第十四話 新宿に

 散冴が部屋を見渡している間に、ラファは浴室とトイレ、ベランダを覗いて回った。散冴と目が合うと肩をすくめて首を横に振った。

「外出している、なんてことはないよなぁ」

「ないでしょうね」

 そう言うと散冴はハンガーに掛かっていた白いダウンジャケットを指さした。

「この季節に上着もなしで外へ出るのはラファくらいなものですよ。女性のひとり暮らしだから、鍵もかけずに行くこともないでしょう」

「それじゃ、彼女は……」

「ちょっと甘く見ていたかもしれません。依頼主がこんなにも必死だとは。彼女の話を聞く限り、それほど重大なものに迫っていたとは思えなかったのですが」


 ローテーブルの上に散冴は右手を置いた。

「まだ暖かい。パソコンも持ち去られていますね。コンセントにアダプターが刺さったままですし」

「浴室の床は乾いていましたよ」

「血を洗い流した形跡はなく、荒らされた様子もない」

 その間にも玄関へ移動し、床へ四つん這いになってフローリングの表面を左右から眺めている。

「複数の足跡があります。どうやら数人に拉致されたようですね」

「追いかけますか」

「ええ。急ぎましょう。まだそんなには時間が経っていないはずです」


 部屋はそのままにして、二人は急いで階段を下りる。

「サンザさんの読み通り、新井が俺たちのほかにも依頼してたんですかね」

「おそらくそうでしょう。このタイミングで彼女がいなくなる理由がありませんから」

「相手の目星はついてるんですか」

「新宿から大久保あたりを縄張りにしている神栄会という暴力団とかかわりがあるようです」

 駐車場を抜けて、来た道を戻りながら散冴がスマホを取り出した。

 右手だけで器用に操作して何やらアプリを立ち上げている。

「あの、効いていますね」

 ラファへ画面を見せた。

 そこには地図の上で赤く点滅しているポイントがある。

「どこに向かっているんだろう」

「やはり新宿方面のようです」

 小走りでバス通りに向かう途中で散冴が立ち止まった。

「ラファはタクシーを捕まえておいてください。私は一件、電話をしてから行きます」

 スマホを取り出すと険しい表情で通話ボタンを押した。



 すでに陽は落ちて皇居の森は静かな闇に包まれている。その周りを縁取るほりは道を行き交う車たちが放つ光を反射うつしていた。

 濠に沿って走る内堀通りと、虎ノ門から霞が関を抜ける桜田通りがV字で交わる。そこには威圧的なフォルムを見せる警視庁があった。

 全国に先駆けて組織犯罪対策部が警視庁に設けられたのは平成十五年四月、現在では七つの課に分かれて犯罪組織の実態解明を進めている。

 小会議室では組対そたい第五課・銃器薬物対策第一係の係長、河本の元に御園が詰め寄っていた。


「だから係長、間違いないんですよ。神栄会の奴ら、何かやらかすつもりなんです」

「だめだ、そんなチンピラ数人がやることなんて放っておけ」

 グレーのスーツに銀縁の眼鏡をかけた河本は椅子に座ったまま御園を見上げた。

 立っている御園はテーブルに両手をついて河本へ顔を寄せる。

「それが殺しでもだめですか!」


「殺しだという確証があるのか」


 御園は言葉を返せず、体を起こした。

 首を少しかたむけた河本が落ち着いた声で続ける。

「御園、俺たちがいま追っている相手はどこだ?」

「……龍麒りゅうき団です」

「だよな。奴らと縄張り争いをしている神栄会に俺たちが手を出せば、奴らを助けることにもなりかねない。わかるな?」

「ですが係長――」

「この話は以上だ」

 立ち上がった河本へ、なおも御園は食い下がった。

「それじゃ、せめて三課の暴力団対策情ぼうたい報室へこの話を伝えてもらえませんか」

「お前なぁ、あそこの森野課長とウチの田代課長は同期でバリバリやりあってるのを知ってるだろ? ウチからのネタを素直に聞くわけないだろうが。それどころか余計なことをするなと文句を言ってくるぞ。俺がそこに巻き込まれるのはごめんだ」

 河本は顔を背けながら、拒むように手を振って廊下へ出て行った。

 残された御園は舌打ちをすると、ため息をついて後に続いた。


 御園が自席へ戻るとすぐに赤池が寄ってくる。

「どうでした?」

 先に席へ着いていた河本の方を気にしながら声を潜めた。

 御園は椅子をくるっと回して係長席へ背を向けた。

「ダメだダメ。まったく話にもならねぇんだよ」

「暴対への情報提供もですか」

「あぁ。課長同士が仲悪いからダメだとさ。せっかくお前がネタをつかんできてくれたのに悪かったな」

「いや、係長がそう言うのなら仕方ないですね。損な役をやらせてしまって申し訳ありません」

 立ったまま赤池が頭を下げた。

「キャリアのお前は、いずれ俺より偉くなるんだからよ。上から憎まれるのは任せておけばいいんだよ」

 御園は笑って赤池の腕を二度叩くと、ひざの上に肘をついて両手を組む。

「しかしなぁ。あいつら、絶対に何かをやらかそうとしている目だった。間違いない」

「でも組全体で動いている様子はありませんでした」

「たしかにな。新宿の本部からあのワンボックスで出て行った四人だけで、片がつく仕事なんだろ。こんな夜に現金輸送車を襲うわけじゃねぇだろうし」

「対立している龍麒団の誰かを殺るとか……」

「もしそうなったら係長は喜ぶぞ。奴ら龍麒団へのガサ入れが出来るからな」

 御園が鼻で笑う。

「一般人が標的になってたらヤバいですね」

「おいおい、それだけは勘弁してくれよ。んなことになったら俺は悔やんでも悔やみきれねぇ」

 一転して大げさに顔をしかめて手を振った。

「しっかしなぁ。これでいいのかよ? 法を犯そうとしている奴らを止めることも出来ない。俺たちの正義って何なんだ」

 その問いかけに赤池は口を真一文字に結んだまま、答えを返すことはなかった。



 いかついフロントグリルの白いワンボックスカーが新宿区役所の前を通り過ぎて右に曲がった。四角い街区を斜めに分断する旧道へ入り、五階建ての雑居ビルに横付けする。

 スライドドアが開き、刈り上げた髪を茶色に染めた体格のいい男が降りてきた。周囲を見渡すと車内へ目顔で合図を送る。すぐに助手席から背の高い長髪の男が降り、ドアを目隠しにするように開けたまま後部座席へ上半身を突っ込んだ。

 先に降りた男と一緒に、紺色をした大きな荷物を抱えて引きずり出す。中に何かが入った寝袋のようだ。二人で抱えたまま建物の中へと入っていく。

 三人目の白いジャケットを着た小太りな男が紙袋を手に後部座席から出て来ると、ドアを閉めたワンボックスカーが発車していった。

 茶髪の男が寝袋を肩に担ぎあげて、三人はエレベーターに乗る。


 小太りな男を先頭に最上階で男たちは降りた。

 鍵を取り出して室内へ入るとがらんとした空間が広がる。グリーン系のタイルカーペットが床一面に敷かれ、折りたたみ椅子が数脚と長ソファ、二つの丸テーブルが置かれていた。


「やっぱ重いわー」

 担いでいた寝袋を床に転がして、茶髪の男が大きく息を吐いた。

「なんだよ、だらしねぇなぁ克己かつみは」

 黒い髪を後ろで束ねた男がからかう。

「ならワタルがやってみろよ」

 克己は目を見開いて眉間にしわを寄せ、ワタルに詰め寄った。

「よさねぇか、お前ら」

「でも上林さん、ワタルが――」

「いいから女を出せ」

 上林から一喝され、口を尖らせながら克己は寝袋のファスナーに手を掛けた。

 音を立てながら下ろしていくと、口にガムテープを貼られた女の顔があらわになった。

 鮎川めぐみだった。

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