第25話 命という薪

『影?』


 時は数分前に遡る。


 真莉が現状の説明を灯護にしていたときだった。


 『どういうこと?』


 『あの石像、本体より影の方から思いディザルマを感じるんだ』


 思いがけない、灯護からの魔術的な指摘に真莉は固まった。


 彼は戦力外だと思っていた。まさか、本当に彼が役に立つとは微塵も思っていなかったのだ。


 確かに思い《ディザルマ》を感知することにかけては、彼は真莉より優れている。真莉はディザルマのおおよその方向しかわからないが、彼はもっと正確にわかる。


 彼は続ける。


 『それに、真莉さんが動けなくなったとき、あのとき、真莉さんは石像の影を踏んでいたんだ』


 『……!』


 確信する。間違いない。相手の魔術の鍵は影だ。


 これが勝率を上げた、灯護の二つの言葉の一つ。これにより相手の魔術の謎が解ける。影が本体であり、そこにディザルマが込めてあるがゆえに、流月で斬っても切れなかったのだ。すなわち、影を流月で斬れば、あの石像を倒せる。真莉たちはそう考えたのだ。


 そしてそれが正しいことを石像の動きが裏付ける。さっきまでいかなる攻撃も気に留めなかった石像が、影への攻撃に回避行動をとった。


 もはや疑いようがない。


 確信は勝利への希望となり、二人を明るく照らし上げる。


 剣を構えると、今度は灯護が地を蹴った。


 雷光のごときその速度。その肉体強化は彼のブレスレッドによるもの。真莉の身体機能を下げる代わりに得た力だ。影を狙った低い姿勢。ロングコートを床に掠らせ二度、三度と剣を振るう。


 打って変わって『救済』は右へ左へ飛び回る。影もまた跳梁跋扈し、捉えることは容易ではない。


 相手の選択は逃げの一手……ではない。


「……!」


 突然灯護が後退した。石像の跳躍で伸びた影が、危うくその身に触れそうなったのだ。足元数センチを影が霞める。慌てて回避したことで姿勢を崩したところに、今度は『救済』本体の拳が襲い掛かる。


 なんとか剣で受け止めるが、それでも数メートルは吹っ飛ばされ、床に転がる。灯護は急いで起き上がり剣を構える。血のロングコートによる防御が無ければ確実に重症だったろう。


 そう、油断はできない。あくまで勝ち筋が見えただけ。依然として影を踏んだ際の拘束魔術は健在で、石像本体の脅威もそのまま。


 影さえ切れればいいといっても、逆に言えば敵の影に触れるほどには近づかなければならない。それは敵の拳の間合いでもある。無暗に影を斬りに行けばよくて相打ち。最悪魔術を破壊しきる前に灯護の体が白い拳に砕け散る。しかもその影は『救済』を挟んで灯護の反対側へ伸びている。この立ち位置であの影を狙うのは至難の業。


 一貫してこちらが不利のままだ。


 灯護に掴みかかろうと繰り出される二本の腕。その勢いは獣性を感じさせる。石像の一撃は防御をしても体の芯まで衝撃が来るほどのもので、血のロングコートに守られていても防御に使った灯護の腕は鈍い痛みを持ってしまっている。


 像は真莉に放っていたようなパンチではなく、その手で灯護に掴みかかろうとしてきている。さきほどの真莉との戦闘でわざわざ勢いをつけて殴り掛からなくとも、ただ掴めば勝負は決すると学習したのだろうか。重い一撃ではないので、防御してもそれごと破られることはなくなったが、一方でただ掴みかかってくるというのは、勢いをつけて殴ってくるよりもずっと素早く、避けづらい。


 硬い腕に剣を弾かれ、姿勢が大きく崩される。その隙を逃さず『救済』は両腕を広げて灯護を捕えんと迫りくる。


 崩された姿勢からでは避けられない。頬から汗が一滴落ちる。


 流れ落ちた汗が床につくのを待たず、灯護のいた空間一杯を石像が勢いよく掻き抱いた。


 ……しかし、『救済』の手の中に灯護はいない。


 石像が顔をあげる。そこには、空中にて身を翻す灯護の姿があった。


 白い腕が灯護へ鋭く伸ばされる。


 身動きのとれないはずの空中。しかし、落下する灯護の体が空中にて軌道を変え、『救済』の手は虚空をつかんだ。


 空中にて逆さまになった灯護と『救済』の視線が交錯する。


 手の翼の間をすり抜け、ありったけの力を込めて流月で影を切り裂いた。そのまま彼は影の上に降り立つ……ことなく、彼の体はそのまま姿勢を戻しながら横移動し、充分に距離をとった空中で静止した。


 真莉の魔術の力ではない。他でもない彼の能力。


 情愛の糸アンビバレンキネシス


 それは、自身のディザルマ《思い》が籠められたものを動かす能力と、真莉にそう説明された。それを聞いたときに彼は思ったのだ。自身のディザルマが込められたものを動かせるならば、そのディザルマの源、自分自身も動かすことが可能なのではないかと。


 これが灯護の二つの言葉のもう一つ。


 この能力を使えば、足元の陰を気にすることなく戦える。


 一連の戦闘で両者の立ち位置は入れ替わり、灯護が常設展側。『救済』が特別展側に身を置いている。そして灯護の背後には、大階段の扉にもたれかかる真莉の姿がある。


 空中にて灯護は敵の様子を伺う。今のところ敵は真莉へ興味を示していない。もはやたいしたことはできないと見抜いているのだろう。


 実際真莉は限界まで魔術を消費したことに加え、身体能力まで灯護に明け渡しているので先ほどの灯護と同等程度には非力である。参戦したところで役には立たない。


 影を大きく切られた『救済』は、その背中にあった翼の上半分と右手が切り落とされており、破片が床に転がっている。


(やっぱり斬りつけるだけじゃダメか。接触時間が短くてディザルマを吸収しきれないわね)


 灯護の心の中で真莉がつぶやいた。


(どうする?)


(やることは同じ。動かなくなるまで斬るだけよ)


(動かなくなるまで……)


 斬る。一切の容赦なく。


 これをもって灯護たちの手の内は全てだ。


 人事は尽くした。この先を決めるのは天命のみ。天がどちらに味方するかなど、彼らが知る術はない。ただわかるのは、時間だけは彼らに味方しないということだ。


 敵は疲れも怪我も知らない石の像。対してこちらは時間とともに疲労は蓄積し、集中力も切れていく。灯護の情愛の糸アンビバレンキネシスもいつまでも今の精度で使ってはいられないだろう。さらには、灯護にかかっている魔術も、そう持続時間は長くない。


 依然勝敗の天秤は相手に傾いたまま。時間とともにさらに大きく傾いていく。ならば、あと乗せられるものは一つしかない。


 命を。


 全てを賭けてまだ天秤が傾かないのなら、その心臓の重さを叩きつけてやるほかない。とうに覚悟は決めてある。もう安全策では戦わない。狙うは短期決戦。


 瞳の奥に燃え盛る二人分の炎が勢いを増した。それは一瞬で焼き消えんとする命の輝きそのものであった。

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