第4話 〈蛮勇の翼と葬列の淑女〉



「その子を、離してください。」

天使日向子はゆっくりと、繰り返す。

先ほどよりも少し大きいその声に、ゆらりと強姦魔たちが視線を向ける。

……薄汚い、厳つい、いやらしい顔の群れ。

見るだけで吐き気がしてくるような、醜い顔、顔、顔。

それが、ゆっくりと日向子の方を向いた。


「……あぁ?なんだお嬢ちゃん。お嬢ちゃんたちも混ざりたいのかぁ?」

下卑た笑い声が路地裏に反響して、不快な不協和音を増幅させる。

男たちの一人ががっちりと太い腕で少女を捕まえていて、一向に離す気配はない。

下着を無残に露出させられた少女は、恐怖にぶるぶると震え、青白い死人のような顔をこちらへ向けている。

その色の薄い唇が、微かに「逃げて」と言葉を紡いだ。

嗚呼、きっとこの少女は失望しているのだろう。

悍ましいけだものに襲われて、必死で助けを求めたのに。

やっと助けに来たのが、自分と同じような少女ふたり……。


そうだ。この近くにはまだ人がいたはず!

獣のような耳や長い耳のやつらはいっぱいいたんだ。

ガタイのいい男だっていた。背の高い男だっていた。

私たちよりは頼りになるはず。なのになんで誰も助けに来ない!?


その理由はすぐに分かった。

みんな、目をそらして、気づかないふりをしている。

どいつもこいつも。

必死に気づかないふりをして、仕事をしている。

奴らの気が自分に向かないようにと祈りながら。


ダメだ。

こいつらは頼りにならない。

心の中で唾を吐いて、すぐに天使日向子へと視線を移した。


「だから……その子を、離して、ください。って言っているんです。強姦は犯罪ですよ」

日向子は子供に言い聞かせるような口調で、強姦魔を説得しようとする。

だが、そんな少女の愛らしい囀りを強姦魔が真に受ける訳はない。

案の定、へらへらと笑っているだけだ。

そうしてへらへらと笑いながら、こんな事を口にした。


「お嬢ちゃんたちなあ……見た感じ貴族のお嬢様だろ?なら、お父さんたちから聞いてんだろ?なあ」


「こいつらは人間じゃねえ。人間じゃねえ人外どもには何してもいいんだってこと。犯罪だなんて、笑わせるぜ」


「本当はこのガキだって、俺たちに喜んで股開かなきゃいけないんだぜ?なのに人間様に向かって一丁前に歯向かいやがって、下等な人外のくせに、よっ!」


そうして男の一人が力任せに、少女の少し尖った耳を引きちぎる。

痛ましい少女の絶叫が、私の鼓膜を貫いた。


「そう……そんな酷い差別を受けているのですね、この街の皆さんは」

日向子が悲しそうに頭を振る。

「かわいそうに。そして……それをただ是とする皆さんも、かわいそうです」

日向子はただ憐みの目で、醜い男たちを見据える。


そうして、静かにステッキを構えた。

あの、性格の悪い女神から貰った魔法少女のステッキだ。

私のとは対照的に、白く輝いている。


「ごめんなさい。ちょっと痛い目に遭ってもらいます……」

男の一人が、馬鹿にしたように笑いながら杖を指さす。

と、同時に。


少女を押さえつけていた男の腕が吹き飛び、宙に舞った。


私も、少女も、強姦魔たちも、天使日向子自身も、『何が起こったかわからない』を絵に描いたような顔をした。

宙に、輝く白い翼が浮いている。

天使の羽を思わせるそれは、真っ赤な血を纏っていた。

あのきらきら光る翼が腕を切り落としたのだと、一拍遅れて理解する。

そこから先は、随分とあっけなかった。

男たちは恐れをなして、情けない声をあげながら逃げていく。

「人でなし」「覚えてろよ」……などと喚きながら。


「あの……助けてくれて、ありがとう」

おずおずとした少女の声で、はっと我に返る。

くりくりとした大きな目に、愛らしいそばかすのある顔が私と日向子を見上げていた。


「いいえ……わたしはすべきことをしただけ。それより、耳……かわいそうに、痛いでしょう」

日向子は少女のちぎれた耳を悲しむように、長い睫毛に覆われた目を伏せた。


「あ、ううん……そこまで痛くないの。ちょっと待っててね。」

そういいながら少女は中身が散乱したバスケットを拾い上げ、中から裁縫道具を取り出した。

そして、ちぎられた耳を慣れた様子で躊躇なく縫い合わせ始める。

ほら、これで元通り!と屈託なく笑う少女を見て、アンデット、という言葉が頭をよぎる。

あの死人のような顔色は、恐怖からではなく元からだったのか。


「あの……あたしアンナっていうの。お礼がしたいから、おうちまで付いてきてくれる?」

あっちだよ!と指をさした方向は果たして何の偶然か、丁度私たちが目指すクロウズ・グレイブヤードの方向だった。



「アンナ!よかった、今探しに行こうとしてたんです。あなたの帰りが遅いから」


大小色形さまざまの墓石が並ぶ綺麗な灰緑の庭。

その隣に建てられた石造りの小さな小屋から慌てたように出てきたのは、山羊のような角と灰色の翼が生えた、どこか陰のある女性だった。

青白く、深く刻まれた隈のある顔はアンデットであるアンナよりもよっぽど死人らしかった。

古ぼけた喪服のような黒いドレスの裾から、尖った尾がちらりと覗く。


「えへへ、大丈夫だよお姉ちゃん!この人間のお姉ちゃんたちが助けてくれたんだから!」

アンナはにこにこと笑って、私達を指す。

そして翼と角隠し忘れてるよ、と女に囁いた。

女は慌てて翼を畳み、頭の上で何やら手を振ると深々とお辞儀をした。

山羊のような角は、蜃気楼のように女の頭から消えていた。


「私の妹を助けてくださったこと、深くお礼いたします。つまらぬ有翼種風情ではございますが、私にできるお礼ならば何なりと」


……女は今にも土下座を始めそうだった。

さっきの路地にいた奴らもそうだ。ここの奴らは「人間」に対して怯えすぎる。

さっきの強姦魔の言葉といい、何かひっかかるものがあった。


差別される人外……。その存在は、嫌な予感を私の脳みそにばら撒いていった。



「そんな、お礼なんていいのです。顔を上げてください。でも……もしよろしければ、この街について教えてくださいません?」

お世話になった方にここを紹介されたのです、と日向子はあの目つきの悪い男に渡された地図を女に見せる。

女はそれをまじまじと見て、シュティルの字ですね、と呟いた。

その目は優しく細められ、息子からの手紙を受け取った老母のようだった。


「シュティルからの紹介ならば……信頼のおける方なのでしょうね。

私はデイジィ・クロウ。この墓地を預かる墓守アンナの姉で、この街唯一の葬儀屋です。」


女は淑女らしく、黒い陰鬱な喪服の裾を持ち上げ再び礼をした。

アンナは笑って、小屋のドアを開ける。


「できる限りでお話しましょう。アンネリヒト王国最下層、ユダ地区のことを」



〈5話へ続く〉

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