第十二話 再会

「この女をご存じなのですか」

 散冴の様子に気づいた新井が顔を覗き込む。

「ええ。一度だけ会ったことがあります。フリーのライターだと言っていましたから間違いないでしょう」

「そうですか、なら話は早い。引き受けて下さいますね」

「依頼としては彼女の取材を止めさせること、今までに調べた内容を公にしないこと、この二点でよろしいですか」

「まぁそんなところですかな」

 新井はあごに手をやる。


「では成功報酬として百万円。手付金は不要です」

「百万ですか。言い値とはいえ、これまたずいぶんと値が張るものなんですなぁ」

「私に依頼してでも公にしたくないと言うことならば、決して高い金額とは思いませんが」

 芝居がかった新井の言動に対し、散冴は一貫して穏やかな表情を見せている。


「成功報酬とおっしゃいましたが、どうやって確認するんですか? 報酬を支払う時期も分からないし、支払った後で公表されてしまったらたまったもんじゃない」

「ご心配はもっともです。方法についてはこれから検討しますが、公表しないという確約を得たと判断した時点で請求させていただきます。それ以降にもし公表された場合は報酬の全額を返還します」

「金を返してもらっても割が合わんな」新井はなおも食い下がる。

「私の仕事は契約書を交わすわけではなく、信用が第一です。もし失敗したとなれば、今後は私への依頼もなくなるでしょう。それが何よりの保証とお考えいただければ」

「あの女が調べたデータを取り上げるとか、消去するとか」

「コピーまで追うことは不可能ですね。第三者に預けているかもしれない。それに彼女の記憶も消すことは出来ません。殺してしまえば別ですが」

 二人の視線が正面からぶつかる。


 先に逸らしたのは新井だった。

「ま、おっしゃる通りですわな」

 背もたれに身を委ねて深く息を吸う。


「もう一度確認させていただきます。根も葉もないうわさを書き立てられるのは困るので、彼女の動きを止めたい。それがあなたにとっての正義、ということでよろしいですね」

「結構。条件も月翔つきかけさんのおっしゃった通りで構いません」

 うっすらと笑みを浮かべて新井はうなずいた。

 山高帽を手に持ち、散冴は立ち上がる。

「それでは仕事が終わりましたらご連絡します」

 頭を下げ部屋を後にした。


 地下駐車場で運転席に乗り込むとスマホを取り出し、ダッシュボードに置いた。

 ハンズフリーにして登録している番号を表示させる。

 狭い車内に呼び出し音が響いた。

『もしもし、また仕事ですか』

「そうなんです。またラファに手伝ってもらいたいことができて」

『今度は何を』

「この前の仕事で、津島さんを尾行したときに歌舞伎町で会った女性を覚えていますか」

『たしか……鮎川めぐみ、でしたっけ。覚えてますよ』

「彼女に会いたいんです」

『また情報屋さんに調べてもらうんですか?』


 散冴にとっては予想外の反応だったのか、小首をかしげて眉間にしわを寄せる。

「それならラファに連絡しませんよ。彼女からもらった名刺、持ってますよね」

『あ……』

「私、いつも言ってたはずですが」散冴の声が低くなった。

「人との出会いは大切に。きっかけとなったものは――」

『かならず保管すること。覚えてます、大丈夫。絶対に捨てていないはずだから。でも、どこにいったかな……すいません、探してから折り返します!』

 慌てた様子で通話を切った。

「まったく、ラファったら……」

 誰も見ていないのに、散冴は彼の真似をして肩をすくめた。



 この街は空が近い。

 駅前のにぎやかな辺りを抜けてしまえば井の頭公園の木々が目に入る。その半ばほどは葉を落とし、雲のない澄んだ空を背にして本来の姿を見せていた。

 住宅街の一角にあるこのイタリアンレストランも、二階のテラス席からは遠くに公園が望める。

 黒いコートを着た散冴と白い半袖ポロシャツ姿のラファのもとへ女が歩み寄った。光沢のある白いダウンジャケットにデニムパンツ姿の女は、座っている二人を見下ろした。


「あなたたち、バカなの? なんでこんな寒いときにテラスにいるわけ?」


 特徴的な太い眉を眉間みけんに寄せて、バッグの紐で強調された胸を突き出す。

「わざわざお呼び立てしてすみません、鮎川さん」

 散冴は座ったまま右手で山高帽を軽く持ち上げ、頭を下げた。

「ほかの方に聞かれて困るのは私だけではないと思いまして」

 薄い笑みのまま彼女を見上げる。

「あら、わたしは聞かれても構わないけど」

「そうですか。今はSNSですぐに情報が拡散します。それが真実なのか確認することもせずに。あの噂が広まってしまったら取材もやりにくくなるかもしれませんよ」

「何のことを言ってるのかしら」

 ラファは二人のやり取りを黙って聞いている。


「新井総合病院」

 散冴の言葉を聞いてめぐみが短い溜息をつく。椅子を引いて腰を下ろすと斜めに掛けていたバッグをテーブルに置き、室内に向けて右手を挙げた。薄着のまま外に出てきたウエイトレスへカフェオレを注文する。


「こんなことならテラス席のない店を指定しておけばよかった」

 ダウンを着たまま、彼女は不満を口にした。

「わざわざ外で話が出来るようにこの店を選んだのかと」

「ラファ君から連絡があったときにあなたも一緒だというから、面倒な話かもしれないとは思ったわよ」

「この近くにお住まいなのですか」

「わたしのことよりも、あなたはいったい何者なの。探偵っていうのも嘘なんでしょ」

 めぐみは重心を後ろへ移動し、二人との距離を取った。


 胸ポケットに右手を入れた散冴は名刺入れを取り出す。

月翔つきかけといいます」

「よろず屋?」

「企業を顧客としてさまざまな依頼をお受けしています。探偵のような仕事も多いので、あながち嘘ではないつもりなのですが」

 ウエイトレスがジャケットを羽織ってカフェオレを運んできた。

 めぐみは砂糖を入れたカップを口へ運ぶ。

「で、そのよろず屋さんがわたしに何のようなの? あの病院から何か頼まれた?」

「ええ」

「サンザさん!」

 ラファがあわてたように声をあげた。

「依頼主のことを話しちゃまずいんじゃないんですか」

 彼女を気にしながら声を潜める。

「いいんですよ、今回は。隠しようもないし、お互いに手の内を見せて理解し合わないと」

「ふーん。面白いこと言うわね。それじゃ、あなたからどうぞ」

 めぐみが右手で散冴を促した。


「あなたは金央建設の津島さんを追っていた。彼は二年前に新井総合病院が長野に作った研究施設の設計を担当しています。あの病院との接点はそれしかない。何があるんですか、その研究施設に」

「そこまではたどり着けるわよね。その先の目的は何なの?」

「あなたにこの件の調査から手を引かせること、それが依頼内容です」

「本当にいいんですか、そこまで話して」

 心配顔のラファへ、散冴はいつもの通りおだやかな笑顔を向ける。

「話にならないわね。なぜわたしが手を引かなくちゃならないの」

 カフェオレに口をつけてめぐみは立ち上がった。


「あなたにとっても、悪い話ではないと思うんですが」

 帰ろうとするめぐみを散冴が引き止める。

「あなたが調べた内容によっては、その情報を私が百万円で買い取ります」

「えっ」

 声をあげて驚いたのは彼女ではなくラファだった。

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