた。

 すでに夜も明けて柔らかな光が差し込んでいる。

「どうだい山高、眠れたか」

「ええ、おかげさまで。でも会議室のソファより留置場の方が寝心地は良かったかもしれませんね」

 正面に座る御園へうっすらと笑みを浮かべながら返した。

「しょうがねぇだろ。おまえさんはまだ重要参考人で、被疑者じゃねぇんだからな」

「それにしては見張りの警官もいませんでしたし、こっそりと私が姿をくらますのを待っていたのではありませんか」

 面白くなさそうな顔を見せた御園が口調を変えた。

「で、お前さんの名前は何ていうんだ。これはどう見たって偽名だろうが」

 机の上に置いた『月翔 散冴』と書かれた名刺を指さす。

 散冴は表情も視線も変えない。

「あのなぁ、名前も分からない重要参考人を『はい、そうですか』と帰したりは出来ねぇんだよ」

「名前が分からないというだけで逮捕することも出来ませんよね」

 大げさにため息をついた御園は椅子の背もたれへ体を預けた。

「まったく食えねぇ野郎だな、お前さんは」

 さほど広くもない部屋はすぐに沈黙で満たされる。


「使われていた拳銃は龍麒団彼らが扱っていたものでしたか?」

 先に散冴が口を開いた。

「聞いてんのはこっちだぜ」

「そうですか、やはり……」

 御園は名刺に視線を落とすと舌打ちをした。

 顔を上げて右側の壁にある小窓へちらと目をやると、体を前へ倒して机にひじをつく。

「まさか本当にうちの会社警察の人間、ってわけじゃねぇんだろうな」

 あいかわらず黙ったまま表情を変えない散冴へ、おどけた口調で続ける。

「急にお偉いさんが入ってきて『そいつを帰してやれ』なんてのは勘弁してくれよ」

 そこへ扉をノックする音が響く。

 驚いて振り返った御園の視線の先には赤池が立っていた。

「なんだよ、お前か。驚かすなよ」

「何か?」

「いや、何でもない。それより、そっちはどうした」

「それが……」

 御園が立ち上がり、赤池のもとへ近寄る。

「配線が切断されていたエントランスの防犯カメラですが、管理室で記録していた映像には切断されるまでの記録が残っていました。死亡時刻と思われる頃に二人の男がマンションを訪れていますが、二人とも退出した記録はありません。オートロック内に入り、カメラの死角から配線を切断したようです」

「そのうちの一人はこいつか」

 御園は散冴に背を向けたまま、右手の親指を立てて指し示した。

「はい。それで、もう一人の男なんですが……」

「どうした」

「私が一階に降りたときにエントランスから出ていった男とよく似ています。後ろ姿だけですが、黒いフード付きのダウンジャケットに黒いキャップをかぶっていたので間違いないかと」

「そいつはマンションの住人じゃねぇんだな?」

「裏を取りましたが、居住者の中にはいませんでした。すいません、あのときに私が声をかけておけば……」

「終わっちまったことを言ってもしょうがねぇさ。しかし、そうなるとこいつをどうするか、だな」

 振り返った御園がもう一度、椅子に座った。

「山高、もう一度確認するが、お前さんが来たときには部屋から応答がなかったんだな」

「ええ。呼ばれて来たのに応答がないので、オートロックの解除番号をいくつか試してみたら開いたんですよ。その防犯カメラにしっかりと顔も映っているはずですが」

 散冴が赤池を見上げる。それに続いた御園へ赤池はうなずき返した。

「しょうがねぇな。もう帰っていいぞ」

「御園さん!」

「仕方ねぇだろ。こいつが入ってきたときには作動していた防犯カメラがいつのまにか切断されていた。硝煙反応も出なかった。ほかに怪しいヤツがいるとくれば、引き留める理由が一つもねぇ」

「それはそうですが……」

「ただし条件がある」

 不服そうな赤池を無視して、再び散冴に詰め寄った。

「連絡先を書いていけ」

 名刺を裏返して散冴へ差し出し、彼の前にペンを置いた。

 散冴はそれに目をやってから顔を上げる。二人の視線が静かにぶつかった。

「すぐに通じなくなるかもしれませんよ」

 ペンを手にした散冴が名刺の裏に数字を書き記していく。

「お前さんはそんなことしねぇよ」

 上目づかいで御園がにやりと笑った。


 散冴が取調室からいなくなると、御園は机の上から名刺を取り上げた。

「念のため、例のメモに書かれている住所の数字と筆跡鑑定してもらえ。このメモが自作自演で、消えた怪しい男と共犯という可能性もゼロじゃねぇからな」

「分かりました」

 手渡された赤池がすぐに出ていく。

「ま、そんなへまをやるような男じゃねぇだろうけどな」

 ひとり残った御園は散冴が座っていた椅子を見下ろしながらつぶやいた。



 冬の空は高く青い。

 表通りに出た散冴はまぶしそうに見上げてから黒い山高帽をかぶりなおした。右腕がまだ痛むのか、気にするそぶりを見せながらスマホを取り出す。

 画面に並ぶ小夜子からのLINE通知に苦笑いを浮かべた。すぐにメッセージを返して地下鉄への階段を降りていく。


 改札を出て地下道を歩いていた散冴へ後ろから駆け寄る姿があった。

「坊ちゃま、どこにいらっしゃったんですか」

 小夜子が声を掛けながら彼の右腕に手を伸ばす。

「痛っ!」

 その声に驚いて彼女はすぐに手を離した。

「どこかお怪我をされているのですか」

「大したことはありません。単なる打撲ですから。それより心配をかけてすいませんでした」

「今朝お伺いしてもいらっしゃらないし、お戻りになったご様子もないし。ともかくまずはお怪我の手当てをしないと」

 小夜子に急き立てられ、散冴はを速めた。


「まぁ、こんなに腫れているじゃありませんか」

 ソファに座ってシャツを脱いだ散冴の腕をとり、湿布薬を貼り替えて手際よく包帯を巻いていく。

「ありがとう。自分じゃうまく貼れなくて」

 そう言われて目を伏せた小夜子を背にして着替えを済ませた。彼女が淹れてくれた珈琲に口をつける。

「厄介な相手とトラブルになってしまいました。ここも知られているし、しばらくは来ないほうがいいと思います」

「わたくしなら大丈夫です」

「相手は平気で拳銃も使うような奴らです。小夜子さんの身に何かあったら私が困ります」

 その力強い響きに小夜子が顔を上げると、まっすぐに彼女を見つめる目があった。

「わかりました。でも決して無茶はなさらないでくださいね」

「ええ」

 散冴は静かに微笑んだ。

「でも本当にご無事で何よりでした。夕方まで待って連絡が取れなければ、社長様にご相談しようかと――」

「小夜子さん」

 今までとは打って変わり、散冴は眉間にしわを寄せて彼女を止める。

「兄には関係ないことです。こうして私のわがままを見て見ぬふりをしてもらっているだけでも十分なのに、これ以上の迷惑をかけるわけにはいきません」

「でも……」

「たとえ私に何があっても、兄や――ましてや父には頼らないでください。お願いします」

 そう言うと頭を下げたまま動かない。

 根負けした小夜子が小さくため息をついた。

「わかりました」

「これは私自身が決めたルールなので」

「頑固なところはお父様そっくりですね」

 彼女の言葉には何も答えずに散冴は珈琲のカップを手に取った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る