第五話 交錯

「いいから一緒に来いよ。じっくりと謝ってもらうからさ」

「離してよっ」

「ごめんなさい、もう許して~って言うまで可愛がってやるからよ」

 下卑げびた笑いを浮かべた体格のいい男がラファに気づいた。もう一人のスキンヘッドに女を任せる。


「なんだテメェは。俺たちになんか用か?」

 刈り上げた頭へ薄紫のサングラスをずらし、太い声で凄んだ。

 ラファは男まであと一歩という距離で立ち止まる。男の方が少し背が高い。

「いや」

「なら、とっとと消えろや! いきがっといてビビっちまうなんてダセぇ野郎だな」

 鼻で笑い、なおもにらみつける。

 ラファはくるりと体を反転させた。と思った、次の瞬間――。


 すっと体を沈ませるとアスファルトを蹴り、反動をつけて男へ突っ込む。

 短距離選手のスタートを思わせる低い体勢で、男の腹へ肩から当たった。

 同時に両手を腰へ回しがっちりと組む。

 そのまま腕の力で男を引き寄せながら、肩で下から突き上げる。


 虚を突かれた男はバランスを崩し、空を舞った。真後ろに背中からアスファルトへ叩きつけられる。

 受け身も取れず、背中を打ちつけた反動で後頭部も鈍い音を立てた。


 ラファはすぐに立ち上がり、起き上がってこない男を見下ろしてからスキンヘッドへ近づく。


「こ、この野郎!」

 奴は女をつかんでいた手を離し、大きく振りかぶるように殴りかかる。

 そのときにはもうラファは間合いを詰めていた。

 スキンヘッドの拳が行き場を失い、力なくラファの背中へ当たる。

 組ついたラファが奴の腰を両手でつかみ、地面から引っこ抜くように押し倒す。

「うげっ」

 背中を打ちつけたスキンヘッドが、アスファルトとラファに挟まれたまま呻いた。


「お前ら、何やってんだ」


 周りを囲んでいた人だかりを割って二人の男が近づいてきた。

「警察だ」

 カーキ色のコートを羽織った年配の男はめんどくさそうに警察手帳を開いた。

御園みそのさん、こいつら神栄しんえい会のもんですよ」

 うずくまっている男たちを見て、グレーのスーツ姿の若い男が御園に声を掛ける。

「赤池、こいつらを知ってるのか」

「例の奴らと区役所裏で先月、トラブルを起こしています」

「どうせ縄張りシマの取り合いなんだろ? めんどくせぇ奴らだ」

 御園は顔をしかめて頭をいた。


「で、あんたらは何なんだ」

 口を尖らせた女が御園の前に進み出た。

「わたしたちはこの二人に因縁をつけられてたのよ。正当防衛です!」

「正当防衛ねぇ。ま、あんたらが怪我をしていればこいつらを引っ張れるが、逆なんてなぁ」

 そう言うと御園はうつむいて右手で二度、追い払うようなしぐさを見せた。

「いいんですか、聴取もしないで」

「こいつらが被害届を出すと思うかぁ?」

 起き上がろうとしている男たちを御園があごで指すと、赤池は口を閉ざした。

「それじゃ、わたしたちは帰っていいんですよね。行こう」

 女はラファの腕をとって歩き出す。

 その先には山高帽をかぶった散冴が人の輪から離れた所で立っていた。


「あいつ、山高やまたかじゃねえか……」

「え?」

 赤池が聞き返す。

「あそこに立っている帽子の男だよ。通称、山高。企業を顧客にしてヤバいことでも何でもやる万屋よろずやらしい」

万事屋よろずやって、あのアニメの――」

「はぁ? 何だアニメって。お前、万屋を知らねぇのか。なんでも屋のことで今のコンビニみたいなもんだよ」

「あぁ、そうなんですね」

 気のない返事で赤池は受け流す。

「それにしても、どうして山高ヤツがここに……。偶然なのか?」

 目を細めた御園は顔をしかめて頭を搔く。

ウチ銃器薬物対策第一係に絡むようなこともあったんですか」

「いや。山高はフロント暴力団関連企業からの仕事は受けない。でもあいつが動くのには何か裏があるはずだからな」

 やがて歩き出した三人の背中を、二人の刑事がずっと目で追っていた。



「助けてくれて本当にありがとう。やっぱり東京の人間って冷たいのね。みんな見て見ぬ振りだし」

「あんな男たちが相手じゃ当然だよ」

「でもあなたは助けてくれた」

「俺はああいうことをする奴らが大嫌いだから」

「でもあなたの相棒は助けてくれなかった」

 散冴の前まで歩いてくると、女は目を細めてにらみつけた。


 そんな女を気にする素振りも見せず、散冴は向きを変えた。彼を挟んでラファと女も歩き出す。

「彼なら一人で大丈夫だと思いましたから」

「あら、まるで自分も強そうないい方ね」

「サンザさんは俺より強いよ」ラファが口を挟む。


 文句を言うのを止めて女はラファの隣へ回り込んだ。

「わたしは鮎川めぐみ。フリーでライターをしているの」

 立ち止まってバッグから名刺を差し出す。

「俺はラファ。名刺は……ない」

 彼がちらと散冴をうかがったのを、めぐみは見ていた。

「ふぅん。そう」

 二人に目をやった彼女が軽く鼻から息を吐いた。

「まぁいいわ。とにかく今日はありがとう」

 ラファへ右手を挙げると新宿の雑踏へ消えていった。



 浜松町、貸し会議室。ここから望む東京湾はすでに深い闇色へと変わっている。

「これで全員がそろいました」

 山高帽を脇に置いた散冴が三人を見渡した。

「わたくしのせいでこんな時間になってしまい、申し訳ありません」

 立ち上がった小夜子が頭を下げた。

 そんな彼女を見つめるラファは微笑んでいるように見える。

 彼女とは初対面という南条が自己紹介をしてから、話を切り出した。


「国際サッカー場の建設って五つの企業が参加している設計コンペティションで決めることになっているよね。今回の仕事、『うちに取らせてくれ』じゃなくて『金央建設には取らせない』ってことでいいの?」

「ええ、そうです」

「そんなに嫌われているんですか、金央建設って」

 ラファは持ち込んでいた炭酸のペットボトルを口にした。

「信用されてないんだよ。ほら、相手へのリスペクトがあれば『あの会社なら仕方がない』と思えるけれど、そうじゃないってことなんだろうね。業績の伸びには黒い噂もあるって言ったでしょ」

「南条さんが言うと納得しちゃうんだよなぁ」

「それが僕の本業だから。キミも気をつけておいた方がいいかもしれないよ」

 詐欺師マジシャンの異名を思い出したのか、ラファが真顔になった。


「でもさ、『金央建設に取らせない』ってかなり難しいよ。コンペの審査員は十人くらいいたし、海外の建築家も入っていたからなぁ。過半数を買収するとしたって、資金も含めて容易じゃない。ま、だからこそ僕たちの出番なんだろうけれど」

「設計案を入手したって言ってましたよね。それを外部からネット攻撃して破壊することは出来ないんですか」

 ラファの問いかけに南条が身を乗り出した。

「技術的には可能。でもメリットがないね。大切な設計案だからバックアップも当然取っているし、やるならそのすべてを破壊しなければならない。それにね、もしそんなことが起きたらいち早く公表すると思うな。僕ならそうする」

「公表、ですか」

「私たちは被害者なんです、何者かが攻撃してきてデータが破壊されました! と言ったら日本中のほとんどが金央建設の味方になる」

「あぁ……」

 ラファは口を閉ざした。

「設計案を公表しても同じことだろうね。『スクープ! 金央建設のデザイン案を入手』なんてスポーツ紙が書きそうな見出しだけれど、もしそうなったら盗まれたと公表するよ、きっと」

「それじゃ、あのUSBはやっぱり無駄だったんじゃないですか」

「まだまだ甘いな、キミは。戦いに大切なのは敵を知ること。だよね? サンザ君」


 小夜子は座ったまま身じろぎもせず、男たちの話を聞いている。

 散冴は手袋をした左手の上に右手を重ねた。

「入手した設計案は依頼者へ提示してあります。コンペで競う相手がどのような案を出すのか、特徴的な提案があれば自社の案にも取り入れる。そうすることで、相手のアドバンテージを消すことが出来ます。もし欠点が見つかれば、自社の案では対応策を検討しておいてプレゼンの際に強調する。相手の欠点を強く印象付けることも可能です」

「どうだい。納得した?」

「いま聞いて俺は納得したけれど、南条さんもここまで分かっていたんですか?」

「もちろんだよ! 誰かをだますときだって相手を知ることが大事だからね」

 椅子の背もたれに寄りかかり、頬杖をついた南条がニヤリとした。

「それじゃ、もう仕事は終わったようなもんですね」

「それなら今日ここに呼ばれたりはしないさ。どんなストーリーが書けたんだい? サンザ君。彼女に来てもらったのは?」


 南条の視線を受けても小夜子は黙ったまま散冴の言葉を待っている。

「キーマンはこのプロジェクトの設計チーフ、津島です。彼のことは仕事ぶりだけじゃなく、プライベートや性格まで詳しく調べました。コンペのプレゼンも彼が担当します」

「それで?」

 南条が体を散冴に向けた。



 笑みを浮かべた散冴。

 表情を変えない小夜子。

 驚くラファ。

 楽しそうな南条。

 彼らが仕上げに向けて動き出す。

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