第九話 西へ

【東京駅 13:35】

 特急わかしおが停まったのは東京駅の地下四階にある京葉線のホーム。そして、新宿へ行く中央線快速は地上三階の高さに位置している。

 津島は地上へと続く長いエスカレーターを、荷物を持ちながら駆け上がった。

 京葉線は新しく作られた路線なので有楽町駅寄りにホームが位置している。一階に上がって来ても中央線まではまだ遠い。


「すいません!」


 動く歩道を横目に見ながら、たくさんの乗降客の間を縫うようにして走っていく。

 息が切れ、歩きながら腕時計を見る。快速の発車まで二分しかない。

 もう一度走り出し、ようやく中央通路までたどり着いた。

 だが中央線快速の乗り場は通路の最奥にある。ここで足を止めるわけにはいかない。

 中央通路を進み、息も絶え絶えになりながらエスカレーターを上るとホームでは発車を知らせる電子音が鳴り響いていた。


 津島が乗り込んだ隣りの車両には、スマホを操作するラファの姿があった。

「新宿行きの快速に間に合いました。スゲー根性ですね」

『真面目ですからね、彼は』

 すぐに散冴からのメッセージが届く。

『新宿に着いたら連絡を下さい』

「OK」

 スマホをポケットに入れ、ラファは手摺に寄りかかった。


【御茶ノ水駅 13:44】

 東京から二駅が過ぎ、ようやく津島の呼吸が落ち着いてきた。手には汗をぬぐうハンカチを持ったまま、うつむいて目を閉じている。


【四ツ谷駅 13:49】

 空いた席に津島が座った。身代金が入ったトートバッグは片時も離さない。

 隣の車両から彼を見ているラファに気づいた様子はない。


【新宿駅 13:54】

 平日の昼時でも、この駅の構内は多くの人でごった返している。

 ホームからコンコースへ降りるのも容易ではない。

 案内表示板で十四時発の特急あずさ二十九号を探す。

「九番線か」

 人の波を避けながら、津島は小走りに九番線へと向かった。


【新宿駅 14:00】

 津島は四号車に乗り込んだ。

 車内は五割程度の席が埋まっている。そのほとんどがスーツ姿の男性ばかり。

 終点の松本には十六時三十九分着と車内放送が流れた。

 まわりの目を気にしながら、津島はそっとトートバッグのファスナーを開けて中を覗き込んだ。たしかに一万円札の束が五つ入っている。

 再びファスナーを閉じてトートバッグを抱え込むと、うーんと唸り首をかしげた。


「もしもし、ラファです。いま津島があずさ二十九号に乗りました」

 徐々にスピードを上げてホームから離れていく列車を見送りながら、スマホを耳に当てている。

「いや、俺は今回なにもやってないし。これで報酬を貰うのは気がひけるくらいっすよ」

 軽い足取りでコンコースへの階段を下りていく。

「オゥケィ。それじゃまた」

 そのまま改札を抜けてラファは地下街の雑踏へまぎれていった。


【八王子駅 14:31】

 最後のショートメールから、既に一時間以上が経っている。

 わかしおと違い、あずさは停車駅間の距離が長い。次の甲府駅までは一時間弱もある。

 津島の顔からは身代金の運搬役という緊張が消え、不安の色が濃くなっていた。


 蘇我駅の西口にある駐車場には散冴がいた。停めてあったシルバーのワゴンの運転席に座り、スマホをハンズフリー通話に切り替えた。

「あぁ小夜子さん、散冴です。そちらの様子はどうですか」

『特に変わりはありません。あ、だめよ和樹くん』

 スピーカーから聞こえてくる子どもの声に笑みを浮かべる。

「すっかり懐かれているじゃないですか。さすがですね」

『最近のテレビゲームは小さなお子様でも遊べるようにできていますから。わたくしはそばにいただけです』

「楽しんでいるところを申し訳ありませんが、そろそろ終わりにして下さい」

『わかりました。あちらにはわたくしから連絡をすればよろしいですか』

「そうですね。お願いできますか」

『かしこまりました』

 通話を切った散冴はダッシュボードの時計を見る。


【八王子~甲府間 15:00】

 犯人からの連絡が途絶えて二時間が経とうとしている。

 左手に持った黒いガラケーへ何度も目をやりながら、落ち着かない様子を見せていた津島がびくっと体を震わせた。

 手の中でガラケーが振動している。

 すぐにショートメールを開いた。


『終わりだ』


 そこに表示されている四文字を見て津島の動きが止まった。

「どういうことだよ」小さな声でつぶやく。

 無駄とわかっているはずなのに、非通知設定へメール返信しようとしてあきらめた。そしてバッグの中へ手を突っ込んでスマホを取り出すと、デッキに移動した。

 ポケットに入れてあったメモを見ながら、十一桁の数字を押していく。


 眉間にしわを寄せたままスマホを耳にあてるとすぐに話し始めた。

「もしもし、木内さんでしょうか。私、津島と申します。あの……今日、西船橋で――」

 相手にさえぎられたのか、彼の言葉が途切れた。しかし、その表情にはみるみる明るさが戻っていく。

「本当ですか! よかった……本当によかった。あ、いま移動中なので甲府に着いたらあらためて連絡します。はい……それでは」

 通話を終えたスマホを握りしめたまま両手を膝に置いた。頭を垂らし、大きく息を吸うと一気に吐き出した。


【甲府駅 15:26】

 ホームに降りた津島はベンチを探して荷物を置いた。

「もしもし、津島です。先ほどはすいませんでした。それでお子さんは……ええ……そうですか。本当によかったですね」

 犯人の指示で新宿から特急あずさで移動していたこと、身代金の受け渡し指示はなかったことを木内に伝えた。

「そうおっしゃるのもよく分かります。こんなに手間のかかることをしておきながら、どうして犯人たちは身代金をあきらめたのか……とにかくお子さんが無事でほっとしました。僕のせいで、と不安が一瞬よぎりましたから」

 津島は新宿で木内と会う約束をして通話を切った。

「坂崎さん、プレゼンの方は上手くやってくれたかな」

 画面いっぱいに並んで表示されている着信履歴をタッチした。

 呼び出し音がスマホから聞こえている。

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