第4話 輝々比古男(かがひこお)とオト彦根(ひこね)

 つち族の蛇神かかかみシロタエに大いなる試練しれんがおそっていた頃、時を同じくして、あめ族にも悲劇ひげきが訪れていた。父神、輝々星かがほしの突然の出奔しゆっぽんによって族長となった輝々比古男(かがひこお)は、一族の者たちと共に斎祝詞いつきのはうりのことのはを捧げた。かがり火を列石れっせきの周りにき、箒星ほおきぼしの尾で覆われた極星きわぼちに向かって、心の奥深くから祈りの言葉をあげた。


「おそれ多くも、あめのみなかぬしの神、たかみむすびの神、かみむすびの神の御前おんまえに、宇都志うつしの世継ぎを受けた輝々比古男かがひこおが、おそれおそれみ申す。」

 族長となって初めての祝詞のりとであった。予期せぬ族長の交代であったが、輝々比古男かがひこおは、覚悟したのか、物静かに落ち着いていた。


 「日めぐり、月めぐりて久しけれど、赤き箒星ほおきぼしは未だ衰えず。わが極星きわぼち、たかみむすびの神を覆いて隠す。天水あめ、降らず、日弱く、赤き星屑ほしくずのほか輝く星はなし。空飛ぶ鳥なく、蜂、虫の姿見えず。大地は木枯れて花咲かず。川渇き、魚もなし。生きとし生けるものの姿、日に日にうすれけり。一族の命運に希望の光なし。これ、あめとつち、昼と夜、光と闇、生と死をつかさどる大御神おおみかみの怒りなり。」


 輝々比古男かがひこおは、冷静に現実を受け入れ、あめつちの神にひれ伏した。

 「いまここに、極星きわぼちに向かい、わが祖神たかみむすびの神に誓い申す。天津御虚空あまつみそらの巡りめく、日、月、星々あめつちのことわりを守り、一族とその子孫に伝え広め敬い祀り申す。朝夕、日のあがり、日の入りに、かしわ手を打ちこうべれ、月の満ち欠けを日々の道しるべとして奉(たてまつ)る。生きとし生けるものの命をおろそかにせず、大神の声に耳を傾け従う。われら一族、天津御虚空あまつみそらの御心と命をともにし、いまのあることに手を合わせ、あめのみなかぬしの神、たかみむすびの神、かみむすびの神に誓い申したてまつる。」


 たどたどしくはあったが、若く力強い斎祝詞いつきのはふりのことのはが終わると、夜空を覆いかぶさっていた雲間くもまから、一瞬、光が差し込み、列石の石柱を照らした。石柱の前でかがり火に揺れる新しき族長は、月の光に照らされいっそう輝いた。


 乾いた砂霧すなぎりは晴れ、一族の皆は感動の雄叫おたけびびに震えた。輝々比古男かがひこおは、全身に月の光をうけ、神々に手を合わせた。一族のものたちは、新しき長神おさがみの思いと一つになり、さらに大きな歓びの声となった。そしてその声は湿った雲となって天に響いた。

 天水あめが、ポツリポツリと燃え盛る炎を湿らせた。人々の興奮は頂点に達した。しくも、つち族の蛇姫かかひめシロタエが葬られている同じ時であった。


 ところが、人々の歓喜かんきの声にもれて、若き族長、輝々比古男かがひこおいぶかしむ従兄いとこ、オト比古根ひこねの表情は厳しかった。輝々比古男かがひこおが族長に就任したのは、まさに父神、輝々星かがほしが出奔の前日、十七歳の誕生を迎えた日であった。族長の世継ぎは、すでに自分の弟であるオトウツシと定められていたのだが、輝々星がほしは、いきなり息子の輝々比古男かがひこおに族長を命じた。


 輝々星かがほしは、オトウツシにゆるしをうた。

「わが弟、オトウツシよ、ついに「あめつちの約束の日」がやってきた。われは、直ぐに、この地を離れなければならない。わが息子、輝々比古男かがひこおとともに、六月むつきを忍んでくれ。六月むつきの後に輝々比古男かがひこおを迎えにやる。われの代理として六月むつきの間、息子をたかみむすびの神に捧げる。オトウツシよ、日高の国を守ってくれ。われはあの赤き箒星ほおきぼしを追わねばならない。」

 と言って出奔しゅっぽんした。


「北の極星きわぼちに赤き箒星がかかる時、「千年(ちとせ)の結び」は解ける。族長はすぐさま、息子に族長をゆずりてこの地を去り、箒星ほおきぼしを追え。」


 輝々星かがほしは、族長就任の時、たかみむすびの神との約束事やくそくごとをオトウツシに伝えた。千年の昔からの伝えであり、代々、世継よつぎの折に、受け継がれてきた。突如とつじょとして現れた巨大箒星きょだいほおきぼしは、あめ族のおさ輝々星かがほしを驚かせた。


 輝々星かがほしは「千年(ちとせ)の結び」が、自分の身に降りかかるとは考えも及ばなかった。なすべきもなく、心定ころさだまるいとまもなく、あわてて戸惑い、帚星ほおきぼしを追い求めて去った。


 この決断けつだんは間違いではなかったが、いきなりの出奔しゅっぽんは、一族にとって、大いなるわざわいをもたらした。一族の危機が目の前に迫った。オトウツシは、兄、輝々星かがほしの言いつけを守り、兄の子、輝々比古男かがひこおを族長とすべく日夜の時をさいた。


 ところが、オトウツシには、輝々比古男かがひこおの一つ年上の息子、オト比古根ひこねがいた。オト比古根ひこねは、族長の突然の出奔しゅっぽんと理由なき族長の交代に不満であった。輝々比古男かがひこおに対する父オトウツシの愛情と情熱の傾斜に大いなる嫉妬しっともあった。


 オト比古根ひこねの不満は、輝々星かがほしが星読みの占術師うらないしを集め、箒星ほおきぼしの動きに力を注ぐよう命じて以来、次第に高じていった。輝々星かがほしは何が何でも赤箒星あかほおはぼしに夢中であった。あめ族やつち族のことよりも、赤き箒星ほおきぼしたましいを奪われていた。

 

 オト比古根ひこねは、このような時こそ、あめ族はつち族と共に、大地の命を守るという先祖の教えを守るべきであると主張した。だが、輝々星かがほし星読ほしよみを専門とする占星術師うらないしのキトをあまりにも重視した。キトは、極星きわぼちを中心に、巡り行く星々の動きを熟知し、天津御虚空あまつみそらを自由に動く五つの星を見ては、あめ族の行く末ばかりを占った。


 キトの占い通り、赤箒星あかほおきぼしが迫るにつれて、寒気はさらに厳しく、見たこともない嵐や津波、地震が押し寄せた。その度に、多くの人々の命が失われたのだが、キトは、失われた命を取り戻すことも、防ぐこともしなかった。

「われは、星の動きを占う術師なり。人の生き死は長神おさがみの務めでありましょう。」

 と言って、民の命に寄り添うことはなかった。


 オト比古根ひこねは、このようなキトの一言、一言が気にさわった。赤箒星あかほおきぼしの動きも大事であるが、人々の心を落ち着かせることの方がもっと大切であると思っていた。しかも、世継ぎとなった輝々比古男がひこおもまた、キトの言いなりであった。


「一体、だれが日高の行く末を守るのか。このまま帚星ほおきぼしのまなすがままに、日高の国は亡びてしまうのか。」

 オト比古根ひこねはそう言って、怪我人けがにんや病い人を岩穴の避難所ひなんじょに人々を集めては看病かんびょうし、命果てる人々の希望となった。


 新しい族長、輝々比古男かがひこおは、先祖神の御前(おんまえ)に、一族を代表して高らかに祝詞のりとを掲げ、今や、その役割を十分に果たしたかに見えた。

 しかし、輝々比古男かがひこおが奏上する祝詞のりとの一言一言は、オト比古根ひこねの耳には、あまりにも空々しく、むなしさを感じるばかりであった。無責任にも出奔した輝々星かがひこに続き、キトに頼った世継ぎ輝々比古男がひこおの行いに、オト比古根ひこねの心は、もはや耐える力を失っていた。


 輝々比古男かがひこおが祈りを終えて、一族の皆々と喜びに浸っている姿を見ると、オト比古根ひこねは、いよいよ逆上する血がさわぎ、身体を流れるくだの音さえ聞こえた。これまで抑えていた怒りがつのりにつのって、破裂はれつせんばかりであった。


 天水あめが降り注ぎ、一族の皆々から歓喜かんきの声が上がった時、オト比古根ひこねは、ついに、怒りの心が爆発した。こしに差した石剣を握り、輝々比古男かがひこおの前に飛び出すと、いきなり喉元のどもとを突き刺した。輝々比古男かがひこおは、首根くびねから血を吹き出し、その場に倒れた。兄、輝々星かがほしとの約束を守ったオトウツシは、頭を抱え天を仰いだが、すでに輝々比古男かがひこおの息は絶えていた。


「なんと、おぞましや。あめ族の血筋が途絶える。乾いた大気の中で、ようやくあめ族とつち族に湿った潤いが戻り始めたというのに。」


 オトウツシの眼から放たれた鋭いまなざしは、息子オト比古根ひこねに注がれた。その眼光は、わが息子の頭髪から、胸、腰、足のつま先まで全身につき刺ささり、殺意さついにみなぎった。


 あろうことか、オトウツシは祭壇さいだんに掲げられた宝剣ほうけん八拳剣やつかのつるぎを抜き、一太刀ひとたちに息子の首をねた。あっという間に二人の若者の命が亡くなった。オトウツシもまた大いなる罪を犯してしまった。


 ひと月が立ち、ふた月、み月が立った。冷静さを取り戻したオトウツシは、兄、輝々星かがほしのことを思い出していた。「約束の日」とは、あめ族最後の日のことであったのか。


 輝々星かがほしはなぜ、そのような約束を、たかみむすびの神と結んだのか。自分はなぜ、わが子の首を刎ねなければならなかったのか。オト比古根ひこねは、志高く、望みもあったのに、血筋の弟の命を奪った。しかもそれは、世継ぎを終えたばかりの族長への反逆であり、一族と、たかみむすびの神への反逆であった。自分は、その反逆のために、わが子の首を刎ねなければならなかったのだろうか。

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