第五話 デート未満

 翌朝、朝食ができあがる時間になっても、イノーラは部屋から出てこなかった。


「ねぇ、朝だよ。起きてる?」

「うん」


 ノックをしてからリオンは問う。すると、意外にもはっきりした声でイノーラは返事をした。


 リオンはちょっと面食らった後、ドアの向こうにもきちんと聞こえるように声を張り上げた。


「開けてもいいー?」

「うん」


 返ってきたのは平静な声だ。リオンは何の疑いもなくドアを引き開けた――のだが。


「え」

「ん?」


 部屋の中にいたのはイノーラだった。ただし、一糸まとわぬ――真っ裸の姿だったが。


 リオンは勢いよくドアを閉めて叫んだ。


「ちょっと! なんで裸なのさ!」

「服、ない」

「なんで!?」

「どうした、二人とも?」


 流石に朝はシラフな顔をしたマドックが寄ってくる。リオンは派手なジェスチャーをしながら必死で訴えた。


「父さん! あの子、服着てないんだよ! 他の服がないとか言って……」

「あー、しまった。イノーラは着の身着のままで来ちまってたんだったな」


 マドックはぼりぼりと頭の後ろをかいて、部屋の中のイノーラに大声で言った。


「おーい! 母さんの下着と服が、右奥のクローゼットに入ってる。とりあえずそれを着てくれ!」

「分かった」


 ごそごそと物を動かす音が響き、イノーラは衣服を着用してくれているようだ。


「まあ、ちょっとぶかぶかになるだろうが、無いよりはマシだろう」


 義父はうんうんと首を縦に振る。そして、笑顔のままリオンの肩に手を置いた。


「リオン、イノーラと一緒に服を買ってきちゃくれないか」


 一瞬間が空いた後、リオンは後ずさった。


「ええっ!? なんで僕が!」

「バディの交流にはそういう共同作業も必要ってことさ」


 手を顎に置いて、マドックは格好つける。リオンは足を踏みしめて彼に抗議した。


「義父さん、そもそも僕は戦姫技師になることを認めたわけじゃなくて!」

「でも戦姫の世界に近づけるのはこの方法しかないぞ?」


 うぐぐとリオンはうなる。義母の部屋のドアがぎいっと開いた。


「お待たせ」


 出てきたイノーラに、リオンは露骨に顔をしかめる。


 まず下着のサイズが合っていない。胸の布は余ってしまっているし、そもそも肩紐が長すぎる。お願いだから調整してほしい。


 その上に着ているTシャツ――確か義母が部屋着に使っていたものだ――は、丈が余ってしまっていて、襟ぐりが大きく開いたチュニックもどき状態。


 義母は背が高かったし、イノーラはリオンと同じぐらいの身長だから仕方がないのだが、下に履いているズボンもだぼだぼだ。


 仮にも服飾関係に携わっている人間として、彼女のような可愛い部類に入る女性がこんなファッションをしているだなんて許されない。


 自分の洗練されていない服装は棚に上げて、リオンはふつふつと怒りが湧き出てくるのを感じていた。


 リオンはイノーラの手首をつかむと、居間の椅子に無理やり座らせた。


「食べて!」

「うん」


 机の上にはトースターでこんがりと焼いた食パンとジャムと牛乳が置かれている。リオンはそれを急いで口の中に詰め込むと、自分用の上着を二着持ってきて一着をイノーラに押し付けた。


 ようやく食べ終わったイノーラは素直にそれを受け取り、もたもたと袖を通しはじめた。


 リオンはそれを苛立ちながら待ち、着終わったと判断した直後、彼女の手首をつかんで家から引きずり出した。


「ほら、行くよ!」

「どこに?」

「買い物!」


 勢いよく自宅のドアを閉め、リオンは彼女から手を放してのしのしとファッション街へと歩いていった。イノーラはその後ろを不思議そうな顔をしながらとてとてと早歩きでついてくる。


 しかしその足音は次第に聞こえなくなっていき、不安になったリオンは苛立ちながらも振り返った。


「ねえ、ちゃんとついてきて――」


 る、までは言えなかった。


 イノーラは遥か後方で、飲食店の客引きに捕まっていたのだ。


「実はここから五分の場所においしいレストランがあるんですが」

「うん」

「パスタが特に絶品で」

「うん」

「よろしければ、この後一緒に行きませんか?」


 訂正。多分あれはただのナンパ野郎だ。


 普段なら目を逸らして、見なかったことにしたい部類の人間だが、頭に血が上っている今のリオンには怖いものはなかった。


「ねえ!」


 遠くから呼びかける。イノーラは無表情のまま振り返った。


 リオンはそんな彼女につかつかと近寄ると、再び彼女の手首をがしっと掴んで歩き出した。


「行くよ!」


 ぐいぐいと引っ張ると、イノーラは素直にリオンの後ろについてきた。リオンは大きく息を吐く。


「もうこのまま手繋いでよう……」

「なぜ?」


 きょとんとした声が後ろから響き、リオンは振り返らないままいら立ちを隠さずに言った。


「危なっかしいんだよ、君が!」


 そのまま十分も歩けば、ショッピング街へと出る。高級ブティックが立ち並ぶ大通りを通り過ぎ、狭い道にある古着屋の前で二人は立ち止まった。


 そんなに予算はないからここでいいか。


 リオンは木製の扉を引き開ける。からんからんと、ドアについたベルが鳴った。


 ほぼ同時に店の奥から顔を出した女店主に、リオンは軽く頭を下げた。


「あれ? リオンくんじゃないか。冬物の買い足しかい? それともバラして生地にする服探し?」

「え、ううん。今日は違うんです」


 リオンの後に続いてイノーラも入店してくる。店主は目を丸くした。


「あらぁ、可愛い子だね。リオンくんの彼女?」

「ち、違います! この子は僕の……」


 言葉に詰まり、リオンはふさわしい答えをぐるぐると考え始める。店主とイノーラの視線を一身に受けながら、リオンはうつむいたまま答えた。


「僕の相棒未満、っていうか……」


 ぼそぼそと言うと、店主はしたり顔で笑った。


「うんうん、そうかそうか。若いっていいねえ」

「だから違うんですって!」


 否定しても店主はにまにま笑ったままだ。リオンは顔を真っ赤にして声を張り上げた。


「とにかく、この子に合う服を探しに来たんです!」


 店主は楽しそうに笑んだまま、リオンから見て右手を指してみせた。


「そういうことなら右奥に女の子向けの服があるよ。……って言っても釈迦に説法か」

「いえ、ありがとうございます。探してみます」


 この古着屋はリオンの行きつけの店だ。女性ものは買ったことがないが、男性ものの場所は知り尽くしている。


 リオンは狭い通路を通り抜け、所狭しと並ぶ女性ものの服をぐるりと見回した。


「よし!」


 自分に一度気合を入れ、ハンガーの海からいくつかの女性服を見繕う。


 自分と同じぐらいということは、イノーラの身長は一五五センチ前後といったところだ。なら、Mサイズの若干丈が長めのものがぴったりのはず。


 暖色を基本に三着、寒色を一着選ぶ。これから寒くなるだろうから、あとでコートも選ばないと。


 リオンは次々と冬物を棚に積み上げ、次の棚に移ろうとした。


 これでトップスはOK。じゃあ次は――


「あっ」


 とある事実に気づいて、リオンは選んだ服を陳列棚に置いたまま店主に声をかけにいった。


「あの、店長さん……」

「うん? どうかした?」


 気さくな店主がひょっこりと顔を出す。リオンは言いづらそうに切り出した。


「こっ、この子に合う下着を見繕ってくれませんか……?」


 店の端にある唯一の新品コーナー。壁にかけられたブラジャーたちの群れを直視できないまま、リオンは指さす。


「そうか、そうだね。任せなさい。きっちりぴったりのものを選ぶよ」


 店主はイノーラを連れて試着室につれていく。


 そのすきにリオンは残りの服を選んで試着室の横へと持っていった。


 胸の採寸も終わり、無事に下着姿になったイノーラは、リオンが選んだ服を身に着ける。


 茶色のショートブーツ。黒タイツ。ゆるやかなプリーツがついた白色のロングスカート。襟付きインナーに、丈が短めな毛糸のチュニック。その上には薄茶色のケープコート。


 本当は帽子をかぶってもらいたかったが、頭には小さめとはいってもヘッドドレスがついているので断念した。


 リオンが満足そうに鼻から息を吐いていると、イノーラはきょろきょろと自分の服装を見回して、困ったような視線をリオンに向けてきた。


 そんな目を向けられたリオンは、こちらも困ってしまって、眉尻を下げた。


「ええと、似合ってるよ」

「似合う?」


 イノーラは首をかしげる。リオンは一気に自身がなくなり、うつむいてちらちらと彼女をうかがった。


「……あんまり嬉しくなかった?」

「…………」

「ええと……?」


 さらに困惑してリオンはイノーラを見る。彼女は首をもとの位置に戻すと、無感情な声色で答えた。


「普段着で褒められるのはそれなりに」


 相変わらず言葉が足りない。


 せめていいのか悪いのかはっきりしてほしい。反応に困るから。


 少しの沈黙の後、イノーラはリオンが選んだ服を全て持ち上げた。


「これください」


 気に入ったのかどうでもいいのかは分からないが、そのまま全部をレジカウンターに持っていくイノーラ。この中から試着して選ぼうと思っていたリオンは、ちょっと青ざめながら財布を持って駆け寄った。


 バーコードを通しで徐々に増えていく金額を見守っていたが、ちょうど財布の中身より少し少ない額で上昇は止まってくれた。


 リオンは大きくため息をつく。


 よかった。なんとか払えそうだ。


「店長さん、このまま着替えていってもいいですか」

「いいとも。今、値札を外すね」


 着てきた義母の服を袋にまとめてもらい、行きよりも幾分かマシな服装でリオンとイノーラは古着屋を後にする。


 二人はそのまままっすぐ家に帰ろうとしたのだが――突然イノーラが一点を見つめ出し、リオンも立ち止まった。イノーラが見つめていたのは、道端に建つクレープ屋台だった。


 歩いている途中の姿勢のまま動こうとしないイノーラをうかがい、リオンは尋ねる。


「食べたい?」


 イノーラはリオンに視線を戻すと、じーっと彼を見てきた。だんだん彼女の扱い方が分かってきたリオンは、ハァとため息をついてクレープ屋台へと歩いていった。


「公園で休憩しよっか。おなかも空いてきたし」


 こくりとうなずいてイノーラもそれに続く。


 イノーラが買ったのはバナナチョコアイスで、リオンが買ったのはシュリンプエッグだ。


 思いのほか大きく口を開けて、イノーラはクレープにかぶりつく。リオンはその様子を半ば呆気にとられた気分で見守っていた。


「冷たくないの? こんなに寒いのに……」


 コートを着ていると言ってもほとんど冬に近い気温だ。アイスなんてこんな時期に頼むようなものではないのだが。


「おいしい」

「ならいいんだけど……」


 平然と答えるイノーラについて考えるのを諦め、リオンは自分のおかずクレープに口をつけようとしたのだが――


「危ないっ!」


 クレープから落ちたアイスの雫を、リオンはすんでのところで手で受け止める。イノーラは突然の彼の行動にびっくりしているようだった。


「今買ったばかりなんだから服にこぼさないでよー!」


 あとちょっとで汚れるところだったスカートを見ながら、リオンはティッシュで手を拭く。


「ごめん」

「本当に悪いと思ってる?」


 ぷくっと頬を膨らませてリオンは抗議する。だがイノーラはどこ吹く風だ。


 リオンはハンカチを取り出すと、イノーラの太ももの上に広げて置いた。


「はい、これ敷いて食べて」

「分かった」


 そこからは無言で二人はクレープを食べ続けた。二人の足元には、おこぼれを狙った鳩がうろうろとしている。イノーラは先に食べ終わり、それを見ていた。


 リオンは食べる手を止め、その横顔を見る。いつも通りのすまし顔だ。何を考えているのか全然分からない。


 分かっていることは、無感情に見えて頑固なことと、かなりのトラブルメーカーなことぐらい。


 相棒になれと言われているのに彼女のことを何も知らない自分に気づき、リオンは思わず彼女の横顔に尋ねていた。


「君はさ、どうして戦姫になろうと思ったの?」


 イノーラはリオンを見る。その無表情な顔にちょっとイラっときて、むすっと顔をしかめて重ねて聞いた。


「というか、なんで僕の言うことを聞いてくれないの? 僕がプロの技師じゃないから?」


 最初に返ってきたのは沈黙だった。


 今回もきっと視線ではぐらかされてしまうんだろう。


 そう思ったリオンが諦めかけたその時、イノーラは唐突に口を開いた。


「私は何でも踊れる」

「え?」


 リオンは尋ね返す。イノーラは真剣に答えた。


「私は何でも踊れる。そのためにヘッドドレスこれもつけている」


 一拍置いて、リオンは脱力感に見舞われた。


「答えになってないよ……せめて会話を成り立たせて……」


 イノーラは無表情で淡々と言った。


「会話してる。あなたが喋って、私が喋ってる」

「知ってる? 君のそれは会話って言わないんだよ」

「知らない」

「でしょうね……」


 リオンはがっくりと肩を落とす。


 だけど、彼女が常に身に着けているヘッドドレス。あれは戦姫としての適性を上げるための感情調整器具だ。


 戦争が行われていた頃は、適性を上げた兵士が必要だったため使われていたらしいが、今では使う人なんてほとんどいない時代錯誤な代物。


 それをわざわざ装着しているということは、彼女は戦姫としての適性が低いということなのだろうか。だけど、それならどうして自分で踊れるなんて言うんだろう。


 ぐるぐると考えながら足元をうろつく鳩を見ていると、不意に聞きなれた嫌らしい声がすぐそばから響いてきた。


「あれあれぇ? 変人くんじゃないか」


 顔を上げると、そこにいたのはエアハート兄妹。よく自分に嫌な意味で絡んでくる二人に、リオンはさっと顔色を悪くした。

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