3/5 利に合して動き、利に合せずして止む(訳:あ、ブラックコーヒーはちょっと……)


「湯冷まししたお湯でも大丈夫?」

 テーブルに白湯を注いでおいた湯呑を置く。

「猫舌でも飲めるくらいにはぬるま湯だと思うけど」

「ははは、人の身に姿を変えた今のオレならマグマでも飲み干してやろう!」

「流石に人でもマグマは飲まないけどね」


 レオが両手でしっかりと湯呑を掴む。

 口元まで掲げ、白く濁った表面をじっと見つめる。

 もう湯気すら立っていない。

「…………」

 ぎゅっと目をつむる様子はまるで苦い薬を飲む子供のようだ。

 恐る恐る口をつける。


「どう? 大丈夫?」

「ふふ、この程度ならマグマすら恐るるに足らんな」

「多分無理かなー」


「ところで我が主マスターが飲んでいるものはなんだ」

「これ? コーヒーだけど」

 飲みかけのカップをテーブルに置き、斜めに傾けて中身を見せる。

 ミルクは入れずに砂糖は二杯。

 これが昔からのスタイル。


「じー……」

「駄目よ。猫がコーヒーなんて飲んだら危険なんだから」

「飲んだらどうなるんだ?」

「カフェイン中毒みたいな症状が出るから……きっとマタタビみたいな感じかしら」

「ふーん」


 ことり、と。

 静かに湯呑が置かれる音がした。


「その混沌たる深淵を覗きたるとき、我もまた深淵なり……」

「なんか難しいこと言おうとしてわけのわからないことになってるよ」

 まったく深そうで深くない格言だ。


「とーおぅ!!」

「あっ!」

 目にも留まらぬ早業で、レオの右手はカップを掴んでいた。

 猫パンチの素早さは健在のようだ。


あっつ!」

「そりゃそうでしょ」

 再び目をぎゅっとつむって舌を出す仕草。

 想像通りだが、なんとも可愛らしい。

 やっぱり猫だわ。



「食事の準備できたよー」

 当然ながら一人暮らしの冷蔵庫に生の魚など常備していない。

 もちろん猫の餌もしかり。

 よってツナ缶である。

 サラダ菜を敷いてマヨネーズをかければ立派なサラダになる。

 猫にはあまりよろしくないのでマヨネーズはちょっとだけ。


「おおっ、これまた懐かしい匂い……」

「ウチいつも同じツナ缶だったから、これなら食べたことあるでしょ」


 自然な流れでレオの前に箸を置いてから、しまったと思った。

 しかしこれまた自然な流れでレオは箸を握り、器用にサラダを食べ始める。

「あなた箸使えるの!?」

「ふっふっふっ、猫は器用なのだ。見様見真似ではあるが、これくらい朝飯前だ」

「ふーん」

 えっへんと誇らしげにしているので、幼児のように握りしめる持ち方なのは黙っておこう。

 いつか矯正イベントが発生するのだ、きっと。


「私もなにか作ろっかな」

 キッチンに向かい、コンロに火を付ける。

「……」

 それを後ろをからじっと見つめる視線。


「炎を見るともう一人の人格が現れるのだ……うっ!」

影羅エイラじゃないんだから」

 ネットの痛い話で有名な二重人格の少女のことだ。

 こういうものに一時期憧れたが、この話を読んで二重人格という設定は思いとどまった。

 ……レオを使って腹話術師のような真似事はやったが、それくらいは誰もが通る道でしょう。

「しまった、箸なんか使わずに手づかみで食べた方が野性味溢れて良かったのか!?」

「汚れるから絶対にやめてねー」


「あれ? 私お皿出しっぱなしだたっけ?」

 テーブルの上には汚れ一つ無いお皿が一つ置かれていた。

「ツナ一粒残さず平らげ、鏡のように磨き上げたぞ」

 確かにお皿は洗ったようにきれいだった。

 うん、昔から食べ残しせずに最後まで舐め取るような子だった。

 ちょっと細かい傷があるような気がしなくもないのだが、気にしてはいけない。


「わー、偉い偉い。上手に食べられましたー」

「そうだろうそうだろう、良きに計らえ」

 あれ? 立場が逆転している……?

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