第55話 ヨルズの戦い③

 心臓に杭を打ち込まれたかのような圧力だった。

 こちらの機体は左腕を斬り落とされ、外部の様子を知るためのカメラも潰されている。

 撒いた霧が晴れたのかすらも分からない。

 動揺が伝わらないように心を押し殺すも、状況の悪さは変わらなかった。


 方向と距離だけはフェリスが正確に把握しているのが救いか。

 しかし、視えても見えない状態で仕留められるのか自分でも疑わしい。

 半球状のディスプレイは真っ黒だった。

 コックピットの中には銃声と陶器の割れるような音が響く。


(撃たれている。次元羽じげんはを展開すれば攻撃を防げるが……)


 おおよその角度を推測し、『ナイン・トゥエルヴ』を斜に向けてランスを盾代わりにした。

 背中のバインダーの冷却にはオイルジェルの循環が必要である。その間は油温が上がって機体の運動性能が低下してしまう。


 俺は計器類に目を向け、『ナイン・トゥエルヴ』のコンディションを把握した。

 油圧は低下し、油温は上昇。被弾によって一部のオイル流路が破壊されてパワーダウンしている。


(ダメだ。次元羽じげんはを使ったら裏目を引く可能性が高い。ライフルの弾を防げたところで、機体そのものがまともに動けなけりゃ勝機は無い)


『例の光や弾を捻じ曲げる装置はもう使わないのかい?』


 タイミングを見計らったように割って入ってくる。

 楽しそうなトーンだった。

 明らかにこちらの反応を伺っている。


『アレを使った後ってさぁ、機体の動きが鈍くなるよねぇ? 真っ当に考えれば冷却が必要なんじゃないかなぁ? おじさん、2回も見てるからなんとなく分かっちゃったけど』


 見抜かれていることに驚きは無い。

 けれど手をこまねいていれば、この暗くて狭い場所は棺桶に早変わりだ。


「方向・距離変わらず!」


 俺は飛び込むのを躊躇っていた。それ以外、攻撃方法は用意していない。

 シングルサブアームとナイフを絡めた奇襲を破られてなお、鞭のように扱って逆転してきた敵に恐れを抱いてしまう。

 まだ何か策を持っているのではないかという疑念は晴れない。


 けれど、このまま突っ立っていたら蜂の巣にされて死ぬ。

 足元のペダルを踏み込んだ。

 自分の身体なのに重く、なかなか言うことを効いてくれない。

 薬品で誤魔化している痛みがいつ噴き出してもおかしくはなかった。


 三本腕の機械巨人ギアハルクを斃すために今日まで生き永らえている。

 復讐心は消えもしなければ薄まってもいない。


 それを達成できないまま死ぬとしたら……何よりも恐ろしい。


 プレッシャーに押し潰されて既に走り出している。

 フェリスはやや声を上擦らせながらも方向を告げ、距離をカウントしてくれた。


 時間が圧縮され、一瞬が永遠のように感じる。

 院長先生、ラインヒルデ、メッサー、アルベルト……色々な人の顔が浮かんでは消えていく。


 滅びた帝国に、腐敗した共和国。

 異端の技術をもたらした『彼ら』と、王の血に刻まれた『獅子の瞳』、伝説の機械巨人ギアハルク『ナイン・トゥエルヴ』……


 他に何があっただろうか?

 記憶の奔流に呑まれ、俺は宙に浮いていた。

 現実が焼き切れていく。


 あと数秒後には、コックピットハッチの装甲を貫通して70mmの弾丸が飛び込んでくるかもしれない。

 命中すれば人間などバラバラだ。肉片も残らず血煙と化す。


 その想像力と両親が死んだときの光景が重なった。

 鮮血と吹き上げて崩れ落ちる姿は徐々に見慣れたエプロンドレス姿の姉へと変わっていく。


 何故だ?

 どうやればこんな土壇場で集中力を切らす?

 ビビっている場合じゃないだろ?


 遊離していた俺の意識を、俺自身が殴り付ける。

 それと同時にフェリスの叫びが鼓膜を震わせた。


「勝てッ! ヨルズ!!」


 鼓舞されて視界が元に戻る。といっても、だ。

 無骨な計器に操縦桿に真っ暗な画面。

 銃声は続いている。


(屈折水晶を通して見ようとするから、見えないんだ! 俺自身の目が潰されたわけじゃない!)


 実に嫌な閃きが頭を駆け巡る。

 次元羽を使わず弾丸の雨を防ぎ、カメラアイを通さず敵の動きを見る唯一の方法だ。


 自分は所詮、奇襲で勝ちを拾い続けてきた男である。

 今回もまたそうなるだろう。

 そんな細い勝ち筋を手繰り寄せるため、全力を出す。


自棄やけを起こしたかなぁ?』

「まさか!」


 俺は『ナイン・トゥエルヴ』の脚運びを変え、クルリと敵に背を向けた。

 背から生えたバインダーがライフルの斉射に晒され、該当部位を示す油圧計が悲鳴を上げている。


 けれど後ろへ向けて走るわけじゃない。

 背中を相手に見せながら前へ進むのだ。

 これまで前から響いていた銃声が背もたれ越しの音へと変わる。


「6時の方向! 距離70!」


 機械巨人ギアハルクの歩幅は頭に叩き込んであるし、身体にも染み付いている。

 だから1歩でどれだけ距離が詰まるのかなど考えるまでもない。

 バインダーの直下にあるオイルジェルの冷却装置が撃ち抜かれたのか、油温が急上昇して警告音が鳴った。

 これが正真正銘、最後の攻撃となる。


「自分の身を守っていろ、フェリス!」


 大声でそう告げた俺は

 カメラアイが破壊されてしまったのなら直接見るしかない。


 曇天の下、遠くにはカラカスの街が広がっている。

 痩せた大地はモノトーンだった。

 討つべき色はそれじゃない。血の色だ。


「7時の方向! 距離20! 時計回りに避けようとしている!」


 右、左、右とステップを踏んで1回転すると景色が真横に流れていく。

 ハッチを開けた向こうに鮮やかな紅が一瞬、見えた。

 敵は隠し腕のナイフと片方のライフルを失っている。

 火力を保持するため、残った一丁を庇う方向に逃げると予想していた。


 正解である。

 下肢から腰へ回転を伝え、右腕のランスを解き放つ。

 衝撃すら発生しそうなほど鋭い一撃と、『オンスロート』の回避方向が重なった。


 胸部から背中へ。

 あれほど手こずらされたシングルサブアームが根本から吹き飛び、乾いた音を立てて地面で跳ねた。


 渾身の一撃は『オンスロート』のコックピットを貫いている。

 それと同時に『ナイン・トゥエルヴ』はオーバーヒートし、一切の入力を受け付けなくなった。


 ランスを伝って真っ黒いオイルジェルが垂れ流れている。

 油と火薬の焼ける臭いが鼻を突き、極度の興奮状態から冷めていった。

 幸い、こちらのコックピットには装甲の破片ひとつとして飛び込んできていない。

 フェリスは茫然としながら俺の方を振り返った。


 流石に驚いたのだろう。

 目を見開いたままで、声が出ないようだ。


「終わったよ」


 指先が緊張で固まってしまった。ゆっくりと呼吸し、操縦桿から手を離す。

 抑え込んでいた全身の痛みは気を緩めた途端に目を覚まし、俺は懸命に情けない悲鳴を押し殺した。


 だが……


『呪われ……ろよ……  バーカ……』


 潰れた筈のコックピットから通信が入る。

 フェリスも俺も青ざめて咄嗟に身構えてしまう。


 けれど怨嗟の声はそれ以降、一切聞こえなかった。

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