第32話 残されたモノ
雨は止まない。
「はい……。警戒を続けます……」
恭佳の声が暗い廊下に響く。午前四時を前にしたこの時間。武部家の広く長い廊下に木霊する音は、彼女の声と静かな雨音だけだ。
足元の補助照明以外ほとんど光源のない廊下で、携帯端末から漏れる光が無機質に恭佳の顔を浮かび上がらせている。その表情に普段学校で見せるような溌剌さはない。
彼女と新井は廃工場で真莉と別れた後、見事ローブの男を拘束していた。だが、彼を尋問しようとしたとたん、男は突然全身から血を噴き出して絶命した。
明らかに何者かからの口封じ。しかも、即座に行われた調査で、彼はこの町に住む失踪していた魔術師だったことが判明したのだ。
失踪の時期は侵入者が来た時期と被る。すなわち、彼は侵入者ではなく、侵入者に情報を与えていた内通者のほうだったのだ。侵入者はまだ別にいる。
この件はまだ終わってはいない。
彼女の額には大きなガーゼが痛々しく貼られている。そこに魔術的な措置はない。回復魔術もまた世界の理を乱す神秘。観測されれば相応に修正のリスクを負うことになる以上軽々しく使ってはもらえない。
彼女から少し離れた部屋の襖の隙間からわずかに光が漏れ出ている。二、三言葉を交わして通話を切ると、彼女は慣れた足取りでその部屋へと足を踏み入れた。
部屋の中には真莉と新井、そして布団へ寝かされた灯護がいた。ついさっきノアリーの魔術師と真莉が治療をちょうど終えたところだ。運び込まれたとき真っ青だった灯護の顔にもようやく生気が戻っていた。
寝息を立てる灯護の横顔を、厳しい顔つきで真莉が見ている。
恭佳には灯護のように感情を感じる能力はない。だがわかる。彼女のその厳しい表情の奥に、彼への悲痛な思いと後悔があることを。
だがその僅かに垣間見えた感情も、瞬き一つで心の奥底へ隠された。真莉が凛然と立ち上がる。
「じゃあ、行くわ」
「え?どこに?」
「祠よ。今回の件でハッキリしたわ。敵はうちの結界に何らかの手段で直接干渉してる。じゃなきゃあんなに好き勝手できるわけない」
結界が外部から操作されている。現在最も考えられる可能性であると同時に、最も考えたくない可能性だ。ここまで湖月の結界に干渉できる魔術が存在しているという事実があるだけで、今後もこの町の守りに不安を残す。知らないうちにもっと大きな事件を起こされる可能性もあるということだ。
「一刻も早く対処しなきゃいけない」
真莉の声は憎しみが滲み出ていた。
「でも今から行くの?少し休んでからでも……」
真莉は一睡もしていないどころか、ついさっきまで灯護の治療をして一休みすらしていない。
「休んでなんかいられないわよ」
その仕草には疲れの欠片も見えない。その心で燃えている憎しみや怒り、焦燥が薪となって彼女を焚き付けていた。
「でも、」
恭佳が次の言葉を紡ぐのを待たず、真莉は振り返りもせずに部屋を出ていった。恭佳は無意識のうちに彼女に伸ばしていた手を自分で握りしめた。
一瞬護衛が必要だろうかと考えたが、すぐに思い直す。これから彼女が行く場所は唯花のところ。例え外部からの干渉を受けていようが、そこがこの町で最も安全な場所であることに変わりはない。
恭佳はため息をついて畳に座り込んだ。
彼女は思う。幼いころから真莉を知っているが、四年前、湖月の継承者となると決まってから、彼女は心配になるほどに強くあろうとしている。
彼女は追っている。自らの姉の姿を。それも、肉体を持っていたころの姉ではない。あのまま順調に湖月の継承者であり続けた想像上の今の姉の姿を追っている。
恭佳は嫌な想像をしてしまう。真莉が見る姉の姿は陽炎だ。彼女がどんなに成長しようと、真莉が追いついたと立ち止まることはないのかもしれない。それこそ、死ぬまで。
タブレット端末を操作していた新井が、眼鏡を直しながらおもむろ口を開く。恭佳の憂鬱を知ってか知らずか、新井がいつも通りのマイペースな口調だ。
「むちゃすんな、あいつ」
「もう。そう思うなら大人としてなんか言ってあげてください」
「そんなんで止まるやつかよ。お前こそもう休め。無理してるやつに引っ張られんな」
「……眠れる気分じゃありません」
そう言って珍しく彼女は物思いにふける。
侵入者に関する手がかりは再びゼロになった。いままで侵入者だと思っていた相手は、内通者だった。侵入者は今もどこかで何かを画策しているだろう。しかも、内通者のほうも確実にまだいるはずだ。口封じされた魔術使いは、ほとんど湖月と関わりのない人間だった。当然湖月の結界について詳しく知るはずもない。
恭佳はため息をついて床に寝転がる。
(なんか……変なことばっかりだな……)
そもそも、最初に結界に侵入された際に真莉が感じたディザルマをもって絶命した影の魔術師を侵入者としていた。だが蓋を開けてみれば彼は侵入者ではなかった。敵は最初の時点ですでに結界に干渉していたということだろうか。
侵入者が影も形も見せていないというのも変だ。協力者に行動させ自分は安全な場所で何か準備をしていると考えるのが自然だが、なんとなく腑に落ちない。
奇妙なことが重なり過ぎている。何か根本的なところで間違っているような気がしてならない。例えば――
(まるで、侵入者なんていなかったみたい……)
そんなことをグルグルと考えているうちに時計の針は半周していた。灯護が目を覚ましたのはそんな折だった。
「う……」
声とともに意識を取り戻す灯護。だが次の瞬間彼は布団から跳ね起きた。
驚いて恭佳も体を起こす。
「と、灯護先輩……?大丈夫ですよ。私の家です」
彼の息は荒く、なぜだか明らかに動揺した様子を見せている。
「ハッ……ハッ……わたし……」
「え?」
「あ、いや。僕……」
彼の動揺は収まらない。むしろ意識がハッキリしていくにつれて増大していく。彼は忙しなく周囲を見渡す。
「大丈夫です先輩。ここは安全です」
「違う!真莉……真莉さんはいまどこに⁉」
「え?真莉ですか?さっき唯花さんのところに――」
「ダメだ!」
彼が恭佳の腕を掴む。
「唯花さんだ!唯花さんだったんだ!」
「どういうことだ」
異変を察したのか、新井も灯護のもとにくる。
「唯花さんだったんだよ!僕の体を乗っ取ろうとしたのは!あの人はもう一度湖月家の継承者になるつもりなんだ!」
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